2億5000万円の保険がかけられた会社社長を、役員がネクタイで絞め殺し… 犯人は「主婦首なし殺人」でも逮捕の過去 今も残る「事件の最大の謎」とは【事件から20年】
【全3回の第2回】
2006年3月17日、兵庫県三田市で起きた、生コン会社役員による社長殺人事件。この事件で逮捕されたA(当時56歳)は、さかのぼること11年、1995年4月に京都府の山中で遺体が発見されたバラバラ殺人事件「主婦首なし殺人」で逮捕され、その後不起訴になった過去を持っていた。今もなお未解決であるこの猟奇的事件と、生コン会社社長殺人事件の関連、そして2006年の事件で現場に残されていたICボイスレコーダーが物語るものとは……。第2回では、最大の謎であるAの動機、そして見え隠れする共犯者の存在について迫る。【森功/ノンフィクション・ライター】
(以下、「新潮45」2007年8月号をもとに加筆・修正しました)
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〈第1回では、Aが「京都主婦首なし殺人」で逮捕されるも、その後不起訴になった経緯などについて報じた。まずは、生コン会社社長殺人事件のあらましについて、改めて振り返る〉

事件の被害者は兵庫県三田市東本庄にある「新生コンクリート工業」のB社長(事件当時42歳、年齢は以下同)。いわゆる生コン会社の社長だ。同社は市の中心部から車で20分ほど離れた国道176号線沿いにあり、事件はそこで起きた。
この日の午後9時、B社長は新生コンクリートの役員だったAに呼び出された。二人は事務所でロ論になり、社長が飛び出すように部屋を出た。Aがその後を追う。国道付近でB社長をスタンガンで襲った。それでも社長は必死で逃げようと国道を渡る。Aが向かいの竹やぶあたりで追いつき、ネクタイを使って絞殺した。
「私らはあの昔の事件を知っているから、よけいにショックでした」
悔しさをにじませるのは、B社長の友人である。
「京都の事件は不起訴でしたから、乱暴なことは言えんけど、検察が勝負してくれてたら、もしかしたらきちんと裁かれていたかもしれん。そうなっていれば、今回の事件は起こっておらず、Bも命を奪われんですんだのに……。 ついついそう思ってしまうんですよ」
最大の謎「犯行動機」は
〈被告人は睡眠剤やスタンガンを用いようとした上、逃げる被害者を追いかけて駆け寄るなり、もがき苦しむ被害者の頸部をネクタイで絞め続けるなどしたものであり、確定的な殺意に基づき執拗(しつよう)かつ残忍な犯行であって、まことに悪意というほかなく、酌量の余地はまったくない〉
2007年3月20日、神戸地裁の佐野哲生裁判長は、B社長殺害事件の判決公判においてAをこう断じた。殺害する前、事前に会社の事務所に設置されていた防犯カメラの記録用テープを抜き取り、睡眠剤で眠らせようと画策した計画的な犯行と酷評している。だが、その一方でこうも述べた。
〈本件犯行に至る経緯には判然としない点が多く、犯行動機は明確にできないと言わざるを得ない〉
事件最大の未解決部分。それはAの犯行動機である。
「小さな会社やから、保険でも入って少しでも財産を残さなあかんねん。Aも入っとるんや。だから代表である俺も保険に入るつもりや」
B社長は夫人にそう言い、経営者保険に加入した。新生コンクリートは従業員10人程度の小さな生コン会社である。にもかかわらず、第1回で触れた通り、社長にかけられた複数の経営者保険の額が実に2億5000万円に達していた。会社の規模からするとあまりにもアンバランスだ。B社長の死後、保険金は会社に入った。Aの手に渡ったわけではないが、当時のAはB社長を除けば、唯一の取締役である。逮捕されていなかったら、会社を牛耳ることもできる。そのための保険だったのではないか、という疑念も湧くのだ。
