フレッシャーズ編集部

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1月5日放送、「NHKニュースおはよう日本」(NHK)では、川端康成へのノーベル財団の強い関心ああったことが明らかに。

NHKは50年が経過したノーベル賞について、情報公開請求を行った。それによるとノーベル賞の受賞者を決定するストックホルムのスウェーデンアカデミーが4日、開示した情報によると、1965年に候補となった文学者は90人で、この年の時点で、日本の文学者では小説家の川端康成、三島由紀夫、谷崎潤一郎、詩人の西脇順三郎の4人が含まれていたとのこと。

1965年の段階で、この4人が候補となるのは3年連続で、このうち川端康成について、選考委員会は「日本人作家で最も有力な候補といえる」と評価。そのうえで「翻訳作品が少なく、引き続き調査が必要」としていて、3年後に日本人初の受賞者となる川端への関心が、選考委員の間で徐々に高まっていったことが伺える内容となった。

一方、長年有力視されていた谷崎潤一郎は、候補にあげられながらも選考前に死去した。この年は旧ソビエトの作家ミハイル・ショーロホフが受賞したが、複数の日本人が同時に候補にあがるなど、日本文学への評価の高まりを示している。

川端康成は1920年に東京大学英文科へ進学。翌年国文科に転科。大学時代に発表した作品をきっかけに、菊池寛にすすめられて文壇の道へと進む。

1924年には東大を卒業し、同人誌「文芸時代」を創刊して新感覚派と呼ばれる新進気鋭の作家が集まる作風を切り開いた。

1968年にはノーベル賞を受賞。「美しい日本の私」という講演を行った。その3年後に、門下の三島由紀夫の割腹自殺などによる極度の精神的動揺から、逗子の仕事場で72歳でガス自殺を遂げてしまった。

1961年の時点ですでに、川端の作品がノーベル賞候補に選ばれており、まだ日本の文学が良く世界に知られていなかった時代に、川端の小説がいかに優れているかの資料が明らかになっている。

ノーベル賞の選考資料は50年たたないと公開されない。今回、50年が経過し、選考委員が開示した資料によると、日本人でははじめて、社会運動家の賀川豊彦がノーベル文学賞の候補にあがっていることがわかった。

ノーベル文学賞を受賞するのに重要視されるのは、どれだけの数の言語で翻訳されているかがポイントとなる。「伊豆の踊り子」は1942年にドイツ語、1955年に英語に翻訳された。1956年には「雪国」が英訳されている。