古事記、日本書紀、風土記ーー。神話を国家から解放してみると見えてきた、古代の人びとのおどろきの姿とは?

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出雲の国引き神話を漁民の目で読むと?

羽衣伝説と農耕の意外な関係とは?

アマテラスはなぜ岩屋戸に隠れたのか?

神武天皇が熊野の険しい山道を選んだワケは?

注目の新刊『日本神話を読みなおす』では、神話を国家から解放し、人びとの暮らし・風土・文化に目を向ける。すると、知られざる神と人間たちの物語が見えてくる!

(本記事は、橋本雅之『日本神話を読みなおす』の一部を抜粋・編集しています)

パワースポット、漫画……、多様化する神話人気

大学の講義で必要な本や話題の新刊書などを探して書店巡りをすると、神話に関する書籍の多さに驚くことがある。これほどまで神話が読まれているのはなぜだろうと考えてみると、「面白いからだ」というシンプルな答えにたどり着く。しかしふりかえってみると、今のように神話が親しまれるようになるまでには山や谷があった。

二〇二五年は昭和百年の節目の年だった。『古事記』や『日本書紀』などに記された神話に関して言えば、昭和は激動の時代であった。戦争一色に染まった昭和二十年までは、極端な国家主義のなかにあって批判的な研究をするのは難しく、とくに昭和十年代は研究の低迷期と言っていい。戦争が終結した昭和二十年以降は、『古事記』や『日本書紀』を歴史や文学の資料として捉える自由な研究が進む一方で、国家主義に対する批判は神話にまで及んだ。昭和三十二年(一九五七年)生まれの私が高校で古典を学んだ頃は、『古事記』や『日本書紀』の神話を読むことはタブーとまでは言わないにしても、なかなか勇気のいることであった。

そのような状況を打ち破ったひとつのきっかけは、昭和四十七年(一九七二年)に奈良県明日香村の高松塚古墳内で彩り豊かな壁画が発見されたことであった。全国的な古代史ブームが巻き起こり神話に対する関心も高まった。その関心の中心は、「邪馬台国はどこにあったのか」といった推理小説的な「謎解き」にあったように思う。そのような関心は今も変わらないが、それだけではなさそうである。スピリチュアルな魅力に惹かれて神話の伝承地や神社を訪れる人が増え、漫画で読む『古事記』や『日本書紀』が登場し、さらにソーシャルゲームに神話的なヒーローが取り入れられたりしているのをみると、神話に対する関心や人気が多様化していることがわかる。

神話のなかの人間の生活

ところで、このような昨今の神話人気の多様化とは裏腹に、今なぜ神話を読む必要があるのかという問いに対する、納得できる説明は見当たらないと思い続けてきた。なるほど、神話の歴史的、文学的研究は深まってきた。パワースポットブームに惹かれて神話の伝承地を訪れる旅行者が増え、サブカルチャーに属する漫画本の登場によって若者にまで読者層が拡大した。しかしながら、なぜ神話を読む必要があるのかという問題に答えることは先送りされてきたように感じる。

本書では、この問いに正面から取り組んでみようと思う。そのためにはどのような観点から答えを探っていけばいいのか。その考察の核となる切り口が必要である。本書はそれを「神話や伝説のなかに人間の生活を読む」ところに求めてみた。これまでの研究では、ややもすれば神話を王権という政治性や国家の歴史に結びつけがちであったが、本書では目線を低くずらして、人間の生活が神話のなかに描かれているという視点に立ち、時に強くもあり、また弱くもある人間を見つめてみたいと思う。

「国引き神話」から見えてくること

それは大袈裟に言えば、神話を国家という縛りから解放する試みである。しかし、実際のところ本書はそのような大上段に構えた勇ましい考察ではない。神話のなかから村里で生きていた人、言い換えれば私たちのすぐ近くにいるような人たちの姿を掘り起こしてみたいと思うのである。そのような目で神話や伝説を読むと、じつにさまざまな人間の「生きざま」が、神の姿を借りて描かれていることに気がつく。

たとえば『出雲国風土記』の「国引き神話」から見えてくるのは、漁業や交易に勤しんでいた人たちが船の上からみた島根半島であり、神武天皇が熊野から大和に向かった険しい山道は熊野と大和を結ぶ流通の道でもあった。その道はやがて鯖街道と呼ばれるようになる。あるいは、疫病の流行を恐れて「蘇民将来」の札にすがっている古代人の姿は、新型コロナウイルスの感染拡大に息をひそめた私たちの姿につながる。神話や伝説のなかの神や人びとは、この国土──海辺や山中や平野──でひたむきに生きている。そのような人間くさいと言ってもいい「生きざま」を掬い上げることが大切な課題であると思い至ったことから本書の構想は生まれてきた。神話や伝説に登場する神や人は、与えられた環境のなかで、努力をしたり、失敗したり、悩んだり、喜んだりして生きている。本書では、そのような人間味あふれる神や人に、できるだけ多く登場してもらおうと思っている。

生活するうえで役に立つ便利なハイテク機器に囲まれている現代においても、日本文化の基礎を築いた古代の神や人の姿に触れることは決して無駄ではないだろう。神や人の生き方を通して、私たち自身の生き方をふりかえる手がかりにすることには意味があると思う。

本書は、序論、第一部、第二部、第三部の四部構成のかたちをとる。序論では、本書への導入として、『古事記』『日本書紀』「風土記」の神話について解説する。第一部以下の内容を理解するために役立ててもらいたい。

本書の中核をなすのは序論に続く第一部から第三部である。第一部では、「神の素顔を語る神話」と題して、自らのおこないによって傷ついたり、思いがけない失敗をしたりする人間味に溢れた神の物語を読んでいく。第二部は「神話にみる日本人の暮らしと環境」をテーマとして漁業、交易、農業などに着目し、各地の自然環境と生活環境のなかから生まれてきた神話を通して古代の人びとの暮らしについて考えてみたいと思う。第三部では、「災害や事件の伝説と日本人の心」と題して、疫病や災害に襲われた人びと、村里で起きた事件に巻き込まれた人の伝説を取り上げて、そのような災害や事件と向き合っていた人びとを追いかけてみたい。疫病の流行をきっかけとして発生した「穢れ」を、人びとはどう受け止めて対応したのかという問題、村里で暮らしていた人に降りかかって来た災害や事件の噂話が伝説になっていく心理、さらには海を越えてやって来た人びととの対立や交流などの問題を検討していく。最後に、本書で論じたことをふりかえり、「人間学」としての神話や伝説を文化風土論という視点を交えてまとめとする。

冒頭でも述べたように、神話は面白いから読み続けられてきたのだと思う。本書を通して、読者の皆さんが人間くさい神々や古代の人びとと出会い、神話をより身近に感じてくださることを願っている。

「新しい『古事記』が書かれた!」…戦時中に「日本の奮起」に貢献した文学者たちの「意外な真実」