タクシー運転手の年収は全国平均で約360万円、東京では約480万円といわれている。だが、都内で年収約800万円を稼ぐ運転手がいる。松本博之さんは早稲田大卒、リクルートや映画配給会社を経てタクシー業界に入り、この道14年になる。なぜ全国平均の倍以上を稼ぐことができるのか。ノンフィクション作家の野地秩嘉さんが実際に乗車し、話を聞いた――。
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4月9日午前7時。六本木を出発し北千住方面へ向かう - 撮影=プレジデントオンライン編集部

■地方なら「売り上げ1日1万円」がいいほう

JR佐賀駅から佐賀トヨタ本社まで、約5kmの道をタクシーに乗った。乗り込んで、行先を告げたら、70代のタクシードライバーは満面の笑みを浮かべ、こう言った。彼は上着ではなく、ジャージ姿だった。

「ありがとうございます。時間は10分くらいで、料金は1800円くらいです。安全運転で行かせていただきます」

その後、タクシーを下りるまでの間、70代は上機嫌だった。

「お客さん、東京からなんだって。東京のタクシーは儲かるんですかね。水揚げはいくらくらいになるんですかね?」

わたしは正確に答えた。知っていたからである。

「平均で5万円くらいらしいです、東京だと。佐賀だと平均で2万円から3万円くらいですか?」

タクシードライバーはむっとした表情をした。

「お客さん、冗談を言っちゃいけません。そんなにあるわけないです。佐賀駅に付けていたって、乗る人なんてほとんどいませんわ。佐賀の人は自家用車を持ってますから、タクシーには乗りません。この辺でタクシーをやっている人はみんな年金もらってる人です」

彼は「1万円になればいいほうです」とも言った。

そこで、わたしは考えた。県庁所在地の佐賀駅でさえタクシーを利用する人はほぼいないようだ。利用する人がいないから、タクシーの水揚げは少ない。水揚げが少ないとわかっているから運転手をやる人はいない。地方でタクシードライバーをやっている人はほぼほぼ年金生活に入った高齢者だけなのだろう。そして、これは何も佐賀だけではない。日本でタクシードライバーをやって生活していけるのは都市だけだ。タクシードライバーとは都市だけで成立するサービス業になっている。それが現実だ。

■タクシーは都市でしか成り立たない

タクシーについて、マスコミが話題として取り上げるのは配車アプリの普及、そしてタクシーの無人運転はいつ始まるのかといったものだ。しかし、日本全体で考えると、タクシー業は都市でしか成り立たないのだから、配車アプリの便利さは都市に暮らす人、もしくは観光客にしかわからない。

無人運転タクシーはいずれ実現するだろう。だが、都市でも地方でも有人タクシーがすべて無人になることは考えられない。都市でも、地方でもタクシーを使う人とは高齢者だ。駅やバス停まで歩くことができなくなり、自家用車を手放した高齢者が乗客の過半を占めるようになるだろう。そうした場合、高齢者はドライバーがいるタクシーを選ぶのではないか。高齢者がスマホで無人タクシーを呼んで、マップに旗を差して目的地までうまくたどり着くことができるのか……。

無人運転タクシーが実現して普及しても、タクシードライバーが運転するタクシーはなくならない。今、仕事をしているタクシードライバーは今後も生き残る。

では、そうなったとしたら、客はタクシードライバーに何を望むのか。

わたしはその答えを知っているひとりのタクシードライバーを見つけた。松本博之、70歳。都内にあるタクシー会社でトップクラスの成績を誇るドライバーだ。乗務する時はスーツを着て時にはネクタイを締める。

■早稲田卒、リクルート次長からの転身

松本博之はタクシードライバーになって14年になる。自宅は埼玉県の東浦和だが、勤務先と営業区域は東京だ。都立戸山高校から早稲田大学法学部を卒業。リクルートに入社し、住宅情報の営業職に就いた。その後、旅行事業部に移り、事業部が独立したリクルートインターナショナルという旅行会社に移り、次長となる。13年間、務めたのだが、リクルート事件のあと退職した。別に事件に関わっていたわけではない。映画が好きなんじゃないかと思って、映画の配給会社に転職した。しかし、入社後、よくよく考えてみれば映画にはほぼ興味がなかったことに気づく。そして、退職。次は何をしようかと思っていた時、新聞広告でハイヤー会社の求人募集を見つけ、応募した。

