「THE ANSWER」のインタビューに応じた競歩の岡田久美子【写真:松橋晶子】

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競歩・岡田久美子インタビュー

 競歩日本代表として、3大会(リオデジャネイロ、東京、パリ)連続で五輪に出場した岡田久美子さん(富士通)が、「THE ANSWER」のインタビューに応じた。度重なるケガに苦しみながらも、日本選手権女子20キロ競歩7度優勝、2018年アジア大会女子20キロ競歩3位、世界選手権6大会連続代表入りの実績を積み上げ、25年11月に現役引退を表明。逆境を乗り越えて築いたキャリアや、引退後に見据えている目標などについて語った。(取材・文=長島 恭子)

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「引退」を覚悟したのは、パリ五輪の選考会を3か月後に控えた2023年秋のことだった。

 2015年の日本選手権で初優勝を飾って以降、日本のトップランナーとして走り続けた競歩の岡田久美子。2016年のリオ大会で、目標としていた五輪出場を果たすと、続く東京大会でメダル獲得、そして8位入賞を目標に女子20キロ競歩に臨んだ。しかし、結果は15位。100メートル後ろから8位の選手がゴールする姿を見ることになり、悔しさが残った。

「次のパリ大会まで頑張ろう」。岡田は24年のパリ五輪を競技人生の集大成と決め、再スタートを切った。

 事故は23年8月、世界陸上が開催されるブダペストに向かう直前に起きた。羽田空港に到着後、スーツケースを横にしようとかがんだ瞬間、体から“パシッ”という音がした。

「あ、(腰を)やったわ……と思いました。出国に向けて代表選手たちは集まっているし、すぐには誰にも伝えられなかった。そのうち腰が腫れ、冷や汗が止まらなくなり、コーチである夫(森岡紘一朗/ロンドン五輪男子競歩日本代表)とトレーナーに『やっちゃいました』と伝えました」

 現地到着後も、試合までは1週間ある。出国が迫るなかブダペストに飛ぶことを決断。急場しのぎで湿布を貼り、飛行機に乗り込んだ。

「ありがたいことにビジネスクラスだったので、席で横になれました。でも13時間のフライト中は不安で、不安で、ちょっと泣きながら、終わった……と考えていました」

 現地に到着後、すぐにドクターの診察を受けると、想像どおり腰椎捻挫を起こしていた。試合に向けて少しずつ動かすようにしていたものの、痛みは首にも伝播。「残念だけど、今回は欠場しましょう」。岡田にとってつらい決断が下された。

「一つ前の日本選手権で35キロの種目に初めて出場。日本記録を出し、世界選手権でも同種目で出場予定でした。疲労が抜けず、体のバランスを崩している感覚もありましたが、タイム的に入賞、もしかしたらメダルを狙えるかもしれないと思い、頑張っちゃったんです。でも、ちょっと体が持たなかった」

 帰国後も、体はなかなか良くならなかった。首も痛い、腰も痛い。椅子に座ることさえできず、日常生活もままならなかった。「あぁ、何にもできない」。パリ五輪の選考レースが3か月後に迫るなか、体は一向に改善する気配がない。岡田はついに「引退」を考えた。

「『もう競技はできないかもしれない』『引退したい』と、泣きながら夫に何度も訴えました。夫は辛抱強く、『辞めるという選択はいつでもできる。もう少し頑張ってみようよ』と話をしてくれた。そのおかげで段々と落ち着き、前を向くことができました」

「切羽詰まった状態」から日本記録で一気に好転

 岡田は解剖学の研究者の下、改めて骨格や筋肉の作用を学び、姿勢や呼吸を見直すことから始める。治療やエクササイズに取り組み、故障の要因となったゆがみの改善にも努めた。そして、いよいよ24年2月に迫る選考レースを前に、元旦競歩にエントリーする。

「体が良くなっている実感はありましたが、練習量が足りないという不安もつきまといました。レースが近づくにつれて怖くなり、またケガをしたらどうしよう、やっぱり出場しないほうがいいのかなと、本番の2日前までグジュグジュ言っていましたね」

