憧れの「零士メーター」に囲まれる愉悦…イマーシブ映像で「銀河鉄道999」が復活 巨匠「松本零士」が夢見た映像体験を徹底解説
現在、角川武蔵野ミュージアム(埼玉県東所沢)で、度肝を抜かれる「映像」が上映されている。《銀河鉄道999 THE GALAXY EXPERIENCE あの旅は、まだ続いている。》(プロデューサー:宮下俊)である。
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「この種のイマーシブ(没入型)展示・映像は、いままでにもいろいろありましたが、ちょっとレベルがちがいます。テーマパークだと、せいぜい4〜5分でしょう。しかしこれは、30分にわたり、ちゃんと起承転結がある、感動の“ストーリー映画”になっているんです」
と、いち早く鑑賞してきた編集者氏が、興奮気味に語ってくれた。

これは、約2時間の劇場用映画「銀河鉄道999」を、30分にダイジェストした映像である。しかし、単なるダイジェストでは、ない。では、いったい、どういう映像なのか。その前に、往時を知らない若い方々のために、オリジナルの映画について、説明しておこう。
1979年度邦画第1位の映画「銀河鉄道999」とは
映画「銀河鉄道999」(りんたろう監督、1979)は、1979年度の日本映画配給収入第1位を記録した、歴史的な作品である。もちろん、アニメーション史上初の快挙だ。この大ヒットが劇場用アニメーション映画の市場を開拓し、のちのジブリ作品、ひいては昨今の新海誠作品、「鬼滅の刃」「名探偵コナン」シリーズなどの隆盛へとつながる、そのレールを敷いたのだ。
原作はいうまでもなく、マンガ・アニメの巨匠、松本零士氏(1938〜2023)。マンガ第1シリーズ(アンドロメダ編)は、1977年〜1981年にかけて「週刊少年キング」に連載された。イメージの源泉は、宮沢賢治『銀河鉄道の夜』と、メーテルリンクの童話『青い鳥』。そこに、松本氏自身が高校卒業後、単身で北九州から夜行列車で上京した体験などを加えて描かれた。謎の美女メーテルに導かれ、宇宙を飛ぶSL「999号」に乗り、機械の身体を手に入れる旅に出た、少年・星野鉄郎の物語である。
このマンガが、1978〜1981年、東映動画制作でTVアニメーション化され、フジテレビ系列で放映。これが最高視聴率22.8%の、大人気となった。そして、1979年に劇場用アニメーション映画化。かつて松本零士氏は、こう語っていた。
「わたしは、8月4日の公開初日に関係者挨拶などがあるため、前夜から渋谷の映画館そばのホテルに宿泊していました。しかし、なんだか興奮していてよく眠れず、明け方、窓から外を眺めていたのです。すると、始発以降、電車が着くたびに、駅方向から、続々と若者の集団が走ってくる。なかには、親子連れの家族もいました。いったい、なんだろうと見ていたら、『999』の上映館に殺到するんです。あっという間に長蛇の行列となり、映画館をグルリと取り囲みました。こりゃあ、たいへんなことになりそうだと、ちょっと怖くなったほどです。TVアニメも視聴率がよかったので、ある程度いけるとは思っていました。しかし、まさかこの年の第1位になるとまでは、予想もしませんでした」
当時、この映画がいかにたいへんな人気だったか。松本零士氏長女で、現在、零時社社長の松本摩紀子さんが、「芸術新潮」2025年7月号のインタビューで、次のように回想している(一部抜粋構成)。
〈国鉄(現JR)などの主催で、「ミステリーツアー銀河鉄道999ロマンの旅」というイベントがあったんです。上野駅発、行先不明の列車に乗って、どこかの“アンドロメダ終着駅”で、映画の試写会がある、そんな企画でした。父も“車掌長”として乗車していました。あとで新聞記事で知ったのですが、2日にわたって2回あり、定員が計1万6000人のところに応募が4万通、乗車率170%だと出ていました。〉
このイベントは、新聞の社会面記事になるほどの盛況ぶりだった。