以後、松本の話である。

【松本】ハイヤーの求人募集を見たら、「月12日稼働、40万円保証」って書いてあった。これはいいじゃないかと思ったんだ。ところが、入ってみたら、そうでもなかった。ハイヤーって、泊まりがあるから月のうち12日がぜんぶ泊まりになることもある。そうすると、休みは月に6日しかない。そこまでいかなくてもタクシーは宿泊することはないんです。それに、ハイヤーって、お客さんの数は決まってるし、自分で営業するわけでもない。行き先もあらかじめ決まってる。安定はしているけれど、収入は伸びていかない。それでも18年間、乗ってたけどね。

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松本博之さん。タクシー運転手になる前はハイヤー運転手を18年間勤めていた。「タクシー運転手のほうが俄然向いている」という - 撮影=プレジデントオンライン編集部

ある日、今度はタクシーに乗ってみようと思ったんだ。泊まりもつらくなってきたし、タクシーなら自分でお客さんを捕まえることができる。好きな時間に好きなところに行けるでしょう。

今の会社に来る前、別のところにいたんです。今の会社にしたのは「いい会社だよ」って聞いたから。実際、移ってよかったと思う。給与面の待遇、仕事のしやすさという点でね。一般のタクシー会社って、会社がシフトを組むんだ。『あなたの出番はこの日とこの日です』って。うちは会社でなく、自分が決められる。好きな時に22日間、働けばいい。だから、夜だけしか働かない。夜は割り増し料金だから、水揚げが1日で平均で4、5000円は違う。

■月収66万円、年収800万円弱にはなる

自宅は埼玉だけど、東京の会社に入ったのはそっちのほうが水揚げが多いから。東京だと1日の平均がだいたい5万円にはなる。そのうち、6割が運転手の取り分です。どこでもだいたいそうですよ。タクシードライバーは売り上げに対する完全歩合が普通。新入社員の最初だけ3カ月間は定額保証しますというのはあるけれど、通常はもう完全歩合制ですね。そうして平均の水揚げを上げていれば、手取りの収入は一般企業の課長くらいにはなると思う。

タクシーって東京でやらないと儲からないんだよ。埼玉県で働く運転手に聞いてみたんだけど、平均で2万円くらい水揚げが落ちるって。

――さて、以上は初めて会った時の取材だった。それだけでは足りないと思ったから、わたしは「実車する」ことにした。以下は朝の7時に彼と待ち合わせ、六本木から北千住方面まで実車したインタビューである。彼の運転はスムーズだった。急発進、急加速、急ブレーキは一度もなかった。彼は下町方面をよく走ると言っていた。

【松本】待ち合わせを俳優座前にしたのは六本木ではここが車を捕まえやすい場所だから。でも、もう俳優座じゃないんだね。よしもと六本木シアター(2025年7月から)に変わっているんだ。

僕は夜中しか走らないから、朝、走るのは久しぶりです。夜だとアプリ配車より流しのほうが多いんです。

1日の行動は、夜の7時ころ、会社を出発してまず浅草へ向かいます。浅草の今半本店の前に着くのが午後8時くらいかな。浅草って、店が終わるのが早いでしょう。食事を終わった客が出てくるのがそれくらいの時間なんだ。そこを目がけていく。今半の閉店は午後9時30分。だいたい繁華街にある高級店の閉店時間を把握しておくのは結構、大事なことなんだ。ただ、そこで客が拾えなかったら、今度は湯島もしくは上野あたりへ行く。タクシーは狩猟民族。客を探して狩り場を変えていく。

■浜崎あゆみのライブ帰りを狙ったら大失敗

上野、湯島あたりもいなかったら、今度は都心に入ってくる。銀座、新橋とかね。ただ、銀座へ行ってもタクシー乗り場には付けない。僕は基本的にはタクシー乗り場には並びません。お客さんが乗ってくるまで順番を待たなきゃならないでしょう。その時間がもったいない。30分待って、ああやっと来たと思って、「どこ行きますか?」で「虎ノ門まで」とか言われたら、がっくりくるんですよ。だから並ばない。ただし、銀座のタクシー乗り場に車が並んでいない時は行くよ。