 本人曰く、当日は「切羽詰まった状態」でレースに出場。ところが、ふたを開けてみれば絶好調。女子10キロ競歩の日本記録を叩き出した。

「距離はわずか10キロ。でも、歩いている途中から、これまで支えてくれた人たちの顔が次々と浮かんできました。そうしたら『このままじゃ終われない!』と今までにない闘志が爆発。途中からめっちゃスピードが出て、止まらなくなりました」

 そしてラスト1周。「日本記録が出るぞ!」という声が聞こえると、目の前がパッと明るくなった。

「ケガをした8月からずっと、辞める、辞めると泣いてばかりいて、暗闇のなかにいる気分でした。でも一気に目の前が明るくなり、『え、そうなの? よし、頑張るぞ!』と、急にポジティブな人間に変わったんです(笑)。ゴールした瞬間は、『よし、このままパリに行けるぞ!』という気持ちになっていました」

 その後、パリ五輪代表選考レースとなる2月の日本選手権で、派遣設定記録を突破。言葉どおり、五輪出場を決めた。そしてパリ五輪では男女混合競歩リレーに川野将虎(旭化成)と出場。悲願の世界大会8位入賞を果たした。

「パリ大会前、池田向希選手(旭化成)と出場した世界チーム競歩選手権で2位になり、『本番もメダルが欲しい』という気持ちになりました。もちろん、メダルが獲れなくてすごく悔しい。でも、トップ8という大きな目標を達成した喜びもあった。だから気持ちは、嬉しさと悔しさの半分半分かな」

「五輪を目指す選手であるならば、現実はどんなに遠かったとしても、メダルは目指すべきもの」。これは岡田が現役時代、常に口にしていた言葉だ。

 パリ五輪後しばらくすると、岡田は東京で開催される25年の世界陸上に向けて気持ちを切り替えた。「最後はこれまで応援してくれた人たちの前で、メダルを獲って終わりたい」。その気持ちがモチベーションになった。

「もう34歳。はたから見れば、メダルは難しいというのが現実です。でも、最後までプロの競技者として『強くなりたい』という気持ちを忘れずにやり尽くそう、と覚悟を決めました」

 世界陸上の選考レースとなる25年2月の日本選手権では、自身のセカンドベストを記録。「最後の最後まで出し切りたい」強い気持ちが、またもや好タイムを手繰り寄せた。

「30歳を過ぎて、27歳の記録に次ぐ記録が出たのはやっぱり大きなこと。『諦めずにやってきて良かった』と、素直にすごくうれしかった。

 その後の7か月は長かった。順調な時もあれば疲れで踏ん張れない時もあり、改めてピーキングの難しさを感じました。でも、できることはすべてやり尽くした。パリ後の1年間は、本当に頑張ったと思います」

最後に飛び込んできた“予想外”の言葉

 25年9月、東京世界陸上女子20キロ競歩の舞台に、岡田は立った。しかし残り1周、夢だったメダルも、入賞も厳しいことを悟る。気持ちを「メダル獲得」から「レースを楽しむ」ことにスイッチした。

「沿道には馴染みのあるたくさんの人たちが応援に駆けつけてくれました。これが本当に、競技人生最後のレースになる。最後の1周くらいはみんなの顔をちゃんと見て、声を聞いてゴールしたいと思いました」

 高校、大学のチームメートに、幼馴染や知人、そして家族。一人ひとりの顔を見ながら一歩一歩、踏みしめた。

 そして、いよいよロードから競技場へと向かおうという時だった。

「岡田さーん! これまでありがとー!!」

 思いもよらぬ言葉が耳に飛び込んできた。驚きで、涙が止まらなくなった。

「頑張れ、という言葉は今までたくさんかけていただきました。でも、最後の最後に『ありがとう』なんて、言われると思っていなかった。ビックリして超泣いてしまい、呼吸もうまくできなかった」

