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2026年ミラノ・コルティナ冬季五輪で史上最多24個のメダルを獲得した日本代表。しかし、その歓喜の裏で、SNS上では誹謗中傷という根深い問題が広がっていた。

ケガにより大会を棄権したフリースタイルスキー女子の近藤心音選手は「もし選ばれても次は辞退して」といったダイレクトメッセージ(DM)が届いたことを明らかにしている。

JOC(日本オリンピック委員会)は対策チームを設置し、投稿をモニタリング。出場選手やスタッフに向けられた匿名の誹謗中傷について、1919件の削除をSNSのプラットフォーム事業者に申請し、うち371件の削除を確認したと公表した。

アスリートを取り巻く誹謗中傷の問題の背景について、元フィギュアスケート選手で、現在は誹謗中傷問題に取り組む冨田昂志弁護士に聞いた。

冨田弁護士は、大学からフィギュアスケートを始め、2010年には国体に静岡県代表として出場。大手IT企業で開示請求や削除請求対応に携わり、プラットフォーム側の立場から問題を見つめてきた。現在は、被害者側の相談にも取り組んでいる。(弁護士ドットコムニュース編集部・塚田賢慎)

●歓喜の裏で深刻化する「SNSの刃」五輪アスリートが標的にされる理由

──なぜ五輪アスリートは標的になりやすいのでしょうか。

五輪期間中は、選手や競技をよく知らない人も観戦します。選手への共感が乏しくなりやすく、選手をよく知る人であれば口にしないような言葉まで発してしまいがちです。

大会を棄権した近藤選手に「次は辞退しろ」とDMを送った人がいたと報じられましたが、五輪選手は、常人には耐えられないほどの厳しい練習を積み重ねています。

その努力を想像できないまま、落選した選手もいる中で、批判の気持ちを抑えられず、極端な言動に走ってしまうのでしょう。

被害を受けるのは、性別を問いません。フィギュア男子シングルの金メダル最有力候補だったイリア・マリニン選手(米国)はSP首位からフリーで崩れて8位に終わりました。試合後、自身のSNSで「卑劣なオンラインの憎悪は心を攻撃する」と投稿し、誹謗中傷の被害を示唆しました。

男子フィギュアの三浦佳生選手も五輪前に誹謗中傷の被害を明かしています。

●「1ミリのズレ」が命取りになる世界で心に入り込む中傷

──誹謗中傷は選手のパフォーマンスに影響しますか。

フィギュアは、競技が始まれば最後まで孤独です。音楽が鳴り始めたら途中で止めることはできません。技を失敗しても投げ出せず、緊張や失望を抱えたまま演技を続けなければなりません。

氷との接点はブレード1枚。頭の位置や体の角度がほんの少し違うだけで、技の成否が大きく変わります。同じ選手が同じプログラムで滑っても、心理状態が違えば同じ演技にはなりません。とても繊細なスポーツです。

私自身、極度の緊張で、足の感覚がなくなり、自分が滑っている実感が持てない試合もありました。逆に、心理状態が良いときは、何をやっても失敗しないと思えるときさえあります。

試合前に誹謗中傷を目にしてしまえば、「自分がどう思われているか」という思考に囚われます。そうなれば、絶対に良い演技はできません。

これはフィギュアに限らず、スノーボードのハーフパイプなど個人競技、チームスポーツでも避けられないでしょう。

●「痛い」「しんどい」選手の大変な姿も本当は見て知ってほしい

多くの人は、アスリートの「美しい瞬間」だけを見ます。

しかし、選手たちの重ねた練習に思いを馳せてほしいです。よく「血の滲む努力」と言いますが、決して誇張ではありません。選手は実際に血を流しながら練習しています。

フィギュアは常にケガと隣り合わせです。ジャンプでは、着氷する片足に尋常でない負担がかかります。

転べば、アザが何日も消えず、強い痛みが続くことがあります。ジャンプの失敗が骨折や脳しんとうにつながることもあります。視聴者には伝わりにくいかもしれませんが、美しく見える氷は岩のように硬いのです。

私も、新しいジャンプに挑戦する時は、常に失敗やケガの恐怖と闘っていました。

それでも、技術を磨き、限界を超えるためには、何度も挑戦し、何度も転ばなければなりません。痛みやケガの恐怖を乗り越えて、表舞台に立っているのです。

「ただ滑っている」ように見える動作も、体幹、足首や膝を限界まで使う高度な技術です。体への負担は大きく、ケガのリスクも高いです。多くの選手が30代を待たず競技を離れるのは、体の回復が追いつかなくなるからでもあります。

