母の“反抗”に父はショックを受け…すさまじい暴力沙汰に

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【前後編の前編/後編を読む】妻を抱こうとした、でもできなかった…ある日「妊娠しちゃった」と告げられて それでも「僕が彼女を裏切った」と56歳男性が悔やむ理由

 同性にほのかな恋心を抱く。そういう経験をした女性は少なくないかもしれない。高校生になっても仲よく手を繋いでトイレに行く女子たちはわりといる。女性が男性をも演じる宝塚ファンは圧倒的に女性が多い。ところが男性が女性も演じる歌舞伎もまた、女性ファンが多い。女性は同性同士の愛情に鷹揚なのだろうか。あるいは虚構の世界だからこそ美しければ許容できるということなのか。

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 現実としてはさまざまな調査があるので一概には言えないが、日本における同性愛者は男性1.3パーセント、女性は0.3パーセントという数字がある。

母の“反抗”に父はショックを受け…すさまじい暴力沙汰に

「なかなか生きづらい世の中だったなとここまで生きてきて思います。そもそも僕、自分が同性を好きだといまだにはっきり言い切れる自信がないので」

 河村友満さん(56歳・仮名=以下同)は穏やかな口調でそう言った。休日の昼間に会ったため、パーカーにデニムという若々しいファッションだったが非常にナチュラルで、年齢よりずっと若く見える。

 教育者で厳格な父と、「天使のように」優しい母に育てられた。3歳年上の姉は「さっぱりしすぎた人」というが、彼の心の支えではあるらしい。友満少年は、ふだんはおっとりしていたが、運動会ではその俊足をあますところなく発揮、いつもヒーローだった。

「その日だけね。あとの1年はぼんやり過ごしているような子でした。飛行機が好きで、いつかは飛行機に携わる仕事をしたいと思ってた。うちは羽田空港の近くだったから毎日、飛行機を見に行っていました」

 飛行機のプラモデルを作ったり、撮った写真を部屋中に貼ったりしていた。いつかはパイロットになりたいと夢も膨らんだ。

その一言に母が激怒した

 目指していた都立高校に落ちて私立へ進学したとき、父からひどく怒られた。

「このできそこないが、と吐き捨てるように言われました。父は小学校から国立のみで大学まで出た。母は某県立大卒です。当時、姉は国立大学に受かったばかり。父は国立以外は教育機関じゃないという極端な偏見をもっていたので、いつも母を見下していた。あげく僕が都立高校にも落ちたものだから、できそこないということになったんでしょう」

 ただ、その一言に母が激怒した。父に逆らったことのない母が「あなたは人として間違っている」と冷静に、しかしはっきりと告げたのだ。父はその言葉にではなく、母が自分に指摘してきたことが衝撃だったらしく、いきなり母を殴り飛ばした。その行為に友満さんがショックを受けて気を失った。

「気づくと近所の病院の処置室で、母と僕が並んで寝かされていました。僕はたいしたことはなかったけど、母は頬を陥没骨折、歯も2本折れていた。僕が気絶したあと、姉が父を突き飛ばして、父も肋骨を折ったとか。すさまじいでしょう」

周囲の女性アイドル熱に、ピンとこなかった

 病院長が父の同級生であったため、いろいろ配慮してくれて事件にはならなかったが、それを機に、病院長は母に離婚を勧めたという。父が暴力をふるったのはそのとき1度だけだったのだが、母はそれ以前から精神的DVをさんざん受けていたから、その勧めをすんなり受け入れた。

「病院長が全部、とりはからってくれて、父は別のところに住むことになった。だから僕らはそのまま家に住むことができました。父からはいくばくかの生活費は届いていたらしいです。母は仕事に出るようになりましたが、3人で暮らしているあのころが家族としてはいちばん穏やかで楽しかったなあ。そうそう、その僕が入った私立高校の同じクラスに、すごくいいヤツがいたんですよ。たぶん、あれが僕の初恋の人なんだと思う」

