“KY”の2文字が刻まれた革製トランクから「クビを斬られた男の胴体」…日本初のバラバラ殺人事件「鈴弁殺し」の“かつて例のないほど無残”な犯行
一般に「猟奇的な事件」で思い浮かぶのは「バラバラ殺人事件」というむきも多いのではないだろうか。ベテラン捜査員によると、バラバラ殺人事件は「被害者の身元が特定されれば犯人検挙は早い」という。犯人が被害者と面識があり、その関係性を突き止められぬように、あるいは事件の発覚を遅らせるために、死体をバラバラにすることが多いから、というのがその理由だ。日本で最初のバラバラ殺人と、昭和初期に起きた特徴的な事件を検証したい。(全2回の第1回)
【貴重写真】日本で初めてのバラバラ殺人「鈴弁殺し」事件で凶器に使われたバットと法廷に並ぶ被告たち
トランクに刻まれた「KY」って誰だ?
わが国犯罪史上、最初のバラバラ殺人事件は、先に被疑者が割れるというケースだった。その発覚は、大正8(1919)年6月6日の夕方(午後4時ごろ)。新潟県三島郡大河津村の信濃川下流の岸辺に、革製のトランクが流れ着いているのを牛乳配達員の男性が発見した。男性はいったん村に戻り、仲間を連れて現場に引き返す。トランクの中身は“お宝”の山だと期待していたのだが……。

これが「鈴弁殺し」と呼ばれる、事件の幕開けである。
〈フタを開けると異臭が鼻をつき、中から首がなく、両手がついた男の胴体が現れたから大変だった。「いまだかつて例のないほど無残で醜悪面を覆うような殺人の方法」(当時の報道)と騒ぎとなった〉(三木賢治著『事件記者の110番講座』毎日新聞社刊より)
長さ約73センチ、横約42センチ、深さ約22センチのトランクの両側面には、「KY」の文字が刻印されていた。新潟県警察部(当時)が捜査を開始して間もなく、長岡駅の赤帽(駅で客の荷物を運んでいた係。現在の「赤帽」の由来になっている)から、「一等車で東京からきた二人連れの紳士に、このトランクを運ばされた」との証言を得る。その電車の長岡着は遺体発見の3日前、6月3日の午前8時だった。該当する列車は、前日の午後8時に上野駅を出発した、新潟行きの急行だった。
さらに、信濃川の渡し船の船頭への聞き込みから「男の二人連れがトランクを川に捨てた」との目撃証言を得る。そしてその二人は、新潟県中之島村の医者の息子で、農科大学(現在の東京大学農学部)出身の農商務省技師、山田憲(当時30)の知り合いだと明かしたのだ。「山田憲」、まさに「KY」である。そしてほどなく、トランクを捨てた二人は山田の従兄であるA(39)、山田の部下B(27)と判明する。
〈事件は急転直下、山田を主犯とする三人組の犯行と判明。被害者は強欲さから「ズル弁」とも呼ばれていた横浜の外米問屋の「鈴弁」こと鈴木弁蔵(当時六十五歳)。米相場に手を出して失敗した山田に金を貸した見返りとして「自分を農商務省の指定商人にしろ、できなければ金を返せ」などと迫ったことから、〉(前掲書)
5月31日の夜、山田は家族を外出させ、自宅に鈴木を招いて酒でもてなし、隙をみてバットで殴った後に絞殺、翌1日の夜に遺体を解体、2つのトランクに分け、AとBを呼び出し、急行で長岡に向かわせた……。
山田は事件前年の1918年4月に設置された、農商務省外米管理部の主任だった。当時は第1次世界大戦の影響で米の輸入量が減少し、外米の価格が高騰していた。そこで政府は価格が高騰していた外米の輸入を政府管理とすることで米価を調整し、外米管理部が指定する商店に公定価格で販売させる代わりに、店には所定の手数料を払い、損失が出れば補填することになった。ここに鈴弁は食い込もうとしたのだ。
後に山田は死刑(大正10年4月2日、執行)。Aは懲役1年6カ月、執行猶予3年。Bは懲役10年の判決がくだった。
お歯黒どぶに浮かんだ遺体
新しいタイプの犯罪は全国に模倣犯を呼び込む。「鈴弁」事件以降、殺人で遺体を処理する際に解体する事件が相次いだ。そんな中、初めて「バラバラ殺人事件」という言葉が公式に使われた事件が、鈴弁事件から13年後の昭和7(1932)年に起きる。
「お歯黒どぶ」といえば、もとは吉原遊郭のまわりを取り囲むようにできていた側溝。遊女たちが逃走するのを防ぐために設けられたというが、彼女たちが毎日、そこでお歯黒を落として流すため、すっかり水が黒くなり「お歯黒どぶ」と呼ばれるようになったという。
だが、かつての「玉の井」(現在の東京・墨田区東向島)の遊郭にあった「お歯黒どぶ」は、水が黒色でも、ごみや動物の死骸などが捨てられる、きわめて汚い側溝だった。昭和7年3月7日午前9時ごろ、お歯黒どぶの横を歩いていた少女が下駄を落としてしまい、親が棒を手にどぶの中をかき回したところ、ひもで縛られた包みが浮かんできた。しかも、どぶをかき回したことで、黒い水に血のような赤い色が混ざり始める……。
驚いた親子が近くの交番に通報、警察官が包みを開けてみると、首と両手を切断された人間の上半身の遺体が出てきた。すぐに付近を捜索し、どぶさらいをすると2つの包みを発見。両足を切断した腰から下腹部、さらに頭部が発見された。警視庁捜査第1課の調べで、遺体をくるんでいた紙はハトロン紙で、3つの包みは同一人物、30歳前後の男性との解剖結果が出る。泥水のしみ込み具合から、遺棄されたのは、発見の前日ではないかとの推定も出た。しかし――。
指紋採取のために必要な手足部分が発見されていない。また、頭部は鈍器のようなもので激しく殴打されていたらしく、人相も変わっていることが想定されたことから、被害者の身元の特定は困難を極めた。
それでも、被害者の顔には「富士額に八重歯」という特徴があることをもとに、現場付近で行方不明者や家出人がいないか、聞き込み捜査も展開されたが、有力な情報は浮かんでこなかった。
「手も足も出ない」
〈この間、新聞各紙は競い合うように事件を報道した。毎日新聞の前身、東京日日新聞は「特徴は八重歯」と死体の八重歯の写真まで掲載。ライバル紙の東京朝日新聞は、手足と腹がなかなか見付からなかったため、「手も足も出ない 犯人捜査」という駄じゃれを使った見出しの記事を載せたりもした。〉(前掲書)
被害者の身元も特定されず、捜査陣は困惑――まさに犯人の思惑通りの展開となっていったが、この事件から正式に「バラバラ殺人事件」という呼称が一般化することになる。
〈実は「バラバラ」を最初に使ったのも朝日で、第一報から「首と手足バラバラ 男惨殺体現わる」と記した。毎日は「八つ切り死体」、他紙も「八つ裂き」「こま切れ」などと呼んでいたが、捜査が長引く間に「バラバラ」に統一された。(略)警察も採用、以後は「バラバラ事件」の呼び名を使い出した。この事件は「警視庁史」に初めての「バラバラ事件」として登場している。〉(同)
迷宮入りかと思えたこの事件。意外な端緒から被害者の身元が判明、一気に解決へとつながっていくことになる。
【第2回は「『オレはヘマはしない。見つかる心配はない』…25歳の殺人鬼がたどり着いた“恐ろしい結論” 完全犯罪が崩れた『隅田川で発見された証拠』とは」】
デイリー新潮編集部
