中国に住む外国人は、人口14億人のうちわずか0.05%しかいない。それでも中国国民は、新設された外国人若手科学技術者向けの「Kビザ」に激しく反発した。SNSにはインド人を「不衛生」「ゴキブリ」と蔑む書き込みが殺到し、ハッシュタグの閲覧数は2日間で5億回に達した。習近平政権が火消しに躍起になる中、海外メディアはその根底に中国国内の深刻な雇用危機があると報じている――。
写真=iStock.com/simon2579
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/simon2579

■中国人が「Kビザ」に猛反発

2025年9月下旬、インドのニュース番組でキャスターがこう言い放った。「ゴタゴタはすっ飛ばして、荷物をまとめましょう。チャンスはたっぷりありますよ」

移民として成功したいなら、手早く中国へ向かうべきだとする発言だ。折しもアメリカのドナルド・トランプ大統領は、H-1Bビザの新規申請に対して10万ドル(約1600万円。5月27日現在のレート、1ドル159.34円で換算)の追加手数料を課し、ビザ取得が困難になった。これを受け、代わりに類似の「Kビザ」を発行する中国へ向かえばいいという、いかにも軽口じみたコメントだった。

Kビザは外国人若手科学技術者に向けたビザで、STEM(科学・技術・工学・数学)分野の若年層外国人に限った、新たな査証制度である。カタール国営衛星テレビ局のアルジャジーラはその最大の特徴を、雇用主による身元保証(スポンサーシップ)を必要としない点にあると解説する。

中国では高度専門人材向けの「Rビザ」が2013年に導入されていたが、受け入れ組織の身元保証が不可欠だった。Kビザにはその縛りがなく、より幅広い層に門戸を開く補完的な制度として新設された経緯がある。

だが、冒頭のニュース番組の切り抜き動画が中国SNSのウェイボー(Weibo/微博)で拡散すると、瞬く間に炎上した。ただでさえ若年層の雇用が厳しい中国に、外国人労働者は来てほしくないとの反応が巻き起こった。

■働き口のない大卒者の怒り

Kビザを新設した中国政府の狙いは、ここ数十年にわたる高度な専門的人材の流出を取り戻すことにある。

北京・長江商学院のタオ・ジーガン教授はアルジャジーラに対し、「中国は1980年代から2010年代にかけて先進国に人材を奪われ続けてきた」と指摘する。

コロナ禍の後、中国は外国人向けの受け入れ策を相次いで打ち出してきた。Kビザもそのひとつに過ぎなかったと、米経済ラジオ番組のマーケットプレイスは伝える。

複数回の入国や長期滞在を認める柔軟な枠組みだが、資格要件の詳細はまだ明らかにされていない。現時点で条件とされるのは、学士号以上を保持していること。中国国内で言う本科(4年制大学)卒に相当する。

一方、中国国内では大学を卒業していても、修士号や博士号がなければ職に就きにくいのが現実だ。「ハードルが低すぎる」との批判も、すでにくすぶっていた。

■行き場を失ったインド人技術者

昨年8月の公表時、「Kビザ」新設をめぐる世論はほぼ無風だった。だが、転機は9月下旬に訪れた。

きっかけは、トランプ大統領による米国内の布告だ。新規のH-1Bビザ申請を行う企業に対し、1件あたり10万ドルの追加手数料を課すとしている。

注意点として、この布告には訴訟リスクがあると指摘されており、今後の司法判断によって運用が変わる可能性がある。とはいえ、仮に大統領布告通り運用されれば、割を食うのはインドの技術者たちだ。英公共放送のBBCによると、近年このビザの取得者は70%以上がインド人である。

アメリカへの門戸が狭まるなか、インドのニュースメディア「ファースト・ポスト」が中国のKビザの存在に注目。マーケットプレイスによると、外国人若手技術者向けビザという点で共通していることから、Kビザを「H-1Bに対する中国のアンサー」と呼んだ。

