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<天下一の補佐役>豊臣秀長の目線で歴史をダイナミックに描く、夢と希望の下克上サクセスストーリー・大河ドラマ『豊臣兄弟!』(NHK総合、日曜午後8時ほか)。ストーリーが展開していく中、戦国時代の武将や社会について、あらためて関心が集まっています。一方、歴史研究者で東大史料編纂所教授・本郷和人先生がドラマをもとに深く解説するのが本連載。今回は「浅井長政」について。この連載を読めばドラマ本編がさらに楽しくなること間違いなし!

<この大河の最重要場面>平伏する大名を前に微塵の笑みもない秀吉・秀長…『豊臣兄弟!』不穏すぎる冒頭シーンがコチラ

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長政の子を産んでいた市

前回、浅井長政の居城である近江・小谷城にて信長の妹・市と再会した信長たち。

久しぶりに会った市は娘の茶々を産み、すっかり母の顔になっていました。

一方で、満面の笑みで茶々を抱く藤吉郎の背景には「これが後の世に豊臣家を創った者と、終わらせた者の出会いでございました」とのナレーションが流れるなど、この先に待つ不穏な未来を予感させる展開でもありましたが…。

今回はその市の夫、浅井長政の読み方について考えてみたいと思います。

“あざい”?それとも“あさい”?

テレビドラマを見ていると、「あざいながまさ」という呼び方に接することが多くなりました。


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歴史に造詣の深い方とお話していても、同様に「あざい」と発音されている。

「あざい」は市民権を得ている感じですが、「あさい」から「あざい」への変化がおきたのは、たぶん平成になってからですよね。ぼくが若い時分は間違いなく「あさい」でしたから。

背景には、現地の読み方に従おうとする近年の傾向や、研究者・メディアの判断が積み重なっているのかもしれません。

どちらの可能性も捨て切れない

固有名詞の読み方は難しいですね。ずっと「あさい」読みがされていたのが「あざい」になった。

『角川地名大辞典25滋賀県』によると、「あざい」の項目が立っていて、現在のびわ町一帯の広域称、との説明があります。

ということは、現地では「あざい」と発音している。それで、同地域を領していた戦国大名の姓も「あざい」とするようになったのでしょう。

ただし、この地名、古くから「あざい」だったのかどうか。近江国12郡の一つ、浅井郡を『大八洲記』は「阿座胆」、すなわち「あざい」と読んでいますが、『和名類聚抄』は「阿佐井」すなわち「あさい」と訓注しています。

『大八洲記』は、江戸時代中期の享保8年(1723年)に京都の儒学者・地理学者である鴨祐之によって纂輯された地誌であり、『和名類聚抄』(略称は『和名抄』)は平安時代中期の承平年間(931年 - 938年)、源順が編纂した書物。

これを見ると、「あざい」か「あさい」か、どちらの可能性も捨て切れません。

『平清盛』の時代考証にて

ぼくもこれに似た事例を体験しています。2012年に大河ドラマ『平清盛』の時代考証を務めさせていただいていた時のことです。

治承4年(1180年)に源頼朝が伊豆で挙兵すると、平清盛は討伐の軍勢を東国に送りました。頼朝も関東の大軍を率いて迎え撃ち、両者は駿河国の富士川を挟んで対峙しました。

遠征で士気が低下していた平家方は、水鳥の羽音を源氏勢の奇襲と勘違いして敗走。これが有名な「富士川の戦い」です。

この戦いがドラマで取り上げられる少し前、制作陣に宛てて地元の方からハガキが届けられました。

もうすぐ「富士川の戦い」が起きることだろうが、あの川は「ふじがわ」ではない。「ふじかわ」(阪神の「藤川」監督と似たイントネーション)だから十分に気をつけて欲しい、そう指摘して下さったお便りでした。

地元でそう呼んでいるならば、と慌てて「ふじかわの戦い」にしたと記憶しています。

全体のガイドラインを話し合う時期が来ているのかも

さらに私事になりますが、ぼくは卒業論文で紀伊国の名手荘の年貢のあり方を分析しました。それで後年、放送大学の講義でこの荘園を取り上げ、収録を済ませました。

すると、講義を聞いた方から、「本郷は『なでのしょう』と発音しているが、現地では「なて」と言っている。改めるべきではないか」と指摘が。

主任講師の判断で、ぼくは急遽スタジオに赴き、10カ所の「なで」読みを「なて」と改めることになりました。

こうした事例はきっとたくさんあるでしょう。人の名前も地名も、本当はどう発音していたのか、資料が残っていない場合がほとんどです。

何を一番の基準とするべきか、個々の事例に個別に対処するのではなく、全体のガイドラインを話し合う時期が来ているのかもしれません。