ご成婚パレードでの雅子さま

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 6月9日で、天皇・皇后両陛下はご成婚から33年を迎えられる。1993年6月9日の夕刻、当時33歳だった天皇陛下と29歳の雅子皇后は「結婚の儀」等を終えた後、皇居から赤坂御用地までパレードに臨まれた。沿道に詰め掛けた観衆はおよそ19万人。テレビの生中継では、各局あわせた瞬間最高視聴率で85.6%を記録した。

【写真】スーツをビシッときめて…。2年間の英国留学を終え、帰国した際の雅子さま(1990年、成田空港)

 これに先立つ同年1月19日、お二人は婚約内定会見を開かれた。雅子皇后は、

〈外務省で大変やりがいのある仕事をしていたので、仕事を辞めるべきかどうかだいぶ悩んだ〉

 そう吐露されながらも、陛下から「皇室に入られることは不安や心配がおありでしょうが、雅子さんのことは僕が一生全力でお守りします」と言われたことで〈心を動かされた〉と明かされたのだった。

ご成婚パレードでの雅子さま

 とは言え、雅子皇后は、ご結婚前、外務省に勤務し、世界を飛び回って活躍されていた身である。“日本一の旧家”である皇室にお入りになるに当たっては、キャリアとのギャップから危惧する声も生まれ、それを否定的に見る向きからは、さまざまな誹謗、中傷が流されていたのも事実。すなわち、ご成婚前から「いじめ」とも取られる動きがあったのだ。そして、それは後の「適応障害」の発症と、現在まで続く療養生活の遠因ともなっていくのである。

「週刊新潮」では、ご婚約会見時、皇室の周辺を取材し、そうした“声”が誰から、どのように流されていたのかについて分析している。以下、それを再録し、この30年余り、雅子さまを苦しめてきたものは何か、振り返ってみよう。

【前後編の前編】

(以下は、「週刊新潮」1993年2月4日号記事の再録です。当時の記事のため、記事中の敬称は平成の、ご結婚前のものです。文中の「皇太子」は現・天皇陛下、「雅子さん」は現・皇后陛下のことを指し、同じく「皇太后」は香淳皇后、「天皇」は現・上皇陛下、「皇后」は現・上皇后陛下のことを指します)

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黄色の帽子とワンピース

「皇室会議」があった19日の午後、お二人のご婚約会見が開かれた。

 黄色の帽子、黄色のワンピース姿で現れた雅子さんは、緊張の様子ながら、質問に率直に答えていった。

 その率直さは、これまでの皇室にはなかった新鮮な感じを与えもしたし、皇太子殿下の高等科時代の恩師である小坂部元秀氏(学習院大学講師)は、

「会見の席で雅子さんがしっかりと発言していたので、浩宮さま(=現・天皇陛下)はホッとしていたと思いますよ。テレビで見ていても、雅子さんがうまく話せるかどうか、そのことを浩宮さまは一番気にしていたように思えましたからね」

 と、喜んでいたのだが、

「あの日の会見について、“雅子さんは喋り過ぎたのではないか” という批判が、かなり出ています。雅子さんは皇太子と同じぐらいに、あるいはそれ以上に喋っていた。それが良かったかどうか、評価は分かれると思いますが、宮内庁やその周辺では、悪い意味で喋りすぎだという受け止め方が一般的なのです」

 とある皇室担当の記者は語るのである。

うるさいほどの“雑音”

 この記者が言うには、

「歴代の皇太子妃と比べてみても、例えば皇太后は昭和天皇とご臨席された記者会見で、ほとんど喋っていません。今の美智子皇后も、陛下と同じようには話しませんでした。また、紀子さまも喋る量は秋篠宮さまに比べて圧倒的に少なかった。皇室の女性は通例、少なくとも公式の場では、夫あるいは夫となる人を立てていたわけです。ところが、雅子さんの場合は、あの日、確かに伏し目がちで、皇太子に半歩下がって歩いてはいましたが、“喋り始めたら本性が出てしまった”と言われている。つまり、彼女はキャリア・ウーマンで、今まで男と伍して互角あるいはそれ以上にやってきた。はからずも、それが表に出てしまったということで、 “皇室に入る女性にあるまじきこと”と批判されているんですよ」

