レディコミの女王・井出智香恵先生(撮影/山田智絵)

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「“マーク”はまだ、メールを送ってきます。『ハニー、どうしているの』と」

【写真】詐欺師が送ってきた巧妙なフェイク画像(提供・井出智香恵)

 ため息まじりでこう語るのは、週刊女性で『朽ちぬ愛を抱き続けて』を好評連載中の、漫画家の井出智香恵先生(73)だ。

 井出先生といえば、“レディコミの女王”として知られるベテラン漫画家

 先生の作品として特筆すべきが、1989年より週刊女性で連載された『羅刹(らせつ)の家』だろう。嫁姑の闘いを“羅刹=人をたぶらかし血肉を食らう地獄の鬼”のうごめきになぞらえたこの作品は、当時大ヒットし、ドラマ化もされた。

 そんな日本の漫画家を代表する先生が、なんと4年間にわたり、まさに“羅刹”の魔の手に支配されていた――。

SNSをきっかけに出会ったのは凶悪な詐欺

「ツイッターで知り合い、心を寄せてしまった“マーク”に、要求されるがままに多額のお金を送り続けました。総額にして7500万円くらいになると思います。でも、私が“マーク”と信じていた人物は、凶悪な詐欺師だったんです」(井出先生)

 つまり井出先生は、近年世界的な犯罪として問題となっている“国際ロマンス詐欺”の被害に遭っていたのだ。

 “マーク”とは、イタリア系アメリカ人のハリウッド俳優、マーク・ラファロのこと。エミー賞受賞者でもあり、アベンジャーズシリーズのハルク役などで知られる人気俳優だ。

 遭遇のきっかけは、2018年の春ごろ。もともとマーク・ラファロの大ファンだった井出先生のために、先生の次女が彼の公式ツイッターを見つけ、井出先生のアカウントから“いいね!”をたくさん押したことだったという。

「その後、ツイッターのダイレクトメッセージに、“マーク”からメールが来るようになったのです。英文ですし、最初は相手にしていなかったのですが、試しに自動翻訳にかけてみたら、映画やドラマの撮影スケジュールなどが書かれていたりして“本人かも?”と思うようになって……。

 そのうえ、彼がしゃべっている動画も送られてきたんです。それを次女と一緒に見て、すっかり信じてしまいました」(井出先生)

100万円単位で金額が増えていく

 井出先生は自動翻訳を使って、彼と積極的に交流するようになった。

「まずうれしかったのは、彼が私の作品を知っていたことでした。私が描いた『源氏物語』の英訳を、(女優の)エマ・ワトソンにすすめられて読んだことがある、と。私のことを、自立してとても知的な女性だと、褒め称えてくれたのです」(井出先生)

 ますます親しくなっていくふたり。“マーク”は井出先生に、次第に深刻な話もするようになっていった。

 いわく、妻とはうまくいってなくて、離婚の話し合いをしている。だが離婚が確定するまで、自分の財産や収入を裁判所に差し押さえられることになっている。だからあなたに協力してほしい。

 ドバイに(日本円にして)12億円置いてあるので、あなたに送る。離婚が成立したらあなたに半分渡す。ただ、受け取りなどでいろいろ手数料がかかるので、それを立て替えてほしい――。

 大切な彼のためならと、井出先生はお金を用意することにした。“マーク”の要求は次第に細かくなっていく。お金はオランダの米国大使館で職員をしている友人が持っていくが、彼らの飛行機代が数十万円。

 税関を通るのに、口利き料を支払わなくてはいけないから100万円。彼らの日本国内の移動費が数十万円……。それを、知り合いの日本人の口座に振り込んでくれ、と。そんなやり取りが続いたという。

「証拠だとして、大使館員だという男性が大量の札束の前にいる写真や、その男性のものだという米国のパスポートなどの身分証明書の画像も送られてきました」

 その後、“大使館員”は部下をひきつれ、井出先生の自宅にやってきて、 “マーク”から預かったという荷物を見せた。

「私と次女の前で、大使館員は黒く塗られている紙を取り出し、そこに液体をかけました。するとドル札に変わったのです。『こうして規定以上のドル札を持ち込んでくるから、待っていてほしい』と言い、帰っていきました。その際にも彼らに、“マーク”に言われた手数料を100万円ほど手渡しました」