 小中学生のころ、周りの友人がアイドルに夢中になっていても、彼にはどこかピンとこなかった。話を合わせてはいたが、女性アイドルをいいと思ったことはない。

「歌がいいとか見た目がかっこいいとか感じたことはあったけど、心を持っていかれるような感覚はありませんでした。でもその同級生に会うと、ドキッとするんです。それが恋というものなのかどうか当時は判断できなかったし、男が男に恋するなんてあり得ないとも思っていた」

確信がもてない辛さ

 知識として同性を愛するのはあり得るし、そういう人がいるのは知っていた。だが自分が本当にそうなのかと思うと、どう気持ちを整理したらいいのかわからなかった。しかも彼の恋心はほのかで、決して性欲を伴ってはいなかったからだ。自分は同性愛者の中でもさらにマイノリティなのか。

「僕の苦しみはそこでした。公に同性が好きだとは言わなくても、確信がもてれば生きていける。でもあまりにほのかな好意だから、自分を同性愛者だと思ったり思わなかったり。カテゴライズされたいわけじゃない。でも不安が抜けない。10代後半の不安定さに輪をかけて、自分の存在意義を考え続けていました」

晴天の霹靂「再婚しようと思うの」

 姉が大学4年生のときに、彼は某私立大学に入学。父から入学費用が届いたとき「私立大学にお金を出させたことで、父に復讐できたような気がした。浅はかですが、18歳の子の心理なんてそんなものかも」と彼は恥ずかしそうに言った。

「大学は工学部です。当時はパイロットになるための視力条件がまだ厳しかったのと、僕は飛行機が好きだけど操縦したいわけではないと気づいて、パイロットはやめました。飛行機関係の仕事に就ければそれでいいと思っていた」

 姉は大学を出て就職、遠方へと引っ越していった。そして彼が20歳のとき、「天使のように優しい」母は、「再婚しようと思うの」と言いだした。これは彼にとって青天の霹靂だったし、あまりに「大きな裏切り」だったと表情が少し変わった。

「僕が自分自身の性自認や恋についていちばん悩んでいたころだったんですよ。なのに母は、僕らが成人になったとたん、軽やかに女として飛んで行こうとしている。羨ましかったんですね、たぶん。だから大反対したんです」

「あの言葉は怖かった」

 母は困ったような顔をして彼の頬を両手で優しく包んだ。私がこのままひとりで年老いて、あなたに迷惑をかけるような怖いおばあさんになってもいいの? あなたも私もひとりの人間なの。自由に生きる権利があるのよ。

「あの言葉は怖かったです。脅迫以上の迫力があった。ああ、母はもともとこういう人だったんだろうなと思った。父に潰されかかったけど見事に抜け出して、さらなる自由を求めて羽ばたいていく。僕は太刀打ちできなかった」

 姉は母の再婚に最初から賛成だった。賛成というよりは「好きにするのがいちばん」という立場だ。母は姉の言葉に力を得たのか、さっさと自宅を売り、息子のために小さなマンションを購入し、さらりと再婚していった。相手は職場で知り合った、バツイチの男性だという。会ってみると感じのいい人だったが、深く踏みこむつもりはなかった。「母の2度目の夫」として最低限のつきあいをしていこうと姉とも話し合った。

「でも不思議なことに日が経つにつれて、母の再婚相手の存在が僕の心の中で大きくなっていったんです。会いたいというわけじゃないけど、常に彼の面影が離れない。母の再婚相手だからなのか、僕の好みなのかわからない。ますます苦しくなりました」

 大学を出て機械関係の会社に就職を決めた。飛行機に関係する企業だったから、彼は何もかも忘れて仕事に打ち込もうと決めた。

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 自身の「愛するかたち」が曖昧なまま、社会人として生活を始めた友満さん。【記事後編】では、そんな彼が始めた結婚生活と思わぬ終局、現在に至るまでの半生を紹介している。

亀山早苗(かめやま・さなえ)
フリーライター。男女関係、特に不倫について20年以上取材を続け、『不倫の恋で苦しむ男たち』『夫の不倫で苦しむ妻たち』『人はなぜ不倫をするのか』『復讐手帖─愛が狂気に変わるとき─』など著書多数。

デイリー新潮編集部