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湯島天神下の交差点 - 撮影=プレジデントオンライン編集部

まあ、運転しているのは夜だからね。繁華街に行けば誰かしらお客さんはいる。僕はタクシーは情報戦だと思っている。だから、イベントの情報は集めてる。たとえば東京ドームの巨人戦とかあるでしょう。終わる時間に合わせて行くとか、歌舞伎が終わる頃、歌舞伎座へ付けるとか。イベントが終わる時間さえつかんでおけばいい。あと、いくつかだけれど、料亭、割烹、寿司屋、ラーメン屋が終わる時間も把握している。

でも、毎回、拾えるわけじゃない。外れることもある。有明アリーナで浜崎あゆみがライブやっていたから、チャンスだと思って、行ったんだよ。午後9時半くらいかな。そうしたら空振りでさ。失敗しちゃった。浜崎あゆみのファン世代って、体力的にタクシーに乗らずに電車で帰れちゃう。歌舞伎なら高齢者が多いからタクシーに乗ってくれる。反省点がわかった。

■いちばん捕まえやすいのは「オペラ」の理由

その代わり、終電が終わった後なら、若いとか高齢だとか関係ない。終電の後は新橋のラーメン屋、寿司屋の前で待ってる。タクシー乗り場で待つより、よっぽどいい。新橋では「揚州商人」の前。寿司屋なら「とりで寿司」。夜中に寿司屋でめし食ってるから金を持ってるだろうと最初は思ったんですよ。遠くまで乗ってくれるんじゃないかな。だが、半分くらいは違った。出張して東京に来て、酒飲んで、締めに寿司を食ってホテルに帰ろうなんてビジネスマンが多いんだよ、とりで寿司は。だから、もうやめようかな。試行錯誤しながら情報をアップデートさせていくわけですよ。

お客さんの層って大切なんだ。いいのはオペラです。オペラってチケットは高額だし、長いでしょう。お客さんはもう疲れ果ててるわけ。早くうちに帰りたい。だから、遠くまで乗る人が多い。初台の新国立劇場なんかいいんだよ。でも、最近、会社がみんなに「新国立劇場でオペラ終わりました」なんてニュースを流すようになったからね。おそらく他のタクシー会社もやってるでしょう。秘密のホットスポットがひとつ減っちゃった。

■優秀なドライバーは、行きも帰りも客を捕まえられる

さっき、ちょっとタクシー乗り場のことを話したけれど、羽田空港のタクシー乗り場は規制があるんです。ナンバープレート末尾の番号が奇数だったら、奇数日には乗り場に入ることができる。末尾が偶数だったら偶数の日に入っていける。それでも多くの車が並ぶから基本は行かないんだけど、飛行機がディレイした情報が入ったらすぐに行く。終電が終わっていたら、タクシーに乗るしかないでしょう。そういうのはすごくいい。乗ってきた人が「千葉の習志野市まで行って」とか言われたら、それはもう最高でしょう。夜中なら2万円近いからね。だいたい、料金で1万円を超えてくれりゃ、もう御の字。

料金が高いのはそれはありがたい。ただ、3000円だとしても、すぐ次に乗ってくれる人がいればそれはいいんだ。たとえば深夜に銀座から北千住へ30分かかって行ったとする。4500円くらい。行ったはいいけれど、夜中に北千住から誰も乗らなかったら、また、銀座に戻ってこないといけないでしょ。それなら銀座から六本木、六本木から目黒、目黒から六本木とか、そういう循環がいい。

タクシードライバーで優秀な人って、そういう考え方ができる人だと思う。結局、都内のいろいろな場所を走っていて、効率的な走り方がわかっている人ですよ。地理も知ってるしさ。ただ、ひとつの場所ばかりで仕事をしていても、ダメだと思うんだ。都内全域を走ったほうが視野が広くなるし、道も覚える。だから、僕はなるべく違うところを走るようにしている。

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目的地は遠ければ遠いほどいいが、戻りに乗客が一人もつかまらなければ効率が悪い。繁華街から繁華街へ、人の多い“狩り場”を回るのがいいのだそう - 本人提供

