「34年間ほぼ値上げなし」は異常な時代だった…山手線の運賃が映す”停滞する日本”のリアル

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山手線の初乗り運賃の変化

山手線の運賃が久しぶりに値上がった。

2026年3月13日までは山手線初乗りは150円、IC146円だったが、翌日から160円と155円になった。ICカードだと9円だけの値上げである。

山手線の料金はここのところ、ほぼ値上がらなかった。

山手線の初乗り運賃の変化を並べてみる。

1951年(昭和26年)に10円だった。そのまま15年間10円。

1966年(昭和41年)3月に20円になった。20円時代は3年。

1969年(昭和44年)5月に30円になる。30円時代は7年。

1976年(昭和51年)11月に60円に倍増した。しかも60円時代は1年半ちょっと。

1978年(昭和53年)7月に80円になったが80円時代は1年なかった。10か月だけ。

1979年(昭和54年)5月に100円になったが100円時代はまた2年足らず。

1981年(昭和56年)4月に110円になったが110円時代は1年。

1982年(昭和57年)4月に120円。120円時代は7年続いた。

1989年(昭和64年改元あって平成元年)4月に130円。これが25年と長く続く。

2014年(平成26年)4月に消費税が8%になったのに伴い140円、さらに「ICカード133円」と二重価格を導入。140円時代は9年続き、IC133円時代は5年。

2019年(平成31年改元あって令和元年)10月、消費税が10%になったのに伴い、IC運賃のみ136円に上がった。これは4年間。140円は据え置き。

2023年(令和5年)3月に「150円とIC146円」。久しぶりの本体値上げ。これは3年。

2026年(令和8年)3月に「160円とIC 155円」になった。

34年間も値上げなし

1976年秋まで30円だったものが、1982年に120円に上がって、そこからあまり上がっていない。1989年に10円だけ上がって、そこから25年同じ値段、「消費税を転嫁」を本体値上げとみなさないなら、34年上がっていなかった。平成時代がほぼすっぽり入る。

昭和26年以前の戦後混乱期は、すさまじいインフレだったから並べても比べにくい。

昭和20年終戦時には国鉄の最低運賃は10銭だったが、昭和22年には10倍の1円、昭和26年は100倍の10円になっていた。6年で100倍ですからね、比べようがない。

あらためて眺めると、値上がる時期と、落ち着いた時期が交互にあったのがわかる。

1945年から1951年 0.1円→10円 値上がりの6年間

1951年から1966年 10円時代16年間

1966年から1969年 10円→30円 値上がりする4年間

1969年から1976年 30円時代8年間

1976年から1982年 30円→120円 値上がりする6年間

1982年から2026年 120円→160円 落ち着いた44年間

1976年から1982年の6年で90円上がったのに、1982年から2026年の44年で40円しか上がっていない。まあ、異様である。

山手線周辺で生まれ育った40歳以下の人は山手線運賃はほぼ変わらないものだとおもって生きていることになる。40代半ばから50歳近くまでも含まれるか。

山手線を利用する人々の多くに世界がそう見えているのか、とおもうと、なかなか感慨深い。

束の間のいい時代

私は、1978年春に上京して東京暮らしを始めた。もっとも激しく運賃の上がっていた時期である。

上京1年半前、1976年(昭和51年)10月にはまだ山手線は30円で乗れた。6年たって1982年(昭和57年)4月には120円になったわけである。4倍増である。

さりとて、値上げがひどすぎる、と暴動が起こるような気配もなかった。パンがなければブリオッシュを食べればいいじゃない、と言い放つフランス王妃もいなかった。

よく値上がるよなあ、とぼやきつつ、日常を過ごしていたばかりである。

1978年、昭和53年当時、大学生アルバイトは、だいたい時給が400円ちょっとだった。500円のバイトがあると高給で人気であった。

市ヶ谷の印刷工場に行くと日払いで金をもらえるというので何回か行ったが、これは日払いなので時給が安くなって330円だった。これが最低賃金だった。

それが毎年、おもしろいように上がっていく。

1982年、昭和57年には、出版社のバイトで時給540円もらっていた。4年で100円上がっている。

そういう時代だった。

1980年代の初頭は、なんだかこれからちょっといい生活のできる時代がくるんじゃないかな、という「ぼんやりとした期待」を抱いていた時代だった。束の間のいい時代である。

そしてこれが、実際に土地高騰狂奔時代(1986年から1990年ころ)になると、これはこれで「気を抜くと出し抜かれそう」という空気があったから、あまりいい時代だったとはおもえない。

その前時代のほうが、気配としては私は好きであった。

学生のバイト代は、1981年には時給500円だったが10年経った1991年には時給1000円になっていた。1980年代後半から学生を雇ってバイト代を支払う立場になっていたので、このままでは2000年には時給1500円、2010年2000円になるのかと慄いていたが、そうはならなかった。

そのまま時給1000円が30年ほど続いた。

山手線運賃経緯と、リンクしている。

1980年代後半にあわてて時給を上げすぎだよ、とあとからおもったんだけど、どうしようもない。

650円時代、800円時代、900円時代と刻んでゆっくり上げたら「30年間の停滞感」はなかっただろう、とおもうが人の意志でなんとかできるものではない。停滞感と引き換えに「ものが値上がりしないで過ごしやすい」という恩恵があったので、そこにおさまって過ごしていた。

成長期というのは、急激に値段が上がる時期と、しばらく沈静化している時期が交互に来る、というものだった。止まらず成長しつづける、というものではない。

沈静期が今回はずいぶん長いな、と気づいたときは、もう急激には成長しない社会になっていた。日本はそういう感じである。

そして、いまだ「成長をあきらめない人たち」と「沈滞していてもかまわない人たち」が混在しているのだな、とおもうばかりである。

いま物価はたしかに上がっているけど、昔のようなすさまじい急激さはない。歴史的スパンで見ると、帳尻会わせの時期という感じがしてしまう。

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