時系列としては、昨年8月に行われた中国Kビザの発表が先だ。しかし、米H-1Bビザの門戸が極端に狭まった今、Kビザはインドの技術者に向けた、事実上の「中国行きのすすめ」のように受け止められた。

■インド人を「ゴキブリ」と揶揄した中国SNS

Kビザ取得を勧めるこうした映像が中国のSNSに転載されると、炎上が始まった。欧米でも話題となっており、BBCは「中国の新たな技術ビザがインドの関心を引いており、中国の人々はそれが面白くない」との見出しで記事にしている。

炎上の規模は凄まじく、CNNによると、Kビザに関連するハッシュタグはわずか2日間で約5億回も閲覧された。

中国SNSでは、インド人への露骨な差別に満ちた言葉が噴出した。米外交専門誌のディプロマットが伝えたところでは、インド人を「不衛生」「信用できない」と蔑む声があふれ、「ゴキブリのようにどんどん増える」と害虫になぞらえる言葉さえ飛び交った。

次いで、安全保障への懸念論が飛び交った。2020年にヒマラヤ国境付近で起きた中印両軍の衝突映像や、戦死した中国兵の写真が改めて拡散された。外国人スパイがKビザを利用して中国の科学機関や先端企業に入り込むのではないか、との憶測混じりの声も上がった。

中国との国境紛争で戦死した兵士たちの勇敢さを称えるインドのナレンドラ・モディ首相(写真=インド政府首相府/GODL-India/Wikimedia Commons)

挙句の果てには、「ユダヤ系の国際資本」がこの政策の裏で糸を引いている、と主張する反ユダヤ的な陰謀論まで現れた。

同誌は、大量移民の危険性を叫ぶこうした投稿の多くは、皮肉なことに欧米極右派の言説をそのまま中国に持ち込んだものだったと指摘している。

■中国当局が火消しに回る事態に

排外的な感情が渦巻くKビザ問題に対し、当局が相次いで火消しに回る事態となった。

Kビザで永住権が自動的に与えられるわけではなく、中国での就労権さえも保証されるわけではないと、北京ラジオ・テレビ局のドキュメンタリー・ディレクターである乔路晶氏は訴えた。Kビザ保持者は雇用主による招聘状がなくとも入国できるが、実際に就労するには従来通りの申請・審査プロセスを経る必要がある。

マーケットプレイスによると、中国政府の意向に沿った報道で知られる環球時報の元編集長・胡錫進氏も、「職のない海外の若者に向けた慈善事業ではない」と動画で火消しに回っている。

ついには、中国共産党中央委員会の機関紙である人民日報が動いた。論評記事を通じ、一部の中国国民が「政策を曲解し、荒唐無稽な主張で世論を惑わし」ていると批判し、「中国はかつてないほど人材を求めている」と強調した。製造業では約3000万人分の求人が埋まらないという政府の統計まで持ち出してみせ、インド人技術者に国内の雇用が奪われるわけではないと説得を試みている。

だが、人民日報はこの一手でかえって火に油を注いだ。ウェイボーでは、「Kビザは雇用に影響しないと言いながら、人材不足があるとも言う。つまり、移民を呼び込みたいのだろう」といった反発の声が相次いだ。説得のために持ち出した数字が、市民にはかえって不信を深める根拠として受け止められたのだ。

メディア評論家の項棟梁氏は、マーケットプレイスの取材に、中国国民の怒りの根底には職を奪われる恐怖があると指摘。「市民の目に映るのは、大卒者さえ良い仕事に就けず、低賃金で働く現実なのです」と語る。

■若者の5人に1人は仕事に就けない

昨年8月、中国の若年失業率は18.9%に達した。CNNは、2023年12月以来の高水準だと報じている。

写真=iStock.com/zhudifeng
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/zhudifeng