■営業区域外のお客さんには乗車を断るケースも

効率が一番いいのは銀座から横浜へ行ってくれるお客さん。銀座から横浜の場合、深夜料金だと1万5000円以上。いいのは30分で行けるし、30分で銀座に戻ってこられること。

帰りは空車です。横浜から都内に行く人がぐうぜんいたら、乗せてもいいけれど、横浜から川崎なんて人は乗せちゃいけない。タクシーは営業区域が決まっています。われわれは23区と武蔵野市、三鷹市だけ。だから、浅草から小平はOKだし、なんなら浅草から青森へ行くのもOK。つまり、横浜から川崎みたいに営業区域外で拾って、営業区域外へ行くのがダメ。横浜から銀座へ来る人を乗せていいのは目的地が区域内だから。

効率なんだな、やっぱり。僕だってタクシーに乗るから、お客さんがいいと思うドライバーがどういう走り方をするのかはよくわかっている。優秀な人は信号の変わるタイミングを知っているんですよ。

お客さんがタクシーに乗っていて、嫌なのは信号に引っかかることだと思う。料金ってだいたいわかるし、配車アプリあるからぼったくりはできません。それより信号に引っかかってばかりだと嫌でしょう。

■「赤信号に引っかからない走り方」がある

タクシーの運賃は時間距離併用制です。4月20日に約10%値上げしました。時速10km以下で走行すると、85秒で100円上がります。だから、信号待ちを2回すると、間違いなく100円は上がる。この100円は気分が悪いってお客さんは多いんです。僕が客だって、気分悪いから。タクシーを降りる寸前にメーターが上がるのも嫌だけれど、あれはコントロールできます。自宅の近くだったら、そこで降りちゃえばいいんだから。

信号ですけれど、僕は前方が赤信号の時は10km以下にはならない程度でスピードを抑えて走ります。そうすれば信号に引っかからないで通過できる。いつ青になるかというタイミングを見るには走っている道路の信号でなく、交差する道の歩行者用信号の点滅を見るんです。点滅していたら、歩行者のほうが赤信号になるわけだから、こっちが走っている道路が次に青になる。そういった情報を活用して走っているんです。そこまで考えている運転手、大勢います。

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タクシーは時速10km以下で走行すると、85秒で100円上がる仕組みだ。松本さんは10kmを切ることなく、しかしスピードを抑えつつ信号を通過する。乗客からは見えないサービスだ - 撮影=プレジデントオンライン編集部

■「景気は悪くない」

 コロナの時はほんとに暇だったけれど、最近、お客さん戻ってきましたね。明け方近くまで飲んでる人が多いのは西麻布、六本木。午前1時から3時の間かな。その時間に銀座に行くことはまずないですね。銀座は深夜はいません。ただ、電通通りにある「すしざんまい」は朝5時までやってるから、午前2時、3時でも出てくる人はいます。

僕はタクシードライバーとして、自分は「引き」がいいほうじゃないとわかってます。遠くまでお客さんを乗せたことないです。だから、情報を重要視して、走り方を工夫している。引きがいいやつっているんですよ。たとえば、浅草の道端で拾ったお客さんが「熊谷まで行ってくれ」って。おいおい、ほんとかよ、みたいなことがある。浅草から熊谷だとだいたい3万円。

景気は悪くないと思うんだ。インバウンド客もよく乗ってくるから。1日に乗せるお客さんは平均で20組くらいだけれど、そのうち3、4組はインバウンドのお客さんになりました。夜中ですよ。夜中でも乗ってくる。ただ、中国人は減って、欧米の人が増えていると感じます。インバウンドだから行儀悪いってことはないです。みんなクレジットカードだから料金で揉めることはないんです。

彼らは日本でのタクシーの乗り方、よくわかってますよ。日本のタクシーはきれいだし、ドライバーもいいって言われますよ。だって、考えてみれば僕らみたいにスーツの制服着て、乗客に挨拶するタクシーなんて世界中にないでしょう。世界のタクシーに比べれば日本のタクシーなんて上等ですよ。

