なぜ大野雄大は愛されるのか? 「生え抜きのドラ1」という価値以上に人々を惹きつける逆境を跳ね返す不屈の姿勢【中日】

苦しいチーム状況でも熱き投球を続ける大野(C)産経新聞社
「俺が行きます」――自ら直訴したマウンドで見せた男気
今年に球団創設90周年を迎えた中日。だが、ここまでのレギュラーシーズンはうまくいっているとは言い難い。開幕6カードで勝ち越しなし。わずか4勝しか挙げられず、リーグ最下位に沈んでいる。
いまだ開幕して約3週間とはいえ、どうしても「勝利」への思いは募るばかり。そんな数少ない1勝、チーム初勝利を届けたのが、37歳である大野雄大の左腕だった。
【動画】大野が9回1失点の力投、頼れる連敗ストッパーだ
4月2日の巨人戦(バンテリンドームナゴヤ)で、大野は今季初登板を1失点完投勝利で飾った。序盤からボールにキレがあり、打たれたヒットは4本で、与四球はゼロ。9回に失った1点は味方の失策によるもので、自責点もなかった。
お立ち台で大野は「まさか開幕5連敗で回ってくるとは……ほんまにちょっと頼むわ」と、冗談を交えながら笑顔で対応。対照的にマウンド上ではコーチに「俺が行きます」と続投を直訴し、一人で投げ切った。まさに、男気の塊のようなパフォーマンスだった。
竜党の中でも大野を推す声は多い。それは単に生え抜きのドラフト1位というプレミアな価値が付随するから、もしくは長くチームでプレーするベテランだから、というだけではない。愛される理由がしっかりとある。
筆者は大野が歩んだプロとしての人生、その浮き沈みの激しく、紆余曲折を経たキャリアが人々の心を惹きつけると思うのだ。
世代屈指の剛腕として、2010年ドラフト1位で中日に入団。佛教大時代から150キロ超の速球で打者を圧倒する一方、腕をぶん回すような独特な投球フォームは、肩に大きな負担がかかり、春先は左肩のリハビリに時間を費やし、苦労を重ねた。秋口にようやく訪れた1軍デビューのマウンドが、優勝マジック「1」で迎えた巨人戦だったのも興味深い。
13〜15年で3年連続2桁勝利を挙げ、「エース」としての立場を確立した大野だったが、18年にまさかのシーズン未勝利。前年も開幕からなかなか勝てず、初勝利が6月に敵地ZOZOマリンで行われたロッテとの交流戦にずれ込んでいた(この時の涙のインタビューは今も田島慎二コーチのイジリとともに語り継がれる)。
晩年に迎えた理想的なキャリアチェンジ
そこから時の政権のバックアップとともに自信を取り戻し、19年にノーヒットノーラン達成&最優秀防御率を獲得。翌20年には5試合連続完投勝利、45イニング連続無失点などの快投を続け、5年ぶりの2桁勝利(11勝)。自身初の沢村賞にも輝いた。
21年には侍ジャパンの一員として東京五輪金メダル、22年は「延長10回2アウトまで完全試合継続」と、名実ともに球界を代表する投手に君臨した大野。ただ、23年4月に左肘の遊離軟骨除去手術を受け、この年の登板はわずか1試合のみ。ベテランと呼ばれる35歳に差し掛かり、もはやここまでか──と思われたが、ふたたび“復活の時”はやってくる。
24年は復活星を含む2勝、そして昨シーズンは5年ぶりの2桁勝利(11勝)でカムバック賞に輝くのだ。復活してからの大野は速球こそ145キロ前後に落ち着いたが、140キロ前後のカットボールとツーシームに加え、100キロ台のスラーブを効果的に使う「技巧派投手」に変身した。プロ入り当初の若さ溢れるイケイケドンドンなスタイルから、大人の投手へ。理想的なキャリアチェンジに成功した。
もちろん、紆余曲折のキャリアだけでなく、オフに見せるひょうきんな一面もファン層拡大に繋がっているとは思う。チームメイトの証言からも、率先して宴会を盛り上げる姿を度々耳にする。「口から生まれたサウスポー」とはよく言ったものだ。
今月11日の阪神戦(バンテリンドームナゴヤ)は4回4失点で敗戦投手となった。次回の先発予定は18日の同カード、今度は敵地・甲子園で猛虎打線に立ち向かう。何度でも逆境に立ち、跳ね返す。そんな大野の姿をまだまだ見たい。
[文:尾張はじめ]