「ずいぶん、会社の金を使い込んどるみたいやないか」
また、会社の使途不明金問題が浮上してもいた。 Aが社員を扇動し、B社長が会社の金を使い込んだのではないか、と糾弾していた。それが06年3月14日。犯行3日前の出来事だ。
「いっぺん話をしたいんやけど、来てくれるか」
午前8時、出社したばかりのB社長はAに声をかけられ、事務所の隣にある4階建ての社員寮へ連れて行かれた。その1階には会議室を兼ねた広さ12畳ほどの食堂がある。
「C子(注・同社の女性事務員)のことは話すんやないで。言うたら承知せんからな」
そう言われ食堂のドアを開けると、そこは異様な空気が漂っていた。 ミキサー車の運転手や他の従業員たち、三脚に設置されたビデオカメラが2台、待ち構えている。 そのままテーブルの中央に座らされ、カメラがB社長をにらむ。
「ずいぶん、会社の金を使い込んどるみたいやないか。どう責任取るねん」
B社長が集中砲火を浴びる。後に判明したことだが、新生コンクリートには4600万円の使途不明金が発生していた。むろん社長が私的に使った遊興費も皆無ではないが、ゴルフや飲食、営業上に不可欠な接待も少なくない。ところが、糾弾集会では、使途不明金を全てB社長におっかぶせようとしていた。
むしろ会社の経理処理は、担当の女性事務員、C子が一手に握っていた。現実には社長とAの間では、C子の使い込み疑惑が最大の問題になっていたという。
「C子には、会社の口座から無断で300万円を引き出した形跡、さらにB社長から預かった300万円を横領した疑いがある。彼女は経理処理にあたり、帳薄もつけていないと言い張り、B社長の死後、すべてを彼のせいにしていた」(捜査関係者)
社長と事務員以上の「親しい間柄」になっていた二人
B社長には弱みもあった。40代のC子とは社長と事務員以上の親しい間柄になっていた。だから、社員に対して言い訳できない。そこを突かれたのだ。
しかし、実は彼女はB社長を裏切っていた。というより、自分自身の使い込みがばれるのを恐れていたのかもしれない。この頃C子はAと急接近していた。A自身もいつしか彼女のことを「C子さん、C子さん」とファーストネームで呼ぶほど親しくなっていたという。
糾弾集会の直前、「C子のことは話すな」とAが念を押したのも、彼女をかばうためだったとみられる。そうして社員食堂で異様な糾弾集会が開かれた。朝8時過ぎから夜遅くまで延々11時間。B社長は携帯電話も取り上げられ、なすすべがなかった。打ちひしがれ、いったん社長の引責辞任を申し出る以外になかったという。
しかし、B社長はすぐに逆襲に出る。友人と相談した上で、糾弾集会の2日後の3月16日、再び開かれた会議に臨んだ。そこで、言った。
「やはり不明金の行方を全て明らかにしたい。組合の支部で話をする」
組合支部とは新生コンクリートが所属する建交労関西支部のことだ。それを聞いたAは、明らかにうろたえていたという。事件は、このB社長の発言があった翌17日に起きたのである。
“絶対、二人きりでは会わん”
「会社で糾弾された14日の夜、主人は一晩中公園に車を止め、帰ってきませんでした。よほど疲れたのか、帰ってきた翌日はコタツのあるリビングで食事を取りながら、眠ってしまいました。そんなことは結婚以来、初めてでした」
B社長の未夫人が振り返る。トラブルを知った夫人は、かつて京都で起きた「首なし殺人事件」が脳裏をかすめたという。夫に注意を促した。
「“Aさんと二人きりで会うのは危険だからやめて。会うなら周りに人がいる場所でね”と何度も念を押しました。主人も怖がっていて“絶対、二人きりでは会わん”と約束してくれていたんです」
警察の調べによれば、実は犯行前日の16日午後10時、AはC子と三田市内のファミリーレストラン「ガスト」で落ち合い、B社長から預かった300万円問題について話し合っている。C子はAから、借用書を作成するよう、指示されたという。横領にならないようにするためだ。どういうわけか、そこにはC子の別れた元夫も同席していた。
