『アギトー超能力戦争ー』の撮影現場で女優・藤田瞳子が「涙腺崩壊」したワケ 「完成したのは奇跡」
4月29日に公開され、絶賛上映中の『アギトー超能力戦争ー』。この作品は、仮面ライダー生誕55周年記念作品であり、2001年から1年間にわたって放映されたテレビシリーズ『仮面ライダーアギト』の25周年記念作品でもある。
『仮面ライダーアギト』は、2000年の『仮面ライダークウガ』から始まって現在も放映されている平成仮面ライダー史上、最高平均視聴率を記録している。そんな人気作品ではあるが、25年の時を経て、オリジナルキャストで新作が作られるというのは、日本映画史上でも稀有なことである。
しかも、この映画は、企画の立ち上げからわずか1年半で公開に至っている。その製作の現場では、キャストのスケジュール調整、25年のギャップをどう埋めるかなど多くの困難が立ちはだかっていたのは、想像に難くない。
「アギト」新作に関わったスタッフ、キャストは、その壁をどのように乗り越えていったのだろうか。
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プロデューサーは生粋の「アギト」ファン
――『アギトー超能力戦争ー』製作の端緒は、2024年12月だったとうかがいましたが、そこから2026年4月29日の公開というのは、ものすごく早い展開だったのではないですか。
藤田:通常の映画製作ではあり得ないスピード感ですね。
焼肉屋さんで25周年の新作をやりたいという話をしましたが、警視庁チームの4人(要潤、山崎潤、柴田明良、藤田瞳子)とも実際にできるかどうかは半信半疑でした。
でも、そこから、焼肉屋さんの会に参加していた3人のプロデューサー陣がすぐに動いてくれて、私たちが知らないところで映画化の準備は始まっていたんです。
でも、3人のプロデューサーは色々番組を抱えて多忙だったので、1人の若いプロデューサーを加えることにしたそうです。
これは、その若いプロデューサーから直接聞いた話です。
ある日、彼の元に先輩のプロデューサーから電話がかかってきました。突然、「アギト好き?」と聞かれ、彼は、躊躇することなく「めっちゃ好きでした」と即答しました。
彼は、『仮面ライダーアギト』放映当時は5歳。夢中になって観ていて、七夕の短冊に「アギトになりたい」と書いたほどのファンだったそうです。
こうして、生粋の『アギト』ファンが、『仮面ライダーアギト』25周年の映画『アギト ー超能力戦争ー』のプロデューサーとして加わることになったのです。
彼が選ばれたのは単なる偶然なのかもしれませんが、これって奇跡ですよね。
ガオレッドを演じた金子昇も出演
――藤田さんが、実際に映画が製作されると知ったのはいつ頃なんですか。
藤田:2025年の春先まで、警視庁チームとプロデューサーのLINEグループで、脚本が井上敏樹さんに発注されたとか、映画化に向けての進捗状況は聞いていました。でも、まだ半信半疑だったんですよね。
映画化を確信したのは、5月下旬に台本が送られてきた時です。
その表紙には、「仮面ライダーアギト25周年記念」の他にも「仮面ライダー生誕55周年記念」の文字が!
「うわっ、まじか!」
見た瞬間、本当に映画化されるんだという喜びと共に、背負うものの大きさに恐れおののきました。
――映画化の企画が立ち上がって、それから半年も経たないうちに台本が上がっていたんですね。それで、撮影はいつ頃始まったんですか?