〈わたしも乗車したのですが、出発地点の上野駅でも途中駅でも、ホームや陸橋、線路脇にものすごいひとが集まって、手をふってくれていたのを覚えています。終着駅は、栃木の烏山駅でした。そこで試写を観ました。〉
人気は、それだけではおさまらない。翌1980年の第3回日本アカデミー賞で特別賞を受賞、また、劇場販売のプログラムは、100万部突破の“ベストセラー”となった。さらに、サウンドトラックLPがオリコン・チャートのLP部門で第1位。ゴダイゴのうたうテーマ曲もオリコンのシングル週間第2位で、TV「ザ・ベストテン」では7週連続第1位、15週連続ランクインという偉業を成し遂げるのだ。
「このテーマ曲は、映画のラストシーンを見事に締める名曲でした。実はこの映画のラストはある意味、たいへん“特殊”な構成なのです」と、先の編集者氏が語る。
ラストを先に明かしてしまう、意外な構成
「この映画は、原作マンガ連載もTV放映もまだつづいているというのに、旅の結末――つまり、物語全体のラストを、先に見せてしまったのです。たとえば、後年の『風の谷のナウシカ』は、原作マンガの最初の2巻分のみが映画化されました。『AKIRA』は原作マンガとはちがった結末に再構成されています。しかし『999』は、まったく逆。あまりに堂々とラストを明かすので、ファンはおどろいたものです」
このため、原作マンガやTVアニメーションのファンは、早く結末を知りたくて、劇場へ駆けつけることとなった。松本零士(原作・構成)、石森史郎(脚本)らスタッフの“作戦勝ち”である。この、結末を映画で先に明かしてしまう構成について、松本氏自身は、こう語っていた。
「この物語はラストも重要ですが、旅の途中の星々における、様々な出会いやエピソードが大切なんです。だから先にラストを明かしても、それ以前の物語がキチンと描かれていれば、原作マンガやTV版をその後つづけても大丈夫なんです」
その名ラストシーンのあと、一瞬の静寂を置いて、突如はじまるのが、ゴダイゴのうたうテーマ曲《銀河鉄道999/The Galaxy Express 999》である。作詞:奈良橋陽子(英語詞)+山川啓介(日本語詞)、作曲:タケカワユキヒデ、編曲:ミッキー吉野。
「それまで、映画『さらば宇宙戦艦ヤマト』の主題歌《ヤマトより愛をこめて》を沢田研二がうたった例はありましたが、ゴダイゴのような人気ロックバンドがアニメーション主題歌を担当した例は初めてでした。彼らはすでに《ガンダーラ》《モンキー・マジック》《ビューティフル・ネーム》などを大ヒットさせていただけに、最初は意外でした。これはすでに有名なエピソードですが、最初、ボーカルのタケカワユキヒデはバラード風の、ゆったりした曲想で作曲していました。しかし、編曲のミッキー吉野が、『もっと疾走感のあるスピーディーな曲にしたほうがよい』と、あのようなアレンジになったといわれています」
このように、なにからなにまで“革新的”な作品だった、1979年の映画「銀河鉄道999」。それが、21世紀のいま、角川武蔵野ミュージアムで、どのように生まれ変わったのだろうか。
ついに夢が実現――〈零士メーター〉に囲まれてみたい
「会場は、大きく4つに分かれています。まず入り口ホワイエに999号の客車セットがあり、その前で、なぜ鉄郎が旅に出るかがダイジェスト映像で説明されます」(編集者氏)
そのあと、メインとなる第1会場(イマーシブシアター)に入る。
「たいへん巨大な部屋で、壁面一周の長さが100m、映像総面積は約1000平方メートルだそうです。この部屋の4つの壁面、床面すべて、さらには室内に柱が4本あるのですが、この柱もふくむすべてをスクリーンにして、32台のプロジェクターが映像を投影します。立ったままの鑑賞なので、気が向くままに場所を移動しながら、真横や後方の映像を自由に観てまわれますが、最初の5分間は、中央すこし後方の定位置で観たほうがよいと思います」
映像は、先述のように、2時間の映画を約30分に再構成したものである。