昨年の大学新卒者は、過去最多の1220万人。景気が冷え込むなかで、国内で就職口を奪い合っている状況だ。

2012年から2022年にかけて中国で高等教育を修了した者のうち、実に約半数がSTEM分野の学位を持つ。その数、約2400万人。自国にこれだけの理工系人材を抱えながら、なぜ外国人を招くのか。この疑問に答えない政権に、国民は怒りの矛先を向けた。

実際、体制寄りの論客でさえ、こうした現実との矛盾を認めている。

環球時報の元編集長・胡錫進氏はウェイボーで、「Kビザ論争の核心にある本質的な問題は、国内雇用市場の緊張と、若者が就職活動で直面する不安を反映していることだ」と指摘。「国内の雇用率を、とりわけ質の高い雇用の面で向上させることは、現下の統治にとって死活的に重要だ」と論じた。

胡錫進氏は中国共産党寄りのナショナリストの論客であり、本来ならば「Kビザの炎上は民意を歪曲している」などと述べて当局を擁護する立場のはずだ。だが、今回は上記の発言を通じ、炎上をネットの移り気な世論と片付けるべきではなく、国家政治の問題と捉えるべきであると、異例の警告を発した。

■AI産業は活況でも、仕事は増えない

体制派の胡錫進氏ですら無視できなくなった、若者の雇用情勢。極度に悪化しているのはなぜか。

昨年1月にAIモデル「ディープシーク(DeepSeek)」が登場すると、中国のテック産業は活気づいた。テック株は急騰。米中技術覇権争いの勢力図さえ塗り替えたかに見えた。

だが、華々しさとは裏腹に、若者の雇用危機は一向に解消されていなかった。AI産業はその規模の大きさに反し、ホワイトカラーの雇用を限定的にしか生み出すことがない。

テック産業は、少人数で高い付加価値を生む構造だ。これがかえって足枷となった。建設から販売など関連サービスの裾野が広い不動産業ほどには、雇用を生み出せずにいる。

写真=iStock.com/Chalffy
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Chalffy

元CNN記者でコラムニストのジュリアナ・リウ氏は、ブルームバーグに寄稿し、ディープシークによる賑わいは「かつて経済の最大32%を占めていた不動産部門の崩壊が残した空白を埋めるには、まるで足りていない」と指摘する。

リウ氏によると、今年までに研究・医療などを含む広義のテック産業は、GDPの18%超に達する見込みだ。それでも不動産業のピークだった2015〜18年の寄与率には及ばず、雇用創出の面では「はるかに影響力が乏しい」という。

■中国の在留外国人はわずか0.05%

雇用不安の根深さは疑いようがない。では、その不安の対象である外国人は、実際にどれだけ中国にいるのか。

問い合わせベースで見れば、確かに関心は高まってはいる。移民コンサルティング企業ニューランド・チェイスの移民担当ディレクター、エドワード・フー氏はアルジャジーラに対し、2025年8月以降、Kビザの問い合わせが30%超増えたと明かした。インドや東南アジア、欧州、アメリカと、関心は世界各地から寄せられているという。

だが、現実はSNSで騒がれるほどの「殺到」とはほど遠い。ディプロマットによると、2023年に発行された外国人居留許可証は71万1000件。中国の全人口のわずか0.05%にすぎない。

例えるならば、中国人約2000人で住んでいる町があるとして、そこに1人の外国人がやってくるに過ぎない比率だ。在留外国人が総人口の約3%を占める日本と比べても、桁違いに少ない。

中国国営メディアの報道でも、2004〜2020年の16年間で永住権を得た外国人はわずか2万人。年平均にすればおよそ1250人に留まる。人口14億人の国での数字だ。

さらには、仮に入国できても壁は厚い。インドからの英語話者など中国語以外の話者は、職場に容易には適応できない。「9-9-6」(朝9時〜夜9時・週6日勤務)と呼ばれる過酷な労働文化もあり、外国人はなおさら敬遠する。

コンサルタント会社ジオポリティカル・ストラテジーの主席ストラテジスト、マイケル・フェラー氏はアルジャジーラに、「多くの中国企業で知られる9-9-6というワークライフバランスに関心を持つ外国人卒業生など、想像もできない」と語った。