「ヤバい、思い出しても泣きそうになる……」。岡田は目を潤ませながらも「私の号泣ポイントは二度ありまして」と、楽しそうな様子で最後のゴールを振り返った。

 一度目は、『ありがとう』の言葉を心に受けとめながらゴールした瞬間。そして二度目は銅メダルを首にかけた藤井菜々子(エディオン)の姿を認めた時。日本女子競歩、世界大会史上初のメダル獲得。その夢が実現したことを知った。

「藤井さんが駆け寄り、私にメダルをかけてくれたことにもビックリしました。しかも、『岡田さんがいたから、ここまで来れました』と言葉をかけてくれた。その言葉は、私もゴールしたら絶対、藤井さんに言おうと思っていたんです。『藤井さんのおかげで私は最後まで頑張れた』って」

 19年のアジア大会から、代表選手として共に歩んできた。その藤井と同じ気持ちでいたことに、言葉にならないほど感極まった。止まらない涙にかき消されぬよう、必死に同じ言葉を返した。

「泣いていてうまく言葉にならないし、会場の音も大きかったので、もしかしたら藤井さんには聞こえなかったかもしれない。でも、一生懸命、伝えました」

 高校時代から将来を嘱望された。大学卒業後は周囲の期待を背負い、日本女子競歩を牽引してきた。だが、ケガを繰り返すなど、「もうダメかもしれない」と思うことは何度もあったという。

「でも、『自分は弱い』『まだまだだ』という気持ちをずっと持ち続けていたからこそ、強くなる努力を続けられた。最後の最後まで、世界でメダルを獲りたいっていう気持ちを持ち続けて、ストイックに、信念を貫き通したことは誇りに思います」

 19年間、選手として生きた。これからは、誰かを支える形で競歩に携わっていきたいと話す。

「いろいろありましたが、人との出会いに恵まれた競技人生でした。苦しい時は必ず、誰かが手を取り、すくい上げてくれた。そのおかげで、34歳まで第一線で、競技を続けることができ、幸せに思います。

 今はまだ、女子選手を教える女性の指導者が少ない。競技だけでなくジュニア期から体や心の悩みにも寄り添えるよう、今後は指導者を目指して、しっかり学び、経験を積みたい。そしていつか、世界に通用する競歩の女子選手を育てたいです」

 小学生の時、シドニー五輪で見た女子マラソンの高橋尚子に憧れ、五輪を目指した。次は世界の舞台を夢見る子どもたちに、諦めず、挑戦し続けることの素晴らしさと誇りを受け継いでいく。

■岡田久美子 / Kumiko Okada

 1991年10月17日生まれ、埼玉県出身。熊谷女子高入学後、競歩を始める。立教大を経て、2014年にビックカメラ入社。15年日本選手権の女子20キロで初優勝すると、翌16年のリオデジャネイロ大会で五輪初出場を果たした。22年、前年に結婚した夫・森岡紘一朗氏(12年ロンドン五輪競歩男子日本代表)がコーチを務める富士通に移籍。25年9月の世界選手権を最後に引退した。現役時代の主な成績は日本選手権女子20キロ競歩7度優勝、18年アジア大会女子20キロ競歩3位、世界選手権6大会連続代表入り(最高位は19年ドーハ大会の6位入賞)。五輪は20キロで16年リオデジャネイロ大会(16位)、21年東京大会(15位)、男女混合競歩リレーで24年パリ大会(8位)に出場。美しいフォームにこだわり、警告3回で失格となる競歩において一度も失格することなく現役を退いた。5000メートル、1万メートル、35キロ、10キロ競歩の日本記録保持者。

(長島 恭子 / Kyoko Nagashima)

長島 恭子
編集・ライター。サッカー専門誌を経てフリーランスに。人物インタビュー、ヘルスケア、ダイエット、トレーニングの分野を軸に、雑誌、書籍等で編集・執筆を行う。担当書籍に『すごい股関節』『世界一伸びるストレッチ』(中野ジェームズ修一著)など。