メディアでは良いところを取り上げますし、つらい練習の様子が公開されることは少ないですが、ぜひ、その現実を知って、可能な限り具体的に想像してもらいたいと思います。そうすれば、生身の人間に投げかけるべきでなかった中傷の言葉は変わるはずだと思います。

●「違法かどうか」の前に考えてほしいこと

──加害者には「誹謗中傷をやめよう」というメッセージが届きにくい問題もあります。

誹謗中傷が名誉毀損や侮辱にあたるか、民事上の不法行為になるか、刑事罰の対象になるか──という法的な注意喚起も弁護士として伝えたいところです。

しかし、法的に違法とまで至らない発言であっても、選手に深いダメージを与えることがあります。

たとえば、「日本の課題はアイスダンスだ」という指摘は競技への健全な批判です。

たしかにフィギュアは団体で銀という素晴らしい結果になりましたが、一方で、客観的に見て、アイスダンスは伸び悩んでいます。

アイスダンスを世界トップクラスの実力に伸ばすことは、スケート連盟としても一丸となって取り組まなければいけない課題と理解しているはずです。

しかし、「アイスダンスが足を引っ張ったから金メダルを逃したんだ」という表現はどうでしょうか。実際にこのような書き込みを目にしました。

違法かどうかは微妙であるとしても、これを聞いた選手の心はえぐられるでしょう。

アイスダンスの選手も、日々、身体への負担やケガの恐怖に打ち勝ちながら、スケーティングや技の技術を磨いています。血の滲む努力をしているのです。

今回のオリンピックでも、メダルが遠のくかもしれないという凄まじいプレッシャーがある中で、選手は役割を果たし、銀メダルに貢献しました。私は、敬意の念を禁じ得ません。

こうした血の滲む努力、プレッシャーを想像した時に、「アイスダンスが足を引っ張ったから金メダルを逃したんだ」という表現を、本当にできますか?

法律論を超えて、問い直したいことがあります。

〈その言葉を、選手の目の前で、顔を見て言えますか〉

違法かどうか以上に、その想像力を持ってほしいのです。

●プラットフォームの葛藤、メディアの影響

JOCの誹謗中傷対策チームは、AIも駆使して投稿削除を実現したといいます。根本解決ではありませんが、選手を守るための素晴らしい取り組みだと思います。

一方、プラットフォーム事業者は「表現の場」の提供者として、法やルールに違反しない表現やユーザーを守るべき立場でもあります。

削除等の判断は微妙なケースが少なくなく、日々難しい判断に直面しています。AIを駆使して誹謗中傷を抑制する工夫も見られるところですが、プラットフォーム事業者は、誹謗中傷とユーザーや表現保護との間で常に葛藤を抱えています。

メディアの報道はどうでしょうか。

言うまでもなく、選手の活躍に関する報道は必要不可欠です。他方で、フィギュア女子シングル銅メダルの中井亜美選手について、フリーの演技直後の仕草が大きく取り上げられました。ペア金メダルの「りくりゅう」こと三浦璃来選手、木原龍一選手ペアの関係性も大きく取り上げられています。

このように、競技の本質とは直接関係のない話題を強調する記事を量産することが誹謗中傷を助長する土壌につながらないか、私はとても心配しています。

「嫌ならSNSを見なければいい」という声もありますが、選手側がSNSの利用を制限されるいわれはありません。

中井選手は今年1月、公式SNSのアカウントを持たない理由について、アンチのコメントを見て嫌だと思うなら、最初からやらない方がいいと思った、などと説明したそうです。

SNSにおける誹謗中傷の現状を見ると、残念ながらそうした判断は現実的と言わざるを得ません。

誹謗中傷については、様々な責任論や意見が渦巻きますが、「誹謗中傷をする人が悪い」ことは繰り返し伝えていきたいと思います。

とりわけ、まだ学生の選手たちがSNSの渦に巻き込まれていく現状を、私たちは真剣に受け止める必要があります。

3月24日から、世界フィギュアスケート選手権が始まります。きっと数多くのドラマが展開されることでしょう。

少しでも誹謗中傷が減り、選手への配慮ある投稿が増えることを祈っています。

【取材協力弁護士】
冨田 昂志(とみだ・たかし)弁護士
大阪大学法学部2010年卒業。国内大手自動車メーカーや裁判所勤務を経て、2022年4月に弁護士登録。大手IT企業で社内弁護士として開示請求などの対応に取り組んだ。奈良弁護士会所属。フィギュアでは「ダブルルッツ」が得意だった。インターネットトラブルに関するサイト(https://tomida-law.jp/)
事務所名:わかくさ法律事務所
事務所URL:https://wakakusa-law.com/