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ピニンファリーナ社でボディを生産

text:Greg Macleman(グレッグ・マクレマン)photo:Luc Lacey(リュク・レーシー)translation:Kenji Nakajima(中嶋健治)

 
非現実的な、大胆な発想。例えば、カクテルのトムコリンズに使う氷を北極から運んでくる。きっと美味しい1杯になる。

では、キャデラックのラグジュアリー2シーターを、イタリアのカロッツエリア、ピニンファリーナ社に依頼するのはどうだろう。デザインだけでなく、車体の生産まで。こちらの仕上がりも、悪くはなさそうだ。

キャデラック・アランテ(1986〜1993年)

1986年に発売されたキャデラック・アランテは、ボディとインテリアをイタリア・トリノで生産。アリタリア航空とルフトハンザ航空が運行するボーイング747に積まれて、アメリカへ空輸された。

ジャンボ機1機に積めたアランテは56台のみ。アメリカに到着すると、現地で組み立てられていたエンジンや足回りとマリアージュ。イタリアへ戻るジャンボジェットで、アメリカから必要な部品を運ぶ。空荷の回送ではもったいない。

アランテをヨーロッパで販売する時は、完成車両が再び空の旅を楽しんだ。こんなビジネスモデルを、ジャスト・イン・タイムで生産管理する現在の工場管理者や起業家に提案したら、めまいで倒れてしまいそうだ。

専門家でなくても、コストが高くなることは明らか。だが当時のキャデラックにとっては、メリットも多かった。

キャデラック・ブランドを擁するジェネラル・モータース、GMは、デトロイトのフィッシャー・ボディ工場を閉鎖。先進的なクルマの設計や生産に対応する力を失っていた。既存の量産ラインを、少量生産に対応したものへ効率的に改める技術も、持ち合わせていなかった。

イタリア生産の事例は少なからずあった

一方のピニンファリーナ社には、その準備が整っていた。数千kmという距離の隔たりはあったものの、アメリカン・ブランドとの経験も古くから積んでいた。

1931年、ピニンファリーナを創業したバッティスタ・ファリーナは、アラブの富豪から依頼を受け、ボートテール・ボディのスピードスターを制作。狩猟のための格納シートが付いたクルマで、エンジンはキャデラック製のV型16気筒を載せていた。

ボーイング747に積まれるキャデラック・アランテのボディ

1959年には、エルドラド・ブロアムの制作で再びコラボレーション。今回のテーマ、アランテのようにイタリアで組み立てられ、アメリカへ運ばれている。その時は船で。

エルドラドより以前にも、いくつかの例が存在している。アメリカのハドソン社は、トリノのコーチビルダー、ツーリング社と協働。AMCに合併吸収される前に、イタリアン・デザインのモデルを生み出した。

デトロイトでデュアル・モータースを立ち上げたユージン・カサロールは、クライスラー製のシャシーをイタリアのギア社へ運搬。再びアメリカへ運び、デュアル・ギアというモデルとして販売した。

しかしハドソンもデュアル・モータースも、成功といえる結果は残せていない。ハドソン社の新モデル計画は、25台を生産した時点で中止。キャデラック以上の高額なクルマになることが、その理由だった。デュアル・ギアも、売れるほど赤字になる始末。

エルドラド・ブロアムも、いい結果は残せていない。生産された数は、100台以下だったという。

シャシーはエルドラドがベース

少なくない失敗事例と、大西洋という障害が立ちはだかっていたが、キャデラックは高級2シーターの生産に踏み切る。クラスを牽引していた、メルセデス・ベンツ560SLに対抗するため、構想は1982年から練られていた。

ビッグ3の1社とピニンファリーナ社とのモデル開発は、依頼する側、される側以上の関係性で進められた。ピニンファリーナ社がディレクションに深く関わり、GMのチーフデザイナー、デイビット・ヒルは毎月1週間はトリノに滞在するほど。

キャデラック・アランテ(1986〜1993年)

キャデラックがアランテの開発をスタートさせた当初、ライバルと同じフロントエンジン・リアドライブのパッケージで検討されていた。だがピニンファリーナ社は、降雪地でのフロントドライブの有利性を強調。考えを改めさせた。

加えて、FFのレイアウトがもたらす、スタイリング上の可能性も狙っていた。そこで選ばれたプラットフォームは、当時のエルドラドも採用していたE/Kシャシー。試作車のために、フロアパンとエンジン系統がトリノへ運ばれると、215mm短縮された。

サスペンション回りも、エルドラドがベース。フロントがコイルスプリング、リアがコルベットのような1枚の大きなリーフスプリングという構成になっていた。ハードウェアの多くは既存部品の流用だったが、いくつもの改良は施されていた。

ダンパーは、内部抵抗を調整するディスクが付いた専用品。ボッシュ製のアンチロック・ブレーキ・システムを搭載するため、ハブ回りも手が加えられている。

4.1L V8は最高出力172ps、最大トルク31.7kg-m

ボディデザインは、従来のキャデラック・テイストから大きな進化を遂げていた。ボンネットとハードトップ、トランクリッド以外は、当時の西ドイツ製となる二重亜鉛メッキ鋼。ピニンファリーナ社は、アルミニウム材を使用してボディパネルを生産した。

エンジンはいくつかの選択肢があったものの、アルミブロックにアイアンヘッドが組み合わされた、4.1L V型8気筒をチョイス。ハイ・テクノロジー「HT4100」と呼称の付いたユニットで、いくつかの改良が加えられている。

キャデラック・アランテ(1986〜1993年)

シーケンシャル・マルチポート燃料噴射にハイフロー・インテークポート、低抵抗ピストンを採用。冷却フィンの付いた大容量のオイルパンも特徴だ。

メルセデス・ベンツSLのように、マニュアル・トランスミッションの設定はない。出力が高められたエンジンに対応するよう、THM440式と呼ばれる4速ATを強化して組み合わせた。

2速から3速、4速へのシフトアップは、コンピューターで制御。点火時期を調整し、トルクを弱めることで変速ショックを少なくし、ATの寿命も延ばしている。

そうはいっても、最高出力172psで、最大トルクは31.7kg-m。0-100km/h加速10秒以下、最高速度201km/hを実現してはいたが、メルセデス・ベンツを脅かすほどではなかった。

キャデラックが設定したベンチマーク、560SLの約8秒と225km/hにはまったく届いていない。

この続きは後編にて。