何年も前から「日本のエロ本はこのオリンピックで絶滅する」と言われてきた。実際に日を追うごとに媒体は消えていき、2019年の夏にはほとんどのコンビニから一掃された。

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 エロ本はもはや虫の息である。

 本連載は、社会人として最初に足を踏み入れたのが「エロ本業界」だった筆者が綴る、その終わりに最期まで身を置いた関係者たちの“今”であり、その最後の闘いの記録を遺すものである。

「故郷」は今、燃え落ちようとしている。


2019年の夏にはほとんどのコンビニから成人向け雑誌が一掃された ©️iStock.com

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「状況は相変わらず厳しいです。ただ、まだまだ終わらせませんよ。『俺の旅』は、俺の人生。『俺の旅』=生駒明なんです。一昨年、休刊という死刑宣告を受けましたが、夫唱婦随。やつが死ぬなら俺も死ぬ。俺も一緒に海に入るつもりでした。そう。天に召されたのち、一緒に生まれ変わろう……あの時は、そんなことを考えていたと思います」

 2019年4月10日、一冊のエロ本がその役目を終えた。

「俺の旅」(大洋図書)

 2003年7月の創刊から15年9ヵ月。現場の体験ルポをこだわりとし、日本全国の風俗・裏風俗を慈しむように行脚してきた異端の風俗雑誌。その編集長を14年もの間務めてきたのが、“イコマ師匠”こと生駒明氏である。

 エロ本業界で、彼が“師匠”と呼び親しまれる所以は、おそらく日本一ともいえるその風俗取材に基づく情報量だろう。筆者は旧くからイコマを知っているが、彼ほど傷だらけになりながらも、風俗に一途であり続けた人間を他に知らない。誰よりも風俗へ通い、風俗を愛し、風俗に殉じた末に同化していった彼を、周囲は「歩く風俗案内所」「夜の水戸黄門」「18禁のレインマン」などとからかい半分で呼んだ。

 イコマは孤独だった。

 大家族の三男坊。壮絶な家庭環境だった。高校生のときに割れた瓶で腕を刺された。

 ここにいたら未来はない、お先真っ暗、人生をやり直したい。そんな思いから、なんとかして現状から逃れようと必死で勉強し、実家から遠く離れた地方の大学へと進んだ。

 だが、絶望的な閉塞感の中で息を殺して生きる日々が続く。学生時代は抗うつ剤を飲むほど自分の無力感に打ちひしがれていた。やっとの思いで大学を卒業後、新卒で就職できずに塞ぎ込む。希望、恋人、お金、友達、車……など、すべてを無くしてから、再起を期して就職した編集プロダクションで出会ったのが“風俗記者”という天職だった。

 何かから逃れるようにわき目もふらず一心不乱に仕事をした。不器用な男である。一点集中、世間ズレしていた部分もあってか、周囲からバカにされたこともあったが、そのたびに身を助けてくれたのは風俗だった。

 いい風俗を知っていることで周囲に認められ、愚直に地道な取材を重ねることで取引先の出版社からスカウトを受けた。頑張れば頑張った分だけ、社内での評価は上がり、読者からは感謝され、編集長にも出世した。思うようにならず、生きていることが辛くなった夜には、たとえそれが商売だとわかっていても、ぬくもりを得ることで明日を迎えることだって出来た。

「時間の問題だとわかっていました」

「そう。僕の人生は風俗によって助けられたんですよ。風俗があったから生きてこられた。本気で思っています。だから『俺の旅』はただの本じゃないんですよ。僕の半生を注いだ、僕の分身。僕の妻であり、僕の子供。

 だからと言ってね、僕はエロ本撤退の沙汰を決めたコンビニ業界に感謝こそあれ、恨みなんてないんですよ。ええ。殺されるのはね……寿命。遅かれ早かれこうなることは時間の問題だと皆わかっていましたから」

 休刊の直接的な原因は、2019年の春、セブン-イレブンを皮切りに、主要コンビニエンスストア各社が夏を目途に成人向け雑誌の販売取りやめを決定したこと。コンビニへの配本が9割という「俺の旅」が、販路という命脈を絶たれた以上、生き残る術はなかった。