 この日の会見についての批判、というよりも中傷の類いはこれだけではなく、

「“殿下のことを幸せにしてさし上げたい”とか“とても人間ができた方と敬服いたしました”とか言うのは、僭越な言い方ですわ」

「雅子さんの表情を見ると、プロポーズされた女性の喜びというものが、全く感じられません。どことなく諦めの風情さえありました。これは殿下に大変失礼です」

「雅子さんは首すじが赤くなっていましたでしょう。あれはアトピー性皮膚炎ではないかしら。皇室にそんな病気を持ち込まれては困ります」

 などなど……“雑音”がうるさいほど聞こえてくるのである。

美智子さまの時にも

 こうした“雑音”は、美智子皇后が昭和34年に皇太子妃として皇室に入った時にもあった。

 いや、民間からの初めての妃殿下とあって、陰口という“雑音”つまり陰湿ないじめは、今どころではなかったはずだ。

 皇太后が皇后のころ、美智子妃につらくあたったことは良く知られており、入江侍従長の日記にも、

〈皇后さまが今度の御慶事の馬車六頭、御大礼の時の御自身のも四頭だった、憤慨だとかおっしゃったとの事〉(34年3月12日)

 といった記述が、散見される。「三大いじめ事件」も有名な話だ。これは――、

 皇室会議が開かれた日、正田美智子さんは記者会見に臨む。この時、七分そでの象牙色のドレスに合わせた手袋が、手首とひじの中間までしかなかった。そこで、

「正式の場では、ひじまで隠れる手袋を着けるのが礼儀。その程度の心得もないようではねえ」

 と、旧華族や学習院関係者の間で囁かれたというのである。

 美智子妃が浩宮さまを出産して三ヶ月ほどたったころ、浩宮さまを抱いた美智子妃の写真が新聞に載った。それに対する陰口が、

「京都以来の習慣で、高貴な身分の女性はわが子を抱いたところを他人に見せたり、写真に撮らせたりしないはず。だから、“粉屋の娘”では務まらないのよ」

 さらに、義宮(いまの常陸宮殿下)が聖書やキリスト教に関心を持った時、それが美智子妃の感化であると誤解され、頬がこける原因になったと言われている。

 とにかく、日常の服装、振る舞い、親族……あらゆることが陰口の対象にされた。

心配な面が

 雅子さんの場合はどうか。先の小坂部氏は、

「そうした美智子皇后の例もあるので、雅子さんが今後、宮中でうまくやっていけるかどうか、心配な点がまったくないと言えません。皇后のころとは時代も違うし、雅子さんは精神的にも強い女性だとは思いますが、学習院の内部にいても、常磐会方面からはいろいろなことが聞こえてきますよ」

 実際、ある皇室ウォッチャーによれば、

「婚約会見のことに限らず、雅子さんのコートとか、お母さんの服装とか、いろいろ陰口の対象になっています。ひどいのは、“小和田家は90歳を過ぎた祖父母の面倒を見たくないので、老人ホームに預けている”というものまであります。雅子さんの父親・恒さんの両親が去年から茨城の老人ホームに入っているのは本当ですが、ここはケア付き超高級老人ホーム。老後も自立した生活を送りたいからと、ご自分たちの意志で入所されたそうですよ」

 それさえも、いじめに利用されるのでは、たまったものではない。

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 雅子皇后は、ご結婚前から、大変な環境の中にいらしたわけである。そして、こうした「いじめ」は、実はご婚約会見のはるか前から始まっていた――。【後編】では、初対面から7年もかかるなど、雅子さまのご結婚が遅れた理由と、宮内庁が犯した誤りについて記している。

デイリー新潮編集部