“怪物・江川”予選7試合無失点で出場したセンバツ 4試合で60奪三振の衝撃も“寝違え”で達川の広島商に準決勝で敗退

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プロ野球に偉大な足跡を残した選手たちの功績・伝説を徳光和夫が引き出す『プロ野球レジェン堂』。記憶に残る名勝負や知られざる裏話、ライバル関係など、「最強のスポーツコンテンツ」だった“あの頃のプロ野球”のレジェンドたちに迫る!

作新学院で2回の完全試合を含むノーヒットノーラン12回。
高校時代から数々の伝説を残し“怪物”と呼ばれたレジェンド・江川卓。
少年時代から作新学院、甲子園までの伝説を本人の言葉で回顧する。

(中編からの続き)

【「ノーヒットで甲子園」寸前も縦スクイズで敗退伝説】

遠藤:
2年生の夏です。
小山高に敗れているんですが、それまでの試合はずっとノーヒットに抑えていたと。

[ 作新学院2年(1972年)夏 栃木大会
2回戦 9 - 0 大田原 ノーヒットノーラン
3回戦 3 - 0 石橋 完全試合
準々決勝 1 - 0 栃木工 ノーヒットノーラン
準決勝 0 - 1 小山 延長11回1失点 ]

徳光:
すごいよな。

江川:
これすごいんですよ。これ自慢ですけど、1試合目がノーヒットノーランですよ。

徳光:
大田原

江川:
で、2試合目は完全試合ですよ。

徳光:
対石橋高校。

江川:
3試合目がノーヒットノーランですよ。

徳光:
栃木工業高校。

江川:
で、4試合目が10回2アウトまでノーヒットノーランですよ。
だからそれ、うまく1点取ってたら、1本もヒットを打たれずに甲子園に出られたかもしれないですよ。
でもそんな甘くないですよ、世の中は。

徳光:
いや、小山高校も相当、「江川研究」をしてたってことなんですか。

江川:
してたんですね。小山高校は。
僕が行けなかったところですからね。

徳光:
たまたま当たって、向こうのピッチャーの方もすごく調子よくて、ずっと0 - 0でいくわけですよね。

江川:
で、10回に1本ヒット打たれて、11回がヒット、内野安打ですね、たぶん。
それで送りバントで2塁・3塁になって、スクイズで負けるわけです。
で、監督がキャッチャーの方に、「外せ」のサインを出したらしいんですけど。ウエストボールですね、スクイズあるから。
そしたら、キャッチャーの方が勘違いしてカーブのサインを出したっていうふうに、あとから聞きましたけど。そのカーブを、徳さんは信じるけど、遠藤さんは信じないと思いますけど。
カーブってすっごく曲がったんですよ、僕。縦にガーッとすごいの。

徳光:
落ちるカーブ。

江川:
一応、自慢していいっていう回なんで。
曲がったんで、普通バントって、スクイーズってこうやるじゃないですか。
あまり曲がりすぎたんで、バッターがバントを縦にしたんですよ。ウソっぽいでしょ。
こうしてガーンって曲がったら、バッターが縦にしたんですよ。
ここに当たってサード側にうまく転がったんですよ。
それで負けたんですよ。

遠藤:
スクイズの1失点。

徳光:
奇跡の縦スクイズ。

江川:
縦スクイズ。

徳光:
それ見えた?

江川:
はい、縦に。

徳光:
自分で。

江川:
一応カーブも結構曲がってましたからね。

徳光:
江川さんのカーブ、何種類かありますからね。

江川:
高校の時の方が曲がってたんですよ。
それだから、縦にして。

【篠塚和典も驚いた 関東にとどろく“怪物・江川”伝説】

遠藤:
2年生の秋の栃木大会と関東大会ですが、公式戦7試合で無失点。

[ 作新学院2年(1972年) 秋季関東大会 栃木県予選
1回戦 14 - 0 那須 5回無安打無失点
準々決勝 4 - 0 足利工 9回2安打無失点
準決勝 9 - 0 宇都宮学園 6回2安打無失点
決勝 7 - 0 烏山 9回2安打無失点 ]

徳光:
これもすごいな。

遠藤:
これでセンバツ出場を決めたという。

[ 作新学院2年(1972年) 秋季関東大会
準々決勝 10 - 0 東農大二 6回1安打無失点
準決勝 4 - 0 銚子商 9回1安打無失点
決勝 6 - 0 横浜 9回4安打無失点 ]

江川: 
そうですか。7試合無失点。

遠藤:
7試合連続でずっと…

江川:
普通ですよね。

遠藤:
普通じゃないですよ。

江川:
無安打じゃないでしょ。

遠藤:
これでセンバツに。

徳光:
初めて選ばれるのか。

江川:
横浜高校というところに関東大会で勝ったんですね。

徳光:
横浜の渡辺監督が、「あんな選手は見たことがない」って。
渡辺さんにラジオでインタビューした時に、「江川さんの第1印象は」って言ったら、「こんな高校生は今後も現れないだろう」っていう話をされて。