「風俗雑誌が時代のニーズに合わないことも、女性や子供の目に触れさせたくない理屈もわかります。反対派の意見もまったくその通り。意見する気もありません。ここ数年の紙のエロ本は、社会という刀にバッサリと斬られ、血まみれでのたうち回りながらも土俵際で粘っていただけです。ここまでよくやりましたよ。数字的には2010年頃からずっと右肩下がりでいつ死んでもおかしくない状態でしたから、コンビニ撤退の決定で会社は即断でした。

 まぁ、終わってスッキリしているところもあるんです。これで肩の荷が下りる。私も最終号と共にやっと死ねますよ。責任を取ってね。会社を辞めようかなと」

2003年に生まれた「俺の旅」

「俺の旅」は2003年に大洋図書の系列ミリオン出版(現在は大洋図書に吸収)で創刊された。男の旅先での娯楽である、地方の名産を喰らい、土地の女を抱くという昭和の社員旅行のようなコンセプトを持った情緒強めの旅情系雑誌。創刊編集長の比嘉健二氏からの誘いで当時若手のフリーライターだったイコマ氏が編集部に招かれると、翌年には実質的な編集長の役割を任された。

 当初は売り上げも芳しくなく、「次号が悪ければ休刊」という土俵際まで追い込まれたこともあった。そこでイコマは、自らが足で稼いだデータベースを駆使した「全国ソープランドMAP」を盛り込むなど、圧倒的な情報量を武器に結果を残すと、“本番至上主義”を前面に押し出す誌面構成で、エロ本業界に“イコマ在りや“の旗を立てる。全ページにわたりおっさんがメシを食い、おっさんが女を抱いて、その成果を文章とマンガでリポートする。欲望を極端なまでに隠さないこの雑誌は、2008年に最高部数8万部を発行するまでになった。

 ただ、この雑誌が成立したのは、当時は全国各地に“裏風俗”と呼ばれる、ちょんの間や本サロなど個性豊かな非合法本番風俗店がまだ数多く残っていた背景があったからだ。それも2004年の歌舞伎町を発端に、やがて全国各地へ伝播していく浄化の波によって裏風俗は壊滅する。ダマしダマされ、たまの大当たりや、常識の範疇を越えた大スペクタクルロマンを経験させてくれた、ある意味でレポートのし甲斐のあった風俗産業も、その多くが“書きどころの難しい”画一的なデリヘルへと変わっていった。

 そして地方のネオンライトが消えるのと呼応するかのように、出版不況にエロ本の自主規制。表紙には「俺の旅」の生命線だったド直球すぎる見出しが婉曲な表現に変わり、リーマンショック後にごっそり広告が消え失せると、命綱の取材費も、3人いた部下も消えた。背中の夢に浮かぶ小舟に乗り、イコマはたった一人、アテのない“俺の旅”を続けることになった。

制作費がなければ自腹を切る

「ガマンの連続でした。どこの店にも忖度しないで、全国を旅しながら、各地の裏風俗を含む、“本当に優良な風俗店”をしっかり取材して紹介する。それがうちの存在意義でしたからね。制作費がないから、取材に行かず広告を出してくれた店の情報を“優良店”と掲載できたら楽ですよ。多くのエロ本はそうやって質を落としたんです。

 だけど『俺の旅』は違う。誌面づくりに妥協したことはありません。記事の質には徹底的にこだわりました。制作費がなければ自腹を切る。移動は深夜バスにLCC。マンガ喫茶に宿泊して経費を切り詰めてでも風俗に行く。そして、悪いものは悪いと言い切る。何故って、読者が待っているからですよ。本当のいい店を風俗ファンに届けたいからですよ。風俗ファンの風俗ファンによる、風俗ファンのための雑誌。それが『俺の旅』なのですから」

 それは編集長と媒体という関係性を越えていたのかもしれない。

「俺の旅」は、まるでイコマ自身の操を立てるかのように、決して権力に阿らない、民主的な風俗雑誌であり続けようとした。風俗に興味のない人からは目に映るだけでも不快なものであり、自分が日陰者であることは重々に承知している。

 だからこそイコマには譲れない信念があった。「風俗は素晴らしいものだぞ! 風俗は楽しいぞ! 風俗で幸せになれるんだぞ! 拒絶する人がいるのも仕方がないが、それは、あなたたちが本当の風俗を知らないだけだ!」という信念が。「俺の旅」は、そんな“素晴らしい風俗”のありのままを伝えるための媒体だった。

