国民栄誉賞の表彰式で松井さん(右)とともに観客の声援に応える長嶋さん(2013年5月)

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 【ニューヨーク=平沢祐】巨人の長嶋茂雄・終身名誉監督が89歳で亡くなってから1年を機に、長嶋さんの教え子で巨人や米大リーグのヤンキースなどで活躍した松井秀喜さん(51)が2日(日本時間3日)、読売新聞の取材に応じ、恩師との思い出や多くの人に愛された人柄を振り返った。

 ――長嶋さんが亡くなって1年がたった。

 「監督のことは色々な時に思い出す。自宅のリビングに自分の家族と監督が写った写真がある。約12年前、東京に帰って監督のご自宅にあいさつにうかがった時に撮ったもので、亡くなってから飾りました。だから、自分の心の中に常にいる。まだ近い存在としているから、亡くなられた実感はあまりない」

 ――その偉大さを改めてどう感じるか。

 「本当の偉大さを知っているのは選手時代を肌で感じ、熱狂した年代の方々だと思う。自分にとっては同じ場で過ごすようになるまでは野球の神様、伝説、遠い人のような感じだった」

 ――長嶋さんとの現役時代の思い出は。

 「やっぱり、素振りをした時間。ジャイアンツ時代の後半はほぼ毎日だった。監督は、スイングが空気を切る音で良しあしを判断していた。最初はわからなかったが、毎日やることで、監督がいいという音が自分の耳でもわかるようになってきた。ジャイアンツで7、8年目くらいのことでした」

 ――ヤンキースに移籍してからも機会があった。

 「2003年の4月かな、監督が泊まっていたホテルの部屋だった。(素振りがあると)予測していて『やっぱりきたか』と。うれしさもあって、喜んで行った。(周りに見られたら)恥ずかしいから、バットは服の中に隠して行きました」

 ――長嶋さんの教えで大切にしていたことは。

 「休まないこと。『お前を見に来ているファンもいっぱいいる。ジャイアンツの選手は簡単に休んではダメだ』と。自分から休みたいと言ったことは一度もなかった。脇腹を痛めた時も、代打で出た。ヤンキースに移ってからも手首を骨折するまでは出続けた。監督のお陰でメジャー記録を一つ作れた。ルーキーのデビューからの連続試合出場」

 ――現役引退後の長嶋さんとの思い出は。

 「監督が一番うれしかったのは、やっぱり(13年に同時受賞した)国民栄誉賞だったのかなと思います。あれは監督のための賞。自分はもらえるような人間ではないが、誰よりもふさわしい人がいただくことができた。(東京ドームでの表彰式は)すごく覚えている。監督は本当にうれしそうだった」

 ――長嶋さんの一番の魅力は。

 「みんなを明るい気持ちにさせてくれる。喜んでもらいたいということを徹底し、実行していた。ああいうパワーを持っている人は、私が接した中では監督しかいない。常にサービス精神を持って、ファンにも、メディアにも接していた」

 ――長嶋さんと時間を共有した巨人への思いは。

 「監督以上にジャイアンツを愛している人はいないと思う。強くて、ファンに愛されるジャイアンツということを、現役時代から自ら体現されてきた。自分も10年間お世話になり、素晴らしい時間を過ごせた。長嶋さんとの出会いはジャイアンツがあってこそ。自分が関わるか関わらないかは別にして、未来は気になる」

 ――プロ野球では、長嶋茂雄賞が創設された。

 「もちろんうれしいし、それだけの存在。誰も長嶋茂雄にはなれないけど、沢村賞のように定着して、何十年後かには『今年の長嶋賞は誰だろう?』ってなると思う」