本川達雄氏が最新刊について語る(撮影/朝岡吾郎)

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〈僕はナマコなんて嫌いです!〉。ベストセラー『ゾウの時間 ネズミの時間』や〈歌う生物学者〉としても知られる東京科学大学名誉教授・本川達雄氏は、最新作『すごい生きもの春夏秋冬』の冒頭でいきなりそう宣言する。〈僕は世にもめずらしいナマコの研究者です〉と書いていながらだ。

 そもそも動物嫌いだった自身がなぜナマコやウニやヒトデといった棘皮動物を研究することになったのか、その動機を綴った前書きがまず興味深い。〈僕は昭和二三年の生まれ。団塊の世代のど真ん中〉〈小学校の時には「もはや戦後ではない」、中学で「所得倍増」〉〈でも考えてしまったんですね。「これ以上、豊かになる必要があるんだろうか?」〉

 それが高校2年生の時で、〈僕は自分を取り巻いている世界を理解したかった〉〈ちっぽけな自分の好き嫌いや得意不得意は考慮しないで、やるべきことをやらねば〉と考えた本川少年は、文学と理学、心と素粒子の〈真ん中あたり〉を学べる動物学ならどうか、それも脳が発達していない動物なら心に偏りすぎなくていいと、東大理学部生物学科動物学教室に進学。やがて沖縄の瀬底島でナマコやサンゴの研究に勤しむことに。これはそんな個人的な好き嫌いを手放し、何が真ん中なのかを常に見据えた結果、私達の想像を軽々と超えるほど多様で〈上手に生きている〉生き物達との出会いを果たした、ひとりの幸福な科学者の記録でもある。

「大体にして世の中は、人間みたいに脳もサイズも大きくて、複雑な生き物が一番高等で偉いんだとかね。そんなストーリーばっかり作って、本にもそう書かないと満足してくれないけど、僕はその手の脳至上主義をもう卒業したいんです。

 僕は78年から91年まで、琉球大の臨海実験所で専ら海の生き物を研究していて、その中には脳がなくても効率よく生きている小さい生物も多かったから、人間の方が高等とかいう発想がない。むしろ大きな動物ばかり増えて生態系を壊しているわけだから、より大きく長生きという戦略が間違っているともいえるし、生殖活動を終えたらあとは死ぬだけのおまけの人生というのが、生物の基本でしょ?

 でも今はそう言うと怒られるんですよ。というのも現代人は生物を超えたところに人間の尊厳を見ていて、脳に余力があるから技術を駆使して長生きもできると言う方が、みんな喜ぶ(笑)。その点、昆虫なんて体も小さいし、生きてるだけで精一杯だけど、本当によくできてると思うんだけど」

 本書は著者が7年続けたラジオの生放送用の自筆原稿が元になっており、毎回〈三月五日は「珊瑚の日」〉などと、生物関連の記念日に因んだ話題が幅広く語られた上に、最後は必ず歌で締めるのが本川流。〈♪生物多様性おかげ音頭〉など、自らが作詞作曲した計34曲は全て譜面付きで、各話の要点が歌を通じても心に残る趣向だ。

「最初はもちろん怒られました。幼稚園じゃあるまいしとか、沖縄をバカにしに来たのかとか。逆なんです。酸いも甘いも全て歌にする沖縄の文化に感激したから、僕は歌う生物学者になった。

 当時はまだ返還7年目で、僕は一般教養の授業をいじめに近い形で何コマも持たされたんだけど、生物学に大半の学生は興味がない。だから毎回これだけはって思うポイントを歌にしたら、試験の点がグングン上がりだしてね。理詰めで詳しくわかることも大事だけど、イメージで大体わかるってことも、結構大事なんです」

 クマノミとイソギンチャクのように〈一緒に暮らすとどちらにも利益がある〉海の中の相利共生関係や、サンゴ礁の最も目立つ場所に店を開く〈掃除魚〉ことホンソメワケベラの生態。利他的に行動する真社会性昆虫としてアリでもないのにアリと呼ばれるシロアリや、必要最低限のユニットを連結し、水の圧力で土を掘るミミズの〈チューブ・イン・チューブ〉構造など、陸、海、空を問わない生き物達の営みを本川氏は自ら目を輝かせて紹介する一方、そうした多様性のゆりかごのはずの熱帯雨林やサンゴ礁の消失に関しては本気で危惧し、怒るのである。

自分の幸不幸だけ考えるのは間違い

「例えばイクラは鶏卵よりなぜ小さく、タラコはなぜさらに小さいのかなんて、僕も考えたことがなかったし、哺乳類の排尿にかかる時間は人間もゾウもサイズに関係なくほぼ21秒という、〈排尿時間一定の法則〉でイグノーベル賞を受賞したフーさん(胡立徳氏)の話をノーベル賞の季節にしたり、毎回新ネタだから結構大変なんです。それでいて地球環境や共生の話もきちっと、じわーっと、入れていく。

 今の生物学は難解で目に見えない話ばかりしていて、一般の人が読んでもたぶんわからないし、応用に関しても何の役に立つかという話ばっかりして、そればっかりにノーベル賞をくれる。でもそれって正しいことなの? 地球が滅んだら役に立つも何もないよねって」

 そうした危機感を著者は日々ニュースや世界情勢を見ていても覚えるという。

「森なんか壊せというトランプも、借金で現役世代におもねる高市も、マズいですよ。本来なら不景気になろうと次世代の負担は減らすべき。その方がエネルギーの消費量も減るし、そろそろ貧乏でもみじめだとは思わない考え方が出てきても、僕はいい頃だと思うけどな。

 皆さん自分という個体の幸不幸ばかり考えますけど、それは間違った考え方だと樸は思うし、思った通りに動かないのが生物の面白さ。そうした違いに興味がないと生き残れなかったから、僕らは『わっ』『凄い』って興味を持つんだと思います。

 ただし科学的な正しさを世間の人は誤解していて、アバウトな正しさを許さない。だから教科書に事実の話しか書けないんですね。ただ事実をいくら並べても仕方ないように、大事なのはその事実をどう見るかで、なのに大抵の科学者は事実の話はしても価値の話はしない。だから僕が本を書いたりするわけで、何とかあと1冊、最後の新書を書くまでは、頑張るつもりです。もう、おまけの人生だし」

 その根底には沖縄の海に初めて潜り、世界観を覆された時の感動があるといい、「未記載の新種が多数いる海の豊かさや沖縄のことも、自分は何を勉強してきたのかと思い知らされたんですよ。やっぱり人間、現実にぶつかんないとダメね」

 だからこそ守りたいものを守るために本川氏は今後も書き続けるのかもしれず、こういう露悪的でシャイな愛や知性の在り方を、少なくとも筆者は嫌いではない。

【プロフィール】
本川達雄(もとかわ・たつお)/ 1948年仙台市生まれ。東京大学理学部生物学科卒。同大学助手、琉球大学助教授、米デューク大学客員助教授を経て、東京工業大学大学院生命理工学研究科教授。現在は名誉教授。著書に『サンゴ礁の生物たち』『ゾウの時間 ネズミの時間──サイズの生物学』『おまけの人生』『生物多様性 「私」から考える進化・遺伝・生態系』『生きものは円柱形』等。18〜25年までNHK『ラジオ深夜便』内で「歌う生物学」を担当した他、テレビ出演や公開授業等も多数。160センチ、51キロ、A型。

構成/橋本紀子

※週刊ポスト2026年5月1日号