昭和34年、日本中が空前の好景気へと向かう足音が聞こえる中、東京の河川で一人の若き女性の遺体が発見された。当時の花形職業だった航空会社のスチュワーデス

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 当初は「自殺」とみられたその死は、司法解剖によって「他殺」と明らかになる。いったい誰が彼女を殺したのか? 鉄人社の新刊『高度経済成長期の日本で起きた37の怖い事件』よりお届けする。(全2回の1回目/続きを読む)


写真はイメージ ©getty

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杉並区で発見された「女性の水死体」

 1959年(昭和34年)3月10日午前7時40分ごろ、東京都杉並区の善福寺川で仰向けになり、顔や手、胸部、大腿部が水面から浮き出た女性の水死体が発見された。

 周囲にはマフラー、靴の片方、現金2千円の入った財布が点在していた。通報を受けた警視庁高井戸署の調べで、遺体の身元はBOAC(英国海外航空会社。現ブリティッシュ・エアウェイズ)のスチュワーデス(現・CA=キャビン・アテンダント)、武川知子さん(当時27歳)と判明。

 彼女は3月8日15時ごろに「駒込の叔父の家に行く」と告げ世田谷区松原の寄宿先を出たまま行方不明になっていることもわかった。

 遺体に乱暴された痕などはなく、警察は当初、死因は溺死で自殺と処理したが、親族の強い希望で行われた司法解剖の結果、何らかの方法で頸部に圧力をかけられたか、首を絞められたことによる他殺の疑いが浮上。

 胃の内容物がほとんど未消化だったことから死亡推定時刻は3月9日23時ごろ〜10日午前4時ごろと思われ、さらに、膣内と下着から異なる2つの血液型の精液が検出されたことで、3月8日から遺体発見までに2人の男性と肉体関係があったことも明らかになった。

 武川さんは1932年(昭和7年)、東京大学を出て図書館長を務める父親の二女として兵庫県西宮市に生まれた。

 神戸・宝塚の小林聖心女学院を卒業後、上京して新宿下落合の聖母病院看護養成所で看護医療を学びつつ、週2で高田馬場の高田外語学校にも通学。

 1953年、神戸でも歴史のあるキリスト教系医院「万生病院(後の神戸海星病院)」に就職後、患者男性と恋仲になったが相手に妻子があり別れ話に発展する。

 その後、眼科医院に転職し、以前から顔見知りだった県庁職員の男性と結婚を前提に交際するも、ある日、その男性と前出の既婚男性が鉢合わせし口論となり、県職の男性がビール瓶で相手の頭部を割るなどのトラブルが起きたこともあって結婚は白紙状態となった。

競争率100倍を突破した才女だったが⋯

 その後、武川さんは再び上京。キリスト信徒で英語ができたこともあり、1957年春から中野区鷺宮の「聖オディリアホーム乳児院」に住み込みで勤務。

 翌1958年12月中旬、BOAC東京支社の営業部長をしていた義理の叔父の勧めでスチュワーデス試験を受けて採用される。競争率100倍以上を突破した9人のうちの1人だった。

 1959年1月、スチュワーデスとしてのトレーニングが開始され、ロンドン本社で実地研修を受けるなどして2月27日に帰国。3月13日には初仕事として香港行きの便に乗務する予定だったが、その3日前に無惨な姿で発見される。

捜査線に浮上した「ある男」

 殺人事件と断定した警察が聞き込み捜査を開始したところ、BOACの同僚から、ロンドン滞在中の2月7日に一緒に買い物に出た折、武川さんが“日本人男性の手には余るほど大きな皮手袋”を購入していたとの情報が得られる。

 武川さんは誰宛ての土産とまでは明かさなかったが「車のドライビンググローブ用に」と話していたそうだ。

 また、かつて同僚だった乳児院の保母や看護師から、武川さんには“結婚を前提としない相談相手”がいたことが判明する。彼女の手帳に記されていたその人物はベルギー人神父のベルメルシュ・ルイズ(当時38歳)。

 内容から、武川さんとはかなり親密な関係にあることは明白で、急遽神父が捜査線に浮上する。

神父と被害者は「ラブホに行った」ことが明らかに⋯【27歳・CA殺害事件】あまりにも“後味の悪い”その後(昭和34年の事件)〉へ続く

(鉄人ノンフィクション編集部/Webオリジナル(外部転載))