[ 渡辺元智(81):
1968年、24歳で横浜高校監督に就任。甲子園5度の優勝に導く。主な教え子に、愛甲猛、松坂大輔、涌井秀章、筒香嘉智など ]

江川:
松坂(大輔)君がちゃんと出ましたから。

徳光:
いやでも、松坂の話は知ってて言ってるわけですよ。

遠藤:
当時まだ中学生だった篠塚和典さん(銚子商)が見ていて、その時の印象を語ってくださっていました。

2024年7月9日放送:
遠藤:
中学生の時に、作新学院の江川卓投手を目撃したというふうに?

篠塚和典:
僕が中学3年で、江川さんが高校2年ですよね。

徳光:
年齢差はね。

篠塚:
(江川が)来て、銚子商とやるから、野球部は見に行けって。24三振ですよ。

徳光:
27アウトの中で?

篠塚:
前に3つしか飛ばなかったんです。
僕は高校(銚子商)入って、1年の時に春の関東大会で江川さんと当たったんですよ。

徳光:
どうでした?

篠塚:
僕は(ヒットを)1本打ったんです。
終わって今度、練習試合でわれわれが作新に行って、その時も打ったんですよ。

徳光:
江川さんから。

篠塚:
本当に、一番最初にバッターボックス入って、タイミングを取った時に、自分がテイクバックして「行こうかな」と思った時にもうズドーンって入ってきました。

江川:
これは遅い時ですよね。テイクバックできてるからね。
でも篠塚さんは印象に残っているんですよ。
1年生って、たぶん1年生の人にヒットを打たれたことないので、高校生の時は。
いいセンスしてるなこの子はと思って。体がちょっと細かったんで。
だからプロ野球に行くんだろうかって。体だけはちょっと細かったから。
技術はあるなと思ってましたね。

徳光:
そうですか。

江川:
1年生って、印象に残った人は彼しかいないので。

徳光:
これは篠塚さん喜ぶね。
「覚えてないかもしれませんけど」って言ってましたからね。

江川:
いやいや。

【“怪物・江川”甲子園に登場 4試合で60奪三振伝説】

遠藤:
そして初めてのセンバツ、甲子園出場ということになるわけですが、この年の成績が、1回戦完封勝ち、2回戦先発7回投げて、この時も8 - 0で勝って、準々決勝も完封と。
なので、準々決勝までは本当に1失点もなく勝ち上がって、ついに準決勝。

[ 作新学院3年(1973年) 春のセンバツ
1回戦 2 - 0 北陽 9回4安打無失点19奪三振
2回戦 8 - 0 小倉南 7回1安打無失点10奪三振
準々決勝 3 - 0 今治西 9回1安打無失点20奪三振
準決勝 1 - 2 広島商 8回2安打2失点11奪三振 ] 

江川:
負けるんですね、これが。

徳光:
広島商業にね。
奪三振60で、これがセンバツの記録になるんですよね。

江川:
これね、でも決勝行けなかったので惜しいんですよ。
決勝までいけば、たぶん70かもうちょっといってると思うんですよ。

徳光:
そうか。

江川:
もう1試合あるから。

徳光:
そうですよね。

江川:
そうすると、ちょっとしばらく抜けない感じだと思うんですけど、4試合なのでちょっと抜かれる可能性があるなと思ってて。

[ 1大会60奪三振は現在でもセンバツ記録。江川以外50奪三振以上した投手は決勝まで投球 ]

遠藤:
4試合で60って。

徳光:
そうだよね。

遠藤:
考えられないですね。

徳光:
33イニングで60奪三振だからね。

江川:
そうですね。

遠藤:
そして迎える準決勝。広島商業戦なわけなんですが、こちらも以前出演してくださった達川光男さん(広島商)の証言があります。

江川:
みんないろんなこと言っていただいて、ありがたいですね。

徳光:
本当に多いんだよ、江川さんの話。

2025年10月7日放送:
達川光男:
江川と対戦したというのはもう。

徳光:
江川と対戦したわけですか。

達川:
これはもう一生忘れないね。

徳光:
これやっぱり、ものすごい試合になりました?

達川:
2 - 1で勝ちましたけど、やっぱり実力はもう江川ですよ、すべて。

遠藤:
これ江川さんから1点、ここで取ったってことですよね。

達川:
私のね、火の出るようなフォアボールで。

達川:
江川が50歳の時に、江川が「達川、今だから言うんだけど、俺寝違えてたんだ」と。

徳光:
あの時に。

達川:
あのね、「あの時雨降ったろ」って言うから、「雨降ったよ。順延になったよ」。
あの時に、(試合前日)少しソファかなんかで寝たらしいんですよ。
その時に寝違えたらしい。
痛み止めも何もなかったんで、そのままやったんじゃないのかな、言えないし。

徳光:
今の寝違えの話は本当なんですか?

