巨人・川上哲治監督が「阪急を勝たせてはいけない」と憤慨した、球審への報復行為【元阪急ブレーブス森本潔 異端児と勇者たちの残響】#18
【元阪急ブレーブス森本潔 異端児と勇者たちの残響】#18
【前回を読む】1969年日本シリーズ第4戦、退場劇後に宮本幸信が大崩れした「本当の理由」
前身となる阪急軍から数え、今年で球団創設90周年を迎えた阪急ブレーブス(現オリックス・バファローズ)。当時のパを代表する名手を幾人も輩出する中、ひときわ異彩を放っていたのが森本潔だ。球界から突如消えた反骨の打者の足跡と今を、ノンフィクションライターの中村素至氏が追った。(毎週木曜掲載)
◇ ◇ ◇
球史に残る大騒動となった1969年の日本シリーズ第4戦。巨人・土井正三のホームスチールの判定を巡って抗議した阪急・岡村浩二捕手がシリーズ史上初の退場となり、西本幸雄監督、コーチ陣も興奮状態のまま、試合は巨人の勝利に終わった。
「俺の見解では、あれはセーフだね。正直言って、あの岡村さんのタッチの仕方では無理やね。タッチするのが遅かったよ。甘かった。それと、土井の走塁が巧かったよ」
と、かつての立大同期生であり、ライバルだった土井の好走塁を賞賛する。本塁突入を三塁から見ていた森本が初めて冷静に語る歴史的証言だ。
しかし、「明らかに誤審」と思い込んでいた阪急ベンチの怒りは収まらなかった。岡村退場後、敗色濃厚となった終盤、交代した捕手が投手の球を捕らず、岡田功球審に「サイン違い」と称してぶつけようとする報復行為に出た。これは、控え捕手の独断で実行できるものではなく、ベンチ(側近のコーチ陣)の指示だった。
これを見た巨人・川上哲治監督は、「岡村君の行為はわからないでもないが、審判に球を当てる行為を見て、阪急にチャンピオンフラッグを渡すことはできないと思った」と語った。
実は、川上監督が阪急ベンチへ苦言を呈したのはこれが初めてではない。この年以前の阪急とのシリーズでの対戦で、ある阪急の外野手が打球を後逸した後、半ば諦めたように球を追った。これを見た川上はベンチで「あんなチームに負けてはいかん」と、選手たちに言ったという。野村克也は生前の自著で、「川上さんと違って、西本さんは選手たちの人間教育をしなかった」と繰り返し指摘しているが、そんな側面もあったことは否めない。後にこの連載でも触れることになる、73年に起きた森本の造反事件も、幾分その辺りに遠因があったのかもしれない。
阪急は3年連続2勝4敗でシリーズに敗退した。しかも後味の悪い負け方で、ダメージは大きかった。
捕手の暴挙がクローズアップされた69年のシリーズだが、この年のレギュラーシーズンに森本は1試合、捕手を務めている。7月30日、西宮球場でのロッテオリオンズ戦。この試合、正捕手の岡村が右肩故障で欠場しており、先発捕手は中沢伸二。二番手・岡田幸喜、3番手・住吉重信には次々と代打が送られ、2対2で延長戦に入り、ベンチ入りの捕手が払底してしまった。
「その時投げていた石井茂雄さんに『お前、やれ』と指名されてね。捕手なんかやったことなかったけど、石井さんはそんなに球は速くなかったし、カーブでも受けられると思ってね。点を取られた記憶はないなあ。もし打たれたり負けたりしていたら覚えているはずだから」
十回表にマスクを被り、無難なキャッチングで無失点に抑える。十一回表は石井に代わり、梶本隆夫が登板。梶本は試合後、「変化球は投げられなかった」と同僚の宮本幸信投手に語ったという。森本はこの回、石黒和宏のファウルチップを好捕して三振に打ち取り、この回も無失点に抑えた。
そして十一回裏、4番矢野清が次打席に控える森本の目の前で、成田文男投手からライトスタンドにホームラン。現役時代唯一の捕手としての出場試合は鮮やかなサヨナラ勝ちだった。
(中村素至/ノンフィクションライター)