■酔っ払い、飲酒自転車、イヤホンをつけたLUUP…

タクシーの仕事、悪くないです。僕はハイヤーよりぜんぜんいいと思ってる。怖いのはね、自転車と電動キックボード。歩行者もなかには怖い人いる。酔っぱらって車道に飛び出してくる歩行者がいるんだよ。たとえ歩道でも、そういうやつがふらふらしていたら、絶対に近づかない。車線変更して避けちゃう。そういうのがタクシーを止めようとして、ばたんと倒れたりする。近寄ったら、轢くかもしれないでしょう。

酔っぱらいは自分では大丈夫だと思ってる。でも、そこが問題なんだよ。ふらふらするまで飲んでるんだから、危ないに決まってる。

LUUPって電動キックボードね、あれには絶対に近づかない。僕が走っているのは夜でしょう、自転車、LUUPはほんと怖い。交通事故を起こしたら、人と車、人と自転車だったら、必ず車のほうが悪いってなるんだ。でも、酔っ払って自転車乗ってるとか、イヤホンつけてLUUP乗ってるなんてのは、交通違反をしているわけでしょう。交通事故だけは起こさないようにしているのに、事故ったら悪いのはタクシーと言われるから。

■世知辛い…「立ち食いそば」にも気軽に行けない

――夜中に食事はどこでするんですか?

仕事中は食べないんです。仕事中は水だけ。昼間に乗務することもあるけれど、その時も食べません。タクシードライバーは休憩を必ず取らなきゃいけないと決まってます。夜中の乗務なら1時間は休まないといけない。

普通は隔日勤務で1回の乗車時間が16時間だから、その場合は1時間の休憩を3回、取らなければいけない。食事ですけれど、タクシードライバーが行く食堂みたいなのも昔はあったんです。でも、今は駐車場のあるファミレスかコンビニが多いと思う。

食事しない理由は眠くなるから。夜中だから、眠くなりやすいし、危ないでしょう。それで食べなくなった。おやつも食べないし、お茶も缶コーヒーも飲まない。水を飲むだけ。

うちの会社の仲間で、立ち食いそばを食べていたら、駐車禁止の罰金を取られたのがいるんです。罰金が1万2000円。自腹だからたまらない。以来、みんな、立ち食いそばを食べる時でも必ずコインパーキングに入れるようになった。

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警察の取り締まりが厳しくなり、短時間に路肩に停車して食事をとることもむずかしくなった。松本さんは勤務中は水を飲むだけだという - 本人提供

■稼げるタクシー運転手になるための条件

松本博之が優れたドライバーなのは「自分は引きがよくない」とわかっていることだろう。運に頼らず、情報に頼っている。そして、夜中に走るから食事はしない。休憩時間には体操をして、腰を痛めないようにしている。節制している。そして、運転中、しゃべらない。彼はリクルート旅行事業部の次長だったから、海外に行く機会は多かった。英語をしゃべるし、書くこと、読むこともできる。しかし、インバウンド客が乗ってきた時は英語が書いてある紙を見せてコミュニケートする。タクシードライバーは余計なことをしゃべらないほうがいいとわかっているからだ。

稼げるタクシードライバーになるために気をつけることは次の5点だろう。身なりをきちんとして整髪も忘れない。情報に頼る。効率的に走ることができる。余計なことはしゃべらない。健康の維持と節制に徹する。

世の中にはタクシードライバーのことを書いた本はいくつもある。載っている話は総じて人情話だ。客に対してやさしくするタクシードライバーの話だ。病気の人や高齢の人のために尽くしたり、人情に篤い人であったり、話好きであったりする。客の手助けをして、時には自腹を切って客を乗せたりする。彼らはいい人だけれど、わたしはタクシードライバーとしてはプロフェッショナルではないと思う。接客が仕事であれば病気の人や高齢の人には尽くすし、手助けをするのは当然のことだと思う。

■いいドライバーは、客にストレスを与えずに走る

タクシードライバーのプロとは松本博之のように走る技術を持っている人だ。速く走るのではなく、客にストレスを感じさせないように走る。料金に見合ったサービスをしている。彼は愛想がいいわけではない。しゃべらないから不愛想と受け取られることのほうが多いだろう。だが、乗せた客を最短時間、最短距離で目的地まで送る。信号で止まらないように走る。それに徹する。これで十分ではないか。

タクシードライバーとして人間性とか個性を発揮しようとは少しも思っていない。1日の水揚げを上げようと思っている。

彼は映画『タクシードライバー』(1976年)に出てくるロバート・デ・ニーロのような個性がある運転手ではない。無個性で無機的に走る。

――松本さん、乗務が終わった後の休みの日は何をしているのですか?