■訪日外国人の5人に1人以上が中国人

昨年、日本を訪れた外国人観光客の5人に1人以上が中国人だった。

もちろん、11月以降は様相が異なる。高市早苗首相による「台湾有事は日本の存立危機事態になり得る」発言を機に、中国政府は国民に対し日本への「渡航自粛要請」を発表。昨年終盤から今年にかけての中国からの訪日数は減少している。

出所=日本政府観光局(JNTO)「訪日外客数(2025年12月推計値)」

それでもブルームバーグによると、中国人客は騒動以前の7〜9月期のインバウンド消費全体において、約27%を占めた。滞在中に1人あたり平均約24万円を費やしており、日本の観光産業にとって最大の顧客層だったという。

中国人客が向かう先は、日本だけではない。春節など大型連休には多くの国民が国の内外へと大移動する。

新華社通信が報じた中国国家移民管理局のデータによると、2025年の春節(8連休)は中国本土住民の出入国数が延べ770万件に上った。

出国で1回、帰国で1回とカウントするため、おおよそ半分の385万人が国外へ飛んだことになる。人気の渡航先は日本、タイ、マレーシア、シンガポールで、特に日本向けの予約は前年比で倍増したという。

■海外旅行はするのに、外国人の受け入れは拒絶

世界有数の海外旅行大国として各国に大挙して押し寄せる中国客。その一方で、いざ自国に外国人を迎え入れる側に回ったとき、見せたのは激しい拒絶反応だった。

観光と労働者の受け入れはたしかに性質が異なるが、SNS上に飛び交った拒絶反応を見るに、根本的にインド人への差別的反応があるようにも見受けられる。海外は好きだが外国人は嫌いという、矛盾した国民感情が浮き彫りになる。

海外には自由に出向きながら、外国人の流入は拒む。この構図は、中国で繰り返されてきた。

ディプロマットによると、2020年にも裕福な外国人や高度な技能を持つ外国人に永住権の門戸を広げる提案が持ち上がった。だがネットにはたちまち、「外国人と結婚するくらいなら万里の長城から飛び降りる」など心ない声が殺到し、提案は修正に向けて取り下げられた。

しかし、現実問題として中国人口は減少傾向にあり、外国人を拒む余裕を失いつつある。同誌が指摘するように、中国の人口は2022年を境に減少に転じた。国連推計では、今世紀半ばまでに1億人を失う。日本の総人口に迫る規模が、まるまる消える計算だ。

■インドへの怒りの裏に潜む、中国の雇用危機

足元では、現在50〜60代に当たるおよそ3億人が、今後わずか10年で労働市場を去る見通しとなっている。

中国政府機関の工業・情報化部(日本の経済産業省に近い)は、2023年の文書で、主要産業における労働力不足の対策として人型ロボットの開発を打ち出している。ブルーカラーの職種は人手不足だが、一方で大学を出てもホワイトカラーの働き口はないという、極端なスキルミスマッチの時代に突入しつつある。

中国はAIロボットでも存在感を示しつつあるが、高度なロボットが普及した先にも危うさが待ち受ける。ホワイトカラーを諦めてブルーカラーに就職しようにも、そこにすら職がない事態が起こりうる。

写真=iStock.com/yamasan
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/yamasan

インド人技術者への差別的反応を呼んだKビザ騒動だが、根本的な原因はインド側ではなく、中国国内産業の雇用環境のねじれにありそうだ。

----------
青葉 やまと(あおば・やまと)
フリーライター・翻訳者
1982年生まれ。関西学院大学を卒業後、都内IT企業でエンジニアとして活動。6年間の業界経験ののち、2010年から文筆業に転身。技術知識を生かした技術翻訳ほか、IT・国際情勢などニュース記事の執筆を手がける。ウェブサイト『ニューズウィーク日本版』などで執筆中。
----------

(フリーライター・翻訳者 青葉 やまと)