江川:
本当です。たまたま広島商業との試合の前の日は雨が降って中止になったんですよ。
宿舎にいますよね。宿舎にいたら報道関係の方が、普通ロビーまでしか入れないんですけど、部屋に入ってきちゃったんですよ。
インタビューしようとして、部屋にみんな入ってきたので、部屋に来られたら困るんで、どっかないかなと思ったら、2階に食堂があったんですけど、食堂がカーテンを閉められて、そこに180cmのソファがあったんで、そこに隠れてたんですね。
そしたら疲れてたんで寝ちゃったわけですけど、僕183cmあるんで、寝て、少し首がこういうふうに傾けてないと入らないんですよ。
で、起きたらね、ここのとこが寝違えで動かないんですよ。

江川:
それで広島商業の試合になった時に、全然ファースト見られないですよ。
それで試合やったっていうのを達川に、50歳の時って言ってましたね、伝えたんですけど。
どうしようかなと思ったけど、やっぱり達川には本当のこと言っといた方がいいなと思って。

徳光:
でもその寝違えたことは広商は分かんないでしょうけれども、明らかに(広島商の)迫田穆成監督の作戦として、「江川対策」みたいなものはお感じになりました?

[ 迫田穆成(さこだ・よしあき、2023年没・84歳)
現役時代は広島商の主将として1957年に甲子園優勝。監督として広島商で春夏通算6回出場し、73年夏は優勝に導いた ]

江川:
あんまり打ってこなかったですね。待ちでしたね。ずっとこう。
振ってこないで、ボールをいっぱい投げさせようとしてるんじゃないかなっていうふうに思ったんですけど。
高めでいつも振るボールはみんな見逃してきたので、球数がどんどん増えていったと思いますね。
だからフォアボールがね、たぶん寝違えてるんで、8つぐらい出してるんですよ。

徳光:
そのくらい出てますね。

江川:
たぶんフォアボール8個だと思います。

遠藤:
そうですね。

江川:
でもヒットは2本しか打たれてないんですよ。

徳光:
打たれてない、そう。

江川:
その2本のうちの1本が、佃君のライト前ヒットで。

徳光:
そうですね。

江川:
それで1点取られたんですけど。

徳光:
で、ダブルスチールを敢行されたじゃないですか?
今、その寝違えでわかったんですけど、寝違えでなければダブルスチールはなかったかもしれない。

[ 8回広島商はランナー1・二塁からダブルスチール。捕手から3塁への送球がそれて本塁生還、決勝点に ]

江川:
でもセカンドなんで、こっちは見えるんですよ。

徳光:
そっちは見えたんですか?

江川:
こっち見えないだけでで、こうやってやったら、見てて投げようとしたら、(2塁ランナーの)金光興二君って言うんですけど、スタートしたんですけど、タイミングがアウトのタイミングだったんですけど、キャッチャーがちょっと高く投げまして、サードのをレフトに投げちゃったんで。

徳光:
そうなんですか。

江川:
それで1点入ったんですね。
でもそれも迫田さんっていう監督さんが考えた奇襲ですね、2アウトからですから。
2アウト1塁・2塁ですから。
僕はキャッチャーにものすごく大きな声で「投げるな」って言ったんですよ。だって2アウトだから。
別にバッターをアウトにすればいいことなんで。

江川:
走っても走らなくてもいいわけじゃないですか。2塁・3塁でも1塁・2塁でも一緒なので。
だけど、甲子園の「うわー」って歓声で、キャッチャーに「投げるな」って聞こえなかったんですね。

徳光:
そうですか。

江川:
それで、3塁からホームイン来て、それで2 - 1で負けたんですね。それがたぶん…。
予選から138イニング目だか、145イニング目だかなんですよ。

遠藤:
140イニングぶりの失点。

[ 5回裏の1失点は、2年秋の新チーム結成以来、140イニング目「初失点」だった ]

徳光:
甲子園の野球人生、高校野球時の人生としまして、ずいぶん悔しい思い出になったでしょう。

江川:
でも広島商業に負けた時に思ったのは、ああこういうちゃんとした細かい野球をするチームがあるんだっていうことを自分が知らなかったので、勉強になったなと思ってましたんで。
全然悔しいっていうよりも、なるほどすごいチームがやっぱり日本全国ってあるんだなっていうのは印象なんですよ。

徳光:
それが江川さんの印象?
(BSフジ「プロ野球レジェン堂」 2025年4月14日放送より)

「『空白の一日』「小林繁とのトレード」本人が語る真相」へ続く。