AからB社長へ呼び出しの電話があったのは、この16日のこと。
「C子のこともあるし、二人きりで話できへんか」
そう切り出してきた。警察調べでは、B社長は新生コンクリートの別の事務員にその電話内容を伝えている。そこで心配になった事務員が、社長の友人に相談した。相談を受けた人たちは、むろんAと二人きりで会うのは避けるよう助言し、B社長もそれを了承していた。そして17日昼過ぎ、万が一の場合に備えてB社長へ手渡されたのが、冒頭のIC ボイスレコーダーなのである。
見え隠れする共犯者の存在
「実はこの日の夕方4時ごろ、主人が、“今日、Aと会う”と電話で伝えてきたんです。私は驚いて、“絶対、二人きりはダメよ”と確認したら、このときも“分かってる”と答え、“大丈夫”とメールまでしてくれたのです。それが主人と話した最後の会話となりました。あれほど約束してくれたのに、どうして二人で会ったのか。その場所がなぜ、会社なのか。主人をおびき出すために、事件現場に他の誰かがいて、主人は安心してその場に行ったのではないでしょうか」
未亡人は言葉を詰まらせた。
二人の待ち合わせ場所は、会社の事務所だった。事務所は鉄製の外階段を上った2階にある。用意周到に監視カメラの記録テープを抜き、スタンガンと睡眠剤のメラトニンを机の引き出しに忍ばせていたのは前に触れた。それだけでなく、Aは犯行を自殺に見せかけようとしていたフシもある。直径2センチもある頑丈な18メートルの麻縄ロープを用意し、それが2階の踊り場付近に置かれていた。遺体を事務所まで運び、ロープでつるそうとしたのだろう。そばには、B社長の靴がきれいに並べられていた。
しかし、この靴を巡っては、大きな疑問が残されている。前述したように、Aは事務所から飛び出したB社長を執拗(しつよう)に追いかけ、竹やぶで絞殺したとみられる。遺体発見時、うつぶせに倒れていたB社長は裸足だった。だが、素足の裏には傷どころか、ドロ一つ付いていない。つまり、B社長は裸足で逃げ出したのではなく、犯行後に靴を脱がされたわけだ。それが事務所前に置かれているのだ。いったい誰が運んだのか。昨年12月の公判で、そのことが焦点になった。
「踊り場の靴は、あなたがそろえて置いたのですか」
そう尋問する検事に対し、Aが平然と答えた。
「違います」
「それなら誰ですか。 現場に誰かいたということですか」
「分かりません。私以外、いないです」
Aがやっていないなら、彼以外の何者かが、遺体となったB社長から脱がした靴を事務所前まで運んだことになる。そこにも明らかに共犯者の足跡が見え隠れするのだ。07年2月に開かれた弁護側の最終弁論では検察官がこう述べて
いる。
「被害者が被告人との会話を録音するために渡されていたボイスレコーダーのスイッチが、被害に遭う直前まで入っていなかったことからすれば、被告人以外の第三者の関与も疑われるところ」――。
殺害現場に、A以外の誰がいたのか
弁護側の最終弁論にもかかわらず、わざわざ検察側の主張を聞いたのは、裁判長自身もこの点に釈然としない部分があったからだろう。検察官も事件を単独犯行として起訴しておきながら、共犯者がいた疑いを指摘しているのだ。検察官弁論には、共犯者を追い詰められなかった悔しさがにじみ出ている。
殺害現場に、A以外の誰かがいたのは間違いない。それをはっきり証明しているのが、現場に残されたICボイスレコーダーの記録である。その声の主。犬をなだめる中年女性はB社長の靴を2階事務所前に置いた人物とも思われる。
〈第3回では、現場に残されていたICボイスレコーダーの内容、そして殺害直後のAの「肉声」について報じる。〉
デイリー新潮編集部
