1949年(昭和24年)9月14日、神奈川県小田原市で銭湯を営む一家5人が殺害された。犯人は隣家に住む18歳の少年。

 動機は、女湯を覗いたことを注意されたことへの「逆恨み」だった。死刑判決を受けながら恩赦で減刑、仮出所した後も再び凶行に及んだ、驚くべき事件の顛末を追う。

死刑判決を下した裁判長が「控訴してほしい」と直訴

 犯人の杉山優は1931年生まれ。幼少期に両親と死別し叔父に引き取られた。16歳で窃盗事件を起こし、その後定職にも就けず、小田原市内の下宿屋2階に住んでいた。隣の銭湯「田浦湯」の女風呂を部屋から覗き見することが「趣味」だったという。


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 それを銭湯の主人・石川さんに見咎められたのが事件3ヶ月前の1949年6月。石川さんが目隠し用の簾を立てると、杉山は激怒し、一方的な殺意を募らせていく。同年9月14日の深夜、凶器の包丁と鉈を手に石川家へ侵入した杉山は、一家5人を約40分で惨殺した。奪った現金はわずか600円(現在の価値で約2万4千円)だった。

 裁判では未成年ながら死刑判決が下される。だが驚くべきことに、その判決を言い渡した裁判長・三淵乾太郎が自ら拘置所に杉山を訪ね、「個人としては死刑反対の立場だ。ぜひ控訴審を闘ってほしい」と説得したのだ。それでも控訴審・最高裁ともに死刑は支持され、1951年9月に確定した。

 ところが翌1952年、サンフランシスコ講和条約締結を記念した恩赦により、死刑は無期懲役へと減刑。杉山は模範囚として過ごし、1970年3月、38歳で仮出所を果たす。

 しかしこれが大きな過ちだった。

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 男が犯した「新たな罪」とは⋯⋯。【事件の詳細】は以下のリンクからお読みいただけます。

(「文春オンライン」編集部/Webオリジナル(外部転載))