 しかし、だ。いくらカッコいい信念を元に“ありのままの裏風俗”を書いたところで、「日本では本番自体が非合法だろ」「裏風俗称賛って犯罪助長じゃないか」なんて突っ込まれたら、返す言葉などありゃしないのだ。結局は21世紀になってもあやふやにされ、お目こぼしされてきた性風俗の“あそび”の部分が、“イコマ師匠”というオンリーワンを生んだという自己矛盾をどこかに抱えていた。

編集後記に綴られたメッセージ

「でもそれこそが、一般庶民が享受してきた自由の証明なのです。風俗と聞いて、エロ本と聞いて、本番と聞いて、眉を顰めるご婦人らもおられるでしょう。子供には見せてはならないですし、風俗なんてその世界を知らない人が偏見で見るのはあたりまえですよ。

 ただね、男も女も、生きていくためにそれが絶対に必要な人たちが一定数いる。僕自身が風俗に人生を救われた人間だからわかるんです。『俺の旅』には僕のような人間が生きていくために必要な情報が載っている。僕が風俗にいく度に『こういうものが欲しいな』『うれしかったな』と感じたものを集めましたから。それらに呼応してくれたファンは全国に山のようにいます。毎月、ハガキが来るんですよ。『唯一の愛読書です』『表紙をめくる瞬間が人生で一番楽しい』とかね、熱量が凄いんだ。バカにするかもしれませんけどね。そういう人らは、毎月毎月、『俺の旅』が出ることだけを楽しみにしていてくれた。

 彼らのことを思うと休刊は本当に残念ですけど、悲観はしていない。いいですか。覚えておいてください。『俺の旅』は一度死にますが、必ずや復活するでしょう。世の中に伝えたい。『俺の旅』はあなたたちを見捨てやしない。何があっても大丈夫だ。決して悲観することはない。俺が救ってやる。世の中はそんなに捨てたもんじゃないと僕が伝えてあげたいんです」

 イエス=イコマの預言と共に禁書扱いで磔にされた「俺の旅」は、2019年4月10日発売号をもって休刊となった。その編集後記には1Pにわたる編集長イコマ師匠からのメッセージが掲載された。

 何かが終わるということは、何かが始まるということです。俺の旅はこれから時代に合った新しい形に生まれ変わります。(中略)皆さま少々お待ちください。長期間持続可能なメディアに変身した俺の旅を楽しみにしていてください。

「GoogleやAppleに並ぶ世界企業にしたい」

 この休刊は、奇しくも延命のために10年近くもの間“社会”という形に自らを押し込み擬態していたイコマというモンスターを解き放った。その思想は世界を変えるのか、それとも外気に触れた途端死んでしまうのか。

「何度倒されても、『俺の旅』は何度でも復活してみせます。そこに性欲がある限りね。今までの15年間は助走期間。これからがガチンコの本番です。1000年続けますよ。会社を辞めても、僕が死んだとしても、魂たちが寄り添い続いていく1000年企業の礎、風俗における徳川幕府のような仕組みをこれからつくりたいんです。当面は紙の雑誌での復刊を目指しますが、まずはデジタルでの展開を本格的に進めていきたいですね。現実は厳しいけど、ぜひ一緒にやりましょう」

「俺の旅」をGoogleやAppleに並ぶ世界企業にしたいんです――。そう言って差し伸べられた手を前に、どうすることもできなかった。頼るものは人の性。ビジョンも現実感も突拍子もない、あまりにも雲を掴むような話だ。この独立はイコマにとって人生を賭けた関ケ原なのだ。昔の自分のような人生を悲観する人、愛を乞う人たちに、旗の下へ集えと呼んでいる。“あたたかい家庭のような場所を作りたい”というイコマの情念がほとばしっていた。

 2019年6月。いいフーゾクつくろうイコマ幕府。

 志はある。

 そこでしか生きられない人たちのために――。

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 時代の中で休刊に至った「俺の旅」……。逆風の中で迎えた2020年、世界中を襲ったコロナ禍の波が、容赦なく襲いかかった。そのとき、“イコマ師匠”は――。(後編に続く)

日本の“エロ本“は消えるのか…伝説の編集者が語る「想像しうる限りで最悪の事態」 へ続く

(村瀬 秀信)