 “マーク”からの要求は続く。「妻に見つからないうちに君あてに映画のギャラを送った」「映画祭で受賞した賞金を送った」と連絡が来るも、金はいっこうに入らず、結局は手数料や口利き料を指定先に振り込んでくれ、となるばかり。

 “マーク”とのやりとりでは、こんなこともあったという。

「『東京コミコン2019』のゲストにマークが来日するというニュースを見たんですね。だったら会いに来れるでしょうと。“マーク”を責めると『妻にバレたらどうするんだ』と逆ギレされました」

「それ以外でも、マークが移動中に交通事故に遭ったので、手術費用が必要だからと国際送金で金を送ってくれとか。彼は財産を差し押さえられているから、自由に使えるお金がほとんどないのだと言っていました。

 3年を過ぎるころからはさすがに蓄えも尽きてきて、お金になりそうなものは片っ端から売ってしまいましたし、ほうぼうからお金を借りました。私は漫画家になって以来、最もお金がない状態になってしまいました……」

 完全にマインドコントロールされた井出先生の肩を揺さぶり、なんとかわれに返らせたのは、先生の長女と、長年付き合いのある出版関係者たちだった。

「私に送られてきていたメッセージはアフリカ系の英語で、アメリカ人の使う英語ではなかったそうです。ITに詳しい人からは、送られてきた動画や証明書などの画像がすべて偽物だと説明されました。

 私としてもうすうす本物のマークではない、と感じもしていたのですが、『そんなわけない!』と、必死に信じ込み続けようとしていたように思います」

巧妙な手口からは「逃れられない…」

 井出先生の体験について、国際ロマンス詐欺ジャーナリストの新川てるえさんがこう解説する。

「典型的な国際ロマンス詐欺の手口ですね。しかも、アフリカ系のナイジェリアやガーナの犯人に多い手口です。あの国の多くの人たちは、国の施策でITの技術を持ってはいるのですが、仕事がないため、ごく一部の人が当たると大きく稼げるロマンス詐欺に手を出すのです。

 画像や動画の加工はお手のものですし、人の心理を操る方法など詐欺のやり方を教えている学校もあるほどです。彼らのやり口は実に巧妙ですから、だまされた人をむやみに責めることはできません」

 凶悪な詐欺師という“羅刹”に、地獄へ突き落とされた井出先生。深い悲しみと苦しみがまだ残る。今、何を思うのか。

「だまされたのは本当につらい経験でしたが、子どもたちが許してくれ、『お母さんは女手ひとつで私たちを必死に育ててくれたのだから』と、警察へ付き添ってくれたり借金返済などで支えになってくれていることに救われています。

 そして今の私の誇りは、だまされている間も仕事だけは完ぺきにこなしてきたということです。ファンを裏切りたくない。この経験を漫画や小説に書いて、みなさんが同じ被害を受けないように警鐘を鳴らしていきたいです」

 前出の新川さんはこう続ける。

「この手の詐欺は、人の優しさにつけ込んでその人をコントロールしていく、本当に卑劣なものです。かつ海外からやりとりする場合がほとんどなので、日本の警察の捜査にも限界があります。

 井出さんのように、最初は相手のためを思ってなのですが、そのうちつぎ込んだお金を少しでも取り戻そうと必死になるため、要求を断ることができなくなってしまうのです。SNSで親しくなりたいとやってくる外国人は、まず詐欺目的と考えたほうがよいでしょう」

 “羅刹”の餌食になる人たちがいなくなることを願うばかりだ。

「全告白!国際ロマンス詐欺漫画家が陥った“偽りの恋”」
初回放送日: 2022年1月23日(日)23:00-23:49 @NHK BS-1
https://www.nhk.jp/p/bs1sp/ts/YMKV7LM62W/episode/te/3GJZMGYG5L/

PROFILE●井出智香恵(いで・ちかえ)●1948年2月、長野県生まれ。1966年に少女漫画家としてデビュー。スポ根もの『ビバ!バレーボール』が一世を風靡する。次第にレディス・コミックに発表の場を移して大ブレイク。2018年にはGUCCIが『ビバ・バレーボール』のコラボ商品を発売し、大英博物館の漫画特集展ではメインに展示された。これまでに描いた原稿は約10万ページ。

(取材・文/木原みぎわ)