ネット選挙の解禁に意欲的だった安倍元首相

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 2026年2月に行われた衆院選の主戦場は、間違いなくネットだった。動画投稿サイトでは頼んでもいないのに各党の党首によるメッセージCMが次々と流れ、メッセージアプリを開けば名前も知らない候補者や、その勝手連の「本日の活動報告」がレコメンドに渋滞する。選挙結果の振り返りでは、「ネット地盤」というワードすら登場した。【井上トシユキ/ITジャーナリスト】(全3回の第1回)

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「ネット地盤」とはネットの使い方が上手く、バズらせる力量や影響力があり、あたかも地盤のような支持層がネット上に存在するという意味だろうか。

ネット選挙の解禁に意欲的だった安倍元首相

 ネットを使った選挙運動「ネット選挙」は、スマートフォンが浸透し、SNSの利用者が激増したことを受けて、「インターネット等の普及に鑑み」、「候補者に関する情報の充実」、「有権者の政治参加の促進等を図る」(総務省資料)という理由で2013年7月の参院選から解禁された。

 政府内でネット選挙が(ネット投票とともに)検討の俎上に上がったのは1999年だったから、解禁までに随分と時間がかかったともいえる。

 総務省の言い方では、もっぱら有権者の利便のためと取れるが、実は候補者サイドからも選挙におけるネット利用を望む声が具体的にあったのは事実だ。

 2000年6月に行われた衆院選で、筆者は京都3区から立候補した泉健太氏(当時は民主党、現在は中道改革連合)の「初めての選挙活動」を取材していた。京都3区は京都市伏見区に加えて向日市、長岡京市、乙訓郡にまたがり、団地やマンションが多い新興住宅地、あるいはベッドタウンの性格を帯びた地域である。

 そこで泉氏の話である。朝夕の駅前や商店街での演説では立ち止まって聴いてくれる人も少なくないのだが、昼間に選挙カーで団地や住宅地を回っても手応えがない。

昼間人口の少ない選挙区

 共働きや若年夫婦の世帯が多く、たいてい午前中から働きに出ていて住処にいないから、昼間はほとんど老人と子どもしか見当たらないのだ。

 組織というほどのバックを持たず、被選挙権を得てすぐに立候補した泉氏にすれば、同年代の有権者に等身大の政策を訴えて支持を得ようとしても、何しろ相手がいない。そこで、ポスターを貼り、チラシやハガキをポストに配布するものの、顔を見て話しているわけではないから、どうにも暖簾に腕押しだ。

 ホームページやメールなどネットが使えれば、何人が見てくれた、何人が反応してくれたとわかる。良かったと認められた点は強調して押し出していけるし、悪かったと批判されたなら改めたり、もっと説明を尽くしたりと手が打てる。

 昼間に働いている有権者にとっても、“すきま時間”にネットで候補者の政策を調べたり、演説の内容を音声等で聴取することができれば、投票へ行こうというモチベーションに結びつくだろう。

 選挙運動にネットを活用したいという思いは筆者にもあったから、非常に印象に残ったのだった。

 組織のバックグラウンドを持たず、昼間人口が少ない選挙区にいる候補者にとって、これまでにはなかったネットという「飛び道具」が活動の生命線となり得る。

ニコニコ超会議と安倍晋三氏

 日常に忙殺されている有権者にとっても、ネットでの情報が大切な一票の行き先を決める強力なアシスタントとなる。

 選挙での活用こそ、原初のネットが目指した「パワー・トゥ・ザ・ピープル」の好例なのではないか。

 候補者と有権者との思いが時空間を超えてネット上で交差する時、ネットのメディア特性=即時的かつ網羅的な双方向性が存分に発揮され、熟議が育ち、民主主義が成熟していく礎となるのではないか。

 ネット選挙が解禁された当時、筆者は各メディアにてその意義や明るい未来を大いに語った覚えがある。

 だが、期待に反して、長らくネット選挙は主役になれなかった。ネット上で熟議が熱く交わされることもなかった。07年都知事選の外山恒一氏のように、散発的にブログや動画を選挙戦に活用した候補者が現れたが、全国的な大きな盛り上がりとは言えず、状況は凪いでいるような、閉塞したような感じだった。

 各党、候補者とも、ネットの使い方を研究して学び、ネットへの浸透の試みはしていた。13年のニコニコ超会議には自民党ブースが初登場。時の首相であった安倍晋三氏が自ら来場したことでニュースとなるとともに、“ニコニコ界隈”における自民党岩盤支持層の基礎を築くことに成功した。

止まらない投票率の低下

 このインパクトは小さくなく、翌年には野党もこぞってニコニコ超会議にブースを出展、ネット上の票田を開拓すべく“界隈”のネットユーザーとの交流にあの手この手を繰り出すこととなった。

 先に見た通り、2013年4月に公職選挙法が改正され、インターネットを利用した選挙運動が可能になった。

 ところが2014年の衆院選の投票率は、衆院選としては戦後最低となる投票率52・66%をマーク。19年の参院選では、参院選としては下から二番目となる投票率48・8%を記録してしまう。ネットを介して若年層へもリーチしたはずなのに、政治離れは進行したままで、当然結果にも結び付いてこない。

 状況に変化をもたらしたのはコロナ禍だった。2020年から日本をコロナ禍が襲い、選挙活動におけるネットの比重が増した。

 それから11年後の2024年に行われた東京都知事選と兵庫県知事選で、ネット選挙の“威力”を有権者は目の当たりにした、という流れだ。

 第2回【結局「ネット選挙」とは“SNS”と“切り抜き動画”による一方的な印象操作のことだったのか 専門家は「ネットの長所である双方向性が失われ、対話と熟議が消えた」】では、なぜ“ネット選挙”はインターネットの特性である双方向性が発揮されず、誹謗中傷やデマを含めた「一方的な情報の奔流」と化してしまったのか、井上トシユキ氏の分析をお伝えする──。

井上トシユキ(いのうえ・としゆき)
1964年、京都市生まれ。同志社大学文学部卒業後、会社員を経て、98年からジャーナリスト、ライター。IT、ネット、投資、科学技術、芸能など幅広い分野で各種メディアへの寄稿、出演多数。

デイリー新潮編集部