イラスト:霜田あゆ美

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厚生労働省が65歳以上の高齢者を対象にした令和4年度(2022年度)の調査によると、認知症の人の割合は約12%、認知症の前段階と考えられている軽度認知障害(MCI)の人の割合は約16%とされ、3人に1人が認知機能にかかわる症状があることがわかっています。この忘れっぽさは加齢によるものか、生まれ持った性質か――。大野雪子さん(仮名・石川県・パート・76歳)は、引っ越した友人の新居に遊びに行ったところ……。

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表札に書かれた名字を声に出してみるけれど

70代後半になり、なんだか物忘れが進んできたかもしれません。娘たちや旧友たちに言わせれば、今に始まったことではないそうですが。なかでも、笑い話になった事件が2つ。

1つは、70代初め頃のことです。少し前に引っ越した友人F子に誘われ、新居に遊びに行くことになりました。

事前にハガキで転居のお知らせを受け取っていたので、手帳に新しい住所を記入。F子は電話で道順を説明しながら、「方向音痴のあなたでも迷子になりようがないよ」と言います。

当日、教えられた通りにF子の家に向かうと、目の前には家のそばにあると言っていた児童公園が。安堵した瞬間、大変なことに気づきました。「あれ、F子の名字って何だっけ」。

表札で彼女の家を特定しなければならないのに、肝心の名字をど忘れしてしまったのです。いや、でも表札の住所でわかるはず。目星をつけた家の表札を見ると、なんと住所が記されていません。

怪しい奴だと思われないように周囲を気にしつつ、近くの家の表札も確認してみましたが、住所は見当たらず。仕方なく一軒一軒、表札の名字と名前を組み合わせて「××・F子」と声に出してみても、どうにもこうにもピンと来ないのです。

こうなったら、携帯電話でF子に連絡するしかありません。ところが、当時使っていたガラケーはアドレス帳の検索機能が充実しておらず、名字がわからないと電話番号を見つけられない。

私は公園のベンチに腰かけて考えました。ア行、カ行ではなかった。ラ行、ワ行でもない。なぜか自信を持って確信しました。タ行、ナ行が本命か。サ行もありかも、と予想。どこから見ていこう。よし、本命のタ行からいこう。

……あった! 彼女の名前は「ツ」の欄にあったのです。そうだそうだ、ツ××だ。ツ××F子だった。頭文字さえも思い出せなかったのにタ行を本命にしたのは、われながらアッパレではありませんか。

すぐにF子に電話をして事情を話すと、家は道の反対側とのこと。無事に彼女の家に着き、思わずF子に「反対側とは聞いてないよ」と言うと、「たしかに伝えた」と、よくある水掛け論。ま、無事着いたのだからいいじゃないの、とお茶をいただいているうちに、電話で聞いたような気がしてきました。

するとF子が、「私、もしかしたら伝えなかったかもねえ」と言うので、「いやいや、私は聞いたような気がしてきた」と返し、2人で大笑い。それから、名前が思い出せない話で盛り上がりました。

上機嫌で出かけたのに、トイレで鏡を見てあ然

もう1つの話も10年近くさかのぼりますが、これは教訓でもあります。

お世話になっているYさん夫婦とのランチの日。2人が好きなお菓子と、長い間お借りしていた本を鞄に入れておきました。最寄り駅まで徒歩30分かかるものの、5月の爽やかな気候が気持ちよく、歩いていくことに。

上機嫌で駅に向かっていると、ご近所さんが道を掃除しています。私は、後ろから「おはようございます」と挨拶しました。振り返った彼女に「お出かけですか」と聞かれ、「はい」と笑うと、驚いたような顔をして、「行ってらっしゃい」と、もごもご言うのです。

通り過ぎてから、「なんだか変な顔をしていたけれど、私の顔に何かついているのかしら」と不思議に思い、顔を触ってみますが、何もついてはいなそう。

念のため、駅に着いてからトイレの鏡で自分の顔を見ると、やっぱりとくに変なところはありません。思い過ごしだったのか、よかった。そして鏡の自分に、ニッと笑いかけました。

――うわっ、これだ。あ然としました。なんと、入れ歯をつけ忘れていたのです。つくってから日が浅く、気づかなかったのでしょう。

しかも下の前歯2本がないので、口を開けたら、その空洞は一目瞭然。上の入れ歯は奥に2本ずつで外からは見えませんが、つけていないと食べ物を咀嚼できません。顔は合わせられないし、ご飯も食べられない。これはまずい。

なぜ、ご近所さんは教えてくれなかったんだろう、というちょっとした逆恨みのような気持ちと、「よりによってYさん夫婦との食事の日に、あんたは〜」という自責の念が、頭でぐるぐる回っています。しかし、今はこのピンチをなんとかしのがなければ。

お店までは、ここから2時間近く。急いでYさんに電話し、正直に理由を話して謝ると、「えっ、入れ歯だったの」と驚かれ、あなたらしい、と大笑い。

恥ずかしさがこみ上げるも、とにかく家に帰らねば、とタクシー乗り場へ。車は1台もなく、数人が待っています。バス停に急ぐと、次の出発まで20分。意を決し、小走りで家に向かいました。

焦る気持ち、申し訳ない気持ち、鏡に映った自分を見た時のショック。さまざまな思いが交錯するなか、家で入れ歯を装着し、タクシーを呼んで1時間弱遅刻してお店に着きました。

Yさん夫婦に会ってまず平謝りしましたが、そんなこともあるでしょう、と一言。優しい言葉に救われました。私のドジぶりに爆笑しながらお酒は進み、外出時に何を忘れたら一番困るか、という話題に。私はもちろん「入れ歯」と答えました。

「入れ歯以外は、忘れてもなんとかなります。自分の入れ歯って、唯一無二のものです。今日は本当に焦りました。自分の入れ歯が愛おしくなりました」

後日Yさんから、私が酔ってこんなことを言っていたと聞かされ、恥ずかしくなったものです。

あの日、私は手土産のお菓子とお借りしていた本のことをすっかり忘れ、持ち帰ってきてしまったのですが、翌日すぐに郵送しました。今送らないと、この本は一生返せないような気がしたのです。

認知症かな?と思ったら…

大野さんは70代後半になり、物忘れが進んできたかなと感じつつ、まさかの出来事も笑い話で終えることができました。

ただ、「加齢による物忘れ」と「認知症による物忘れ」は違います。

認知症の早期診断・早期治療につなげるために、自分自身のほか、家族・同僚・友人など周りの人について「もしかして認知症では」と思われる症状に気付いたら、一人で悩まず専門医や専門家などに相談しましょう。

<認知症に関する主な相談先>

●地域包括支援センターなど
市町村などに設置されている地域包括支援センターなどの認知症に関する相談窓口を検索できます。
・厚生労働省「介護事業所・生活関連情報検索「介護サービス情報公表システム」」
https://www.kaigokensaku.mhlw.go.jp/

●かかりつけ医
適切な専門医療機関への受診を誘導してもらうため、日頃から受診しているかかりつけ医に相談しましょう。

●医療機関のもの忘れ外来
かかりつけ医がいない場合は、医療機関のもの忘れ外来を受診する方法もあります。
・公益社団法人認知症の人と家族の会「全国もの忘れ外来一覧」
https://www.alzheimer.or.jp/?page_id=2825

●認知症の人と家族の会
・公益社団法人認知症の人と家族の会
https://www.alzheimer.or.jp/

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