「映画からの映像は、ほとんどがキャラクターで、そのほかの風景や宇宙、メカ、999号などは新たに制作されたオリジナルの3D映像が中心でした。メガロポリス中央駅からの出発〜タイタン〜冥王星〜クイーン・エメラルダス〜トチロー〜機械伯爵〜キャプテン・ハーロック〜プロメシューム〜別れ……と、映画の主要場面はすべておさめられています」
なかでも、最初におどろかされるのは、出発のシーンだという。
「松本零士ファンには、あの〈零士メーター〉に囲まれてみたい――という“夢”があります」
〈零士メーター〉とは、松本作品の宇宙船内によく登場する、薄暗い壁面にビッシリ埋め込まれた大量の円形メーター群のことである。未来SFのはずなのに、昔ながらのアナログ針メーターである点が泣かせる。海外のマンガ・ファンの間でも〈Leiji Meter〉で知られる、まさに松本零士のトレードマークである。
「今回の映像では、冒頭、999号が発車するシーンで、動力源にエネルギーが充填されると、すべての壁面と床に〈零士メーター〉が登場し、いっせいに稼働しはじめます。まさに視界のすべてが〈零士メーター〉で埋まるのです。ここは観客が息を呑むシーンです。なかには『オー!』と感動の声をあげているひともいました」
その後、999号は、轟音を響かせて、観客の頭上を越えて、大宇宙へ旅だってゆくという。
「もうひとつ、今回の映像で感動するのが、例のラストシーンです」
城達也の名ナレーションも、そのままに
鉄郎とメーテルとの別れのシーンだ。999号で旅立つメーテル、ホームを走って追う鉄郎。映画制作時、セリフ入れのスタジオで、声優やスタッフが感極まってしまい、なかなかOKが出なかったといわれる、アニメーション史上にのこる名場面である。
「ここも、オリジナル映画どおりに描かれますが、映像がさらにスケールアップしており、しかも城達也の名ナレーションも、そのまま流れます。往年のファンは、泣くでしょう。そのあと、ゴダイゴのテーマ曲となるのですが……このあたりは、もうことばもありませんので、とにかく観てくださいとしか、いいようがありません。なお映像音楽は、新たに川井憲次氏が作曲しており、これも素晴らしい響きです」
というわけで、今回の映像は、初めて「銀河鉄道999」に触れる若い方々でも感動できる、見事な“再創造”であるという。
「しかし、その一方で、往年のファンのことも忘れていない点が、うれしかったです。いまではオヤジとなったかつてのファンが、『これを観たかったんだよ』と喜ぶ声が聞こえてきそうです」
隣接するほかの会場では、名セリフや関連資料の展示などもあり、総合的に「999」の世界を楽しめるようになっているという。
かつて、映画「スター・ウォーズ」第1作(1977、現「エピソードIV:New Hope 」)は、アメリカ公開から日本公開まで1年のタイムラグがあった。その間、アメリカから、すごい映画だとの噂ばかりが続々伝わってくる。がまんできなくなった日本の映画・SF関係者は、いちばん近いハワイの映画館へ詰めかけた。
松本零士氏も、ハワイへ観に行ったひとりである。そのときの感想を、のちに、こう語っていた。
「冒頭、巨大な宇宙戦艦、スター・デストロイヤーが観客の頭上をかすめるようにしてスクリーン内に飛び込んできますね。あれを観て、とにかくおどろきました。実は、ああいう映像を、前からアニメーションでやりたかったんです。しかし〈絵〉でやると、どうしても迫力がいまひとつなんですね。あの映画は、すでに一部で、コンピューターも駆使されていたようですが、とてもうらやましいというか、悔しかった思い出があります」
今回の映像《銀河鉄道999 THE GALAXY EXPERIENCE》は、その「悔しかった」映像を、見事に実現しているどころか、全編が、それで成立しているといっても過言ではない。もし松本零士氏がご存命だったら、どんなに感激し、喜んでくれたことだろうか。
森重良太(もりしげ・りょうた)
1958年生まれ。週刊新潮記者を皮切りに、新潮社で42年間、編集者をつとめ、現在はフリー。10年以上にわたって松本零士氏の超大作「ニーベルングの指環」を担当した。
デイリー新潮編集部
