シーズンを通じて主力として活躍した阿部。J1初昇格に尽力した。写真:金子拓弥(サッカーダイジェスト写真部)

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 J1昇格が決まった瞬間、喜びを噛み締めた。古傷を再発させた5年前の出来事は忘れもしない。以降は出場機会を思うように掴めず、昨季は秋田で武者修行を積んだ。全ては自分の未来を紡ぐため――。2024年の12月7日、岡山のCB阿部海大にとって一生忘れられない日になった。

 J1昇格プレーオフのファイナル。J2の3位から6位が争うレギュレーションで、歓喜の瞬間を迎えられるのは1チームだけ。一発勝負のトーナメント戦において、リーグ戦5位の岡山はホームで同6位の仙台を迎え撃った。

 今季J2で34試合に出場している阿部は、仙台戦も3−4−2−1の3バック右で先発。正確なビルドアップと推進力を活かして攻撃の出発点となり、本来の仕事である守備でも機動力と強さを武器に存在感を示した。

 チームは24分に左ウイングバックのMF末吉塁の鮮やかなループシュートで先制し、61分には途中からピッチに入ったFWルカオのパワフルな突破から、最後は右ウイングバックの本山遥が加点。2−0で勝利したチームはJリーグ参入16年目で初のJ1昇格を決め、主力としてシーズンを通じて活躍した阿部も喜びを仲間と分かち合った。
 
 東福岡高時代から将来を嘱望され、U-18年代以降は定期的に世代別代表に選出。2019年のU-20ワールドカップを目ざすチームでもラージグループに入り、大舞台に立つべく岡山で研鑽を積んだ。

 2018年に高卒で加入した岡山では1年目から出場機会を掴み、7試合で1ゴールをマーク。上々のスタートを切ったが、2年目の19年に高校時代に患ったグロインペイン症候群に苦しむ。

「1年目に少し試合に絡ませてもらったのに、2年目は監督も代わって勝負だと思っていたなかでの怪我。8か月プレーできず、本当に苦しい時期でした」

 2年目の19年シーズンは一度も試合に出られず、目標のひとつにしていたU-20ワールドカップ出場も叶わなかった。怪我が癒えた3年目は5試合、翌シーズンは16試合に出場。徐々に出番を増やしたが、迎えた5年目は12試合に留まり、飛躍のきっかけを掴めずにいた。

【画像】末吉塁&本山遥のゴールで快勝!岡山がクラブ創設20年目で悲願のJ1初昇格達成!|J1昇格プレーオフ決勝 岡山2−0仙台
 転機となったのが、2023年シーズンだ。経験を積むべく、阿部は秋田への期限付き移籍を決断する。すると開幕からレギュラーポジションを掴み、最終的に35試合に出場。初めて1年間を通じてレギュラーとして活躍すると、自信を深めた成果は今季に表われる。阿部は言う。

「本当にちょくちょく試合に出るくらいで、シーズンを通して試合に出ることが昨季までなかった。そのなかで去年、秋田に行かせてもらって、1年を通じて試合に出ることで得た自信を今季に反映させられた。試合に出られていない時にコーチやトレーナーの話を聞きながら積み上げてきたので、それが今季に繋がっている」
 
 岡山に戻った阿部は開幕から右CBのレギュラーとなり、安定感のあるパフォーマンスで木山隆之監督の信頼を得る。「1つのミスが失点に繋がる。場面に応じてどんなプレーをするべきかを学べたので、その経験は大きい」(阿部)。そして、迎えたプレーオフは準決勝、決勝ともにスタメンに名を連ねた。昇格を決めた仙台戦は90+1分でお役御免となったが、チームへの貢献度は絶大だった。

 気がつけば、プロ入りから7年。遠回りをしたなかで、ようやく納得がいくシーズンを送れた。紆余曲折もあったが、後悔はない。「高卒で入団した岡山でJ1昇格を掴めたことが本当に嬉しい」とは阿部の言葉。最高の笑顔で仲間のもとへ駆け寄った男は、さらなる飛躍を目ざし、次のステージに足を踏み入れる。

取材・文●松尾祐希(サッカーライター)