藤田:台本をもらった2週間後には、京都でクランクインしていました。
撮影初日、私が現場に入ると、要くんと賀集くんのシーンが撮影中でした。
「あっ、氷川くんと翔一くんだ!」
25年の月日が経っているのに、あの時から物語がずっと続いていたかのように、二人は氷川誠と津上翔一になっていたんです。
私も台本を読んで、すっかり小沢澄子の気持ちになりきっていたので、二人に再会できてすごくうれしかったのを覚えています。
そうそう、このシーンには、『仮面ライダーアギト』と同時期に放映されていた『ガオレンジャー』でガオレッドを演じていた金子昇さんも出演されていました。
作品は違いますが、同時期に同じ撮影所で撮影していて何度も顔を合わせていたので、金子さんには同志のような意識もあって、今回出演してくださったこともとてもうれしかったです。
他にも、思いもよらない方々が出演しているので、その辺りも楽しんでいただけると思います。
テレビシリーズのオリジナルキャストだけではなく、いろんな方が「仮面ライダーアギト」の新作ならと出演してくださったこと、これも奇跡ですよね。
「俺、死んじゃうんじゃないかな」
――突然、製作が決まった映画を、しかも京都と東京で撮影するとなると、スタッフ、キャストの皆さんはスケジュール調整がたいへんだったんじゃないですか。
藤田:そうですね。スケジュールに関しては、みんな、大なり小なり無理をしてこの作品に臨んだと思います。
でも、それをいとわないくらい、この作品を成功させたいという熱意にあふれていたんですよね。
田粼監督は、撮影中何度も東京と京都を往復していたし、要くんは他のドラマの撮影があったし、美杉教授を演じた升さんは舞台公演中にもかかわらず、弾丸で京都までやってきてくれました。
そんなハードなスケジュールだったのにもかかわらず、順調に撮影が進んで、作品が完成したこと、これも奇跡だと思います。
みんな体力的にはキツかったのは間違いないです。でも、撮影現場ではとても幸せそうだったんですよね。
田粼監督なんか、ことあるごとに「楽しい、楽しい」って呟いていて、「こんなに幸せだと、俺、死んじゃうんじゃないかな」とまで言っていましたから。
そういう姿を見ていると、「うわあ、みんな、こんなにアギトを愛しているんだな」って思って、グッときました。
要潤の印象に残った言葉
――そんな幸せそうな撮影が終わるクランクアップの時は、どんな感じでしたか。
藤田:やっぱり泣いちゃいました。
私はアクションシーンがなかったので、他のみんなより比較的早くクランクアップしたんです。
最後のシーンを撮り終わって、きれいな花束をもらい、最後にひと言と促されました。
その段階ですでに感極まっていてしどろもどろで話していたのですが、たくさんのスタッフの顔を一人一人見ていたら、田粼監督のうるうるしている顔が目に入って、その瞬間、涙腺が崩壊しました。
クランクアップといえば、要くんのクランクアップの時に、先に撮影を終えていた警視庁チームの3人で、東映東京撮影所のスタッフも巻き込んでサプライズで駆けつけたんです。
25年前のテレビシリーズのクランクアップの時は、山崎さんと私のシーンだったのですが、先に撮影を終えていた要くんと柴田さんがサプライズで駆けつけてくれて、すごくうれしくて。だから、今回は私たちが行こうって3人で決めていたんです。
要くんのスピーチでは、「毎日がお祭りのようだった」という言葉が印象に残っていますが、その帰りに4人で飲みに行った店で、私たちの間に漂っていたのは、祭りの後の寂しさでした。
でも、映画の公開が近づいてから、キャンペーンなどでみんなと顔を合わせる機会が増えて、またお祭りが始まったような気分になっています。
このお祭りがもっと長く続いてほしいので、たくさんの方が劇場に足を運んでくださるとうれしいです。
「アギト」の登場人物に共通していること
――最後になりますが、藤田さんにとって「仮面ライダーアギト」とはどういうイメージなんでしょうか。
藤田:仮面ライダーと聞くと、すごくかっこいいヒーローをイメージしますが、「アギト」に出てくる仮面ライダーたちは、決して強いわけではないんです。
でも、あきらめずにもがき苦しみながら、敵に立ち向かっていく姿がかっこいいんです。それは、ライダー3人だけではなく、「アギト」に出てくる登場人物たちみんなに共通していることで、生きることがへたくそだけど、一生懸命生きているんですよね。
正直すぎたり、極端に不器用だったり、素直になれなかったり、真っ直ぐすぎたり……。そういう人間って、側から見ていると「もっと上手くやればいいのに」って思ってしまいますが、やっぱり愛しいんですよね。そんな人たちのことは応援したくなる。
25年間、たくさんの人がアギトを愛してくれた理由は、そこにもあったんじゃないかと思っています。
これからも、生き方がへたくそで一生懸命な「アギト」の登場人物たちを応援していただけるとうれしいです。
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