仕事が終わったら、電車で帰って、駅前のコンビニで、おにぎりをふたつ買って、歩きながら食べる。うちに着くと午前8時くらいかな。1杯飲んで、テレビを見ているうちに寝ちゃう。ただ、昼飯が午後1時なんだよ。その時間まで起きていられるように頑張るけれど、いつの間にか寝てる。起きて、昼飯を食べる。その時は飲まない。夜の仕事の前に事務所でアルコールチェックがあるから、昼飯では飲まない。飲んでいいのは朝だけってこと。うちを出るのは午後6時。そして、またタクシーに乗る。

■赤羽の「トロ函」が毎週の楽しみ

夜に酒を飲むのは休みの前の日だけ。週に2日は休みがあるから、前の日は必ず赤羽で飲む。「トロ函」って居酒屋で飲む。ひとりで行くよ。休みの日の夜はどれだけ飲んでも、次の日の夕方までに酒が抜ければいい。トロ函ではキンミヤ焼酎ボトル半分くらいは飲むかな。

運動はまったくしてない。ジムも行かない。週に一度はゴルフをやっている。安いゴルフ場でね。できるだけカートに乗らないで歩くようにしてる。仲間でもゴルフやるやつは多いんです。会社のコンペがあるから、みんなゴルフはやってる。

そうそう昼飯は奥さんがちゃんと作ってくれる。子どもたちはもう、独立したからさ。あとは命が続く限り、タクシーに乗ろうかなって。いくつになってもやれるのがいいところでしょうね。

■「200円足りない」客に言われたときの粋な返し

松本博之は30分ほどの運転中に、これだけのことを整然と話した。わたしが「取材します」と伝えてから、話すことを整理したんだろうと思われる。きちんとした性格の人だ。

【松本】流しのタクシーのほうが面白いと思うんだ。一期一会ですからね。ひとりのお客さんを乗せたとします。その人ともう一度、会う確率は限りなくゼロでしょう。一期一会とわかっているから、気持ちよく乗ってもらいたいんです。そうすれば、そのお客さんは「また、タクシーに乗ろう」っていう気分になるでしょう。いつも、やってることがあるんです。現金で払うお客さんで、「200円足りない」っていう人がいます。そういう時は値引きしてあげるんです。そして、こう言うんです。

「お客さま。次にご乗車されたタクシーがいいサービスをしてくれたら、今回の200円をチップとして渡していただけますか?」

僕ら運転手にとっては、たとえ100円でもチップはありがたいんですよ。ただ、実際、お客さんがどうするかはそれはわかりません。でも、もしも、そうなったら、その運転手もいいサービスをすればチップになると思う。お客さんだって、いいことをしたと思うはず。そうやってタクシーのファンが増えていけば、回り回って自分の仕事も増える。そういう循環、重要じゃないかな。

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野地 秩嘉(のじ・つねよし)
ノンフィクション作家
1957年東京都生まれ。早稲田大学商学部卒業後、出版社勤務を経てノンフィクション作家に。人物ルポルタージュをはじめ、食や美術、海外文化などの分野で活躍中。著書は『トヨタの危機管理 どんな時代でも「黒字化」できる底力』(プレジデント社)、『高倉健インタヴューズ』『日本一のまかないレシピ』『キャンティ物語』『サービスの達人たち』『一流たちの修業時代』『ヨーロッパ美食旅行』『京味物語』『ビートルズを呼んだ男』『トヨタ物語』(千住博解説、新潮文庫)、『名門再生 太平洋クラブ物語』(プレジデント社)、『伊藤忠 財閥系を超えた最強商人』(ダイヤモンド社)など著書多数。『TOKYOオリンピック物語』でミズノスポーツライター賞優秀賞受賞。ビジネスインサイダーにて「一生に一度は見たい東京美術案内」を連載中。
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(ノンフィクション作家 野地 秩嘉)