在りし日の衣笠氏(C)日刊ゲンダイ

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【大人気連載プレイバック】#68

【プレイバック】寝ている僕の腹に「ドスン!」 鉄人・衣笠祥雄さんの“踵落とし”に襲われた

■長嶋清幸氏による「ツッパリ野球人生」(第20回=2008年)を再公開

 日刊ゲンダイではこれまで、多くの球界OB、関係者による回顧録や交遊録を連載してきた。

 当事者として直接接してきたからこそ語れる、あの大物選手、有名選手の知られざる素顔や人となり。当時の空気感や人間関係が、ありありと浮かび上がる。

 今回も前回から引き続き故・衣笠祥雄氏について語られた、長嶋清幸氏による「ツッパリ野球人生」(第20回=2008年)を再公開。年齢、肩書などは当時のまま。 

  ◇  ◇  ◇

 死球で指を骨折しても、肋骨にヒビが入っても、衣笠(祥雄)さんは試合を休む気などこれっぽっちもありません。87年に引退するまで2215試合連続出場の世界記録を作った鉄人ですが、記録のために試合に出続けていたわけではないことは誰もが知っています。古葉監督も、戦力にならない選手を試合に使う人ではありません。

 今ならX線検査の結果、即選手登録抹消。「全治1カ月」と診断されそうな大ケガでも、衣笠さんは決して痛い顔を見せずに全力でプレーします。

「グラウンドに出たら言い訳はしない」

 鉄人の背中はそう教えてくれます。

 骨折してもバットを振り続ける姿を見てきたボクらは、打撲程度の“軽傷”で試合を休むわけにはいきません。

 84年の巨人戦。一塁に出たボクはリードを大きく取ります。セットに入った加藤(初)さんの右足が動きます。

「牽制だ!」

 慌てて頭から帰塁すると、右手中指を思い切りベースに突いてしまいます。患部はズキズキ痛み出し、いつのまにかぷっくり腫れています。試合後病院でX線を撮ると剥離骨折の診断。レギュラーに定着してまだ2年目。長期間欠場してポジションを手放すわけにはいきません。

入団1年目の左足骨折で顔なじみになった担当医に無理を言って、取り外しのできるサック式のギプスをつけてもらいます。次はチーフトレーナーの福永(富雄)さんです。

「骨折のこと、古葉監督には黙っててもらえませんか……」

 チームトレーナーは、選手の体調、ケガの状態を正確に報告する義務があります。今ならこんなことは絶対に許されませんが、福永さんは何もいわずわがままを聞き入れてくれたのです。

 翌日の打撃練習、ボクのスイングを見た古葉監督は、すぐにトレーナーを呼びます。

「おい、マメの右手はおかしいんじゃないのか」

「いや大丈夫です。ちょっと指を突いただけですから」

 福永さんは顔色を変えずに答えます。

 ボールを打つたび痛みは激しさを増しますが、顔に出すわけにはいきません。

 痛み止めのクスリは日を増すごとに量が増え、胃腸の具合もすぐれません。やがて口内炎や口の周りに炎症を起こし食欲も落ちてきます。そんなボクの前に大きく立ちはだかったのが、この年2人で30勝を挙げた巨人の江川(卓)、西本(聖)の両右腕でした。(この項おわり)

▽ながしま・きよゆき 1961年11月、静岡県浜岡町出身。79年自動車工高からドラフト外で広島入団。チャンスに強い打撃と好守の外野手として広島の黄金時代を支える。83年国内初の背番号「0」。ゴールデングラブ賞4回、84年日本シリーズは3本塁打を放ちMVP。91年中日移籍、93年ロッテ、94年から97年阪神。現役引退後は、野村、星野、落合監督のもとで、阪神、中日の打撃、一軍守備走塁コーチなどを歴任。06年オフ中日退団。通算1477試合、1091安打、107本塁打、448打点、94盗塁、打率.271。170センチ、81キロ、左投左打。