≪追悼・東海林さだお≫「担当編集者を集めて、お寿司を握ることも」気遣いと愛情にあふれた「知られざる素顔」
東海林さだお、赤塚不二夫、手塚治虫がいた時代
漫画家でエッセイストの東海林さだおさんが亡くなりました。享年88歳。担当編集者であった私とは20歳近い年上でしたが、年齢差をまったく感じない、気持ちも身体も若い人だっただけに、もうあの文章が読めないのか、と思うと寂しい限りです。
週刊文春はつい最近まで、ほとんど漫画の連載がない雑誌でした。昭和の雑誌は、コミックがあるかないかで、読者に対するエンタメ感のちがいを誇るようなところがありました。
当時の週刊文春に連載されたコミックは、東海林さんの「タンマ君」、赤塚不二夫さんの「ギャグゲリラ」、そして手塚治虫さんの「アドルフに告ぐ」の三つだけ。全然タイプのちがう大作家たちでしたから、担当する担当者のタイプも作者にあわせることになります。赤塚不二夫さんは、なぜか、のちに社長になった大物編集者が多くを担当しました。
赤塚さんは売れっ子だけに事務所に各社の編集者が列をなして待っています。そして、原稿を書くのも、終わって遊ぶのも各社の編集部員と一緒で、書き終わったら全部自分もちで大騒ぎ。M社長は担当者時代、生クリームに刺身をいれたものとか、ゴキブリの天ぷらを食べる遊びに付き合わされ、H社長など赤塚さんから「私は、マンガを描くときは、『雪の降る街を』をずっと聞いてないと書けないんだ」と新人時代にだまされて、夜中までずっと、その歌を赤塚さんの真後ろで歌い続けて、周囲の編集者が笑いをこらえるのに苦労したそうです。一方、手塚さんの「アドルフに告ぐ」は、本格的歴史ものでしたから、専属の編集者が開始から最終まで担当します。
それに比べると、東海林さんは、まったく手がかからない漫画家でした。絶対に締め切りは守りますし、アイデアを編集者に相談するようなこともありません。事務所に締め切りの日に取りにいけば、完成原稿ができているという、ありがたい筆者でしたから、新人教育をかねて若い女性編集者がつくことが多く、みんな東海林さんが大好きになり、毎年のように女性編集者の群れ(数年で担当者が交代します)が、東海林さん会を開催して、愉しい宴会をやっていたようです。
担当編集者にごちそうを振舞うのが好きだった
そのなかの一人、文春のH・Aさんが回想を語ってくれました。
<東海林さだおさんといえば、西荻窪愛です。駅ほど近くのマンションに、事務所と寝室兼トレーニング室をもち、長年西荻窪で過ごしていらっしゃいました。ご自宅は八王子にあるのですが、新聞や週刊誌の連載を多数かかえているので、平日のほとんどを西荻窪のマンションで過ごすという多忙な生活を送ってらっしゃいました。
西荻窪には行きつけの店が複数あり、そこに担当編集者を連れて行き、ごちそうを振る舞うのが東海林さん流。みんながおいしく食べる顔をみるのがお好きでした。お店の人も気さくなよい方ばかりで、東海林さんに来ていただくのは誉という雰囲気でした。なかでも印象的なお店は二ヶ所。
駅前近くの居酒屋「ローストビーフ真砂」のご主人は、東海林さんの草野球仲間でもありました。ローストビーフはもちろんですが、ポテトサラダがたいへんおいしい店でした。真砂のレシピ本が出版されたほどで、東海林さんによって有名になったお店です。現在は残念ながら閉店してしまいました。
もう一軒は、「ビストロ・サン・ル・スー」。フランスで修行した夫妻が経営している店で、昨年30周年を迎えました。何を食べても美味しく、マダムも東海林さんのことが大好きで、お互いに信頼を寄せていることがわかりました。
東海林さんは実はワインが大好きで、西荻窪の事務所には立派なワインセラーがありました。たまに編集者を集めて、ワインパーティーをしたり。
また東海林さんはお寿司を握るのが得意で、編集者を集めて、お寿司を握ってくださったことも。荻窪タウンセブンの魚屋さんをメインに、海苔はこの店、穴子はあの店と、東海林さんが吟味した素材を集めた、最高のお寿司。いくらを蕎麦つゆにつけて仕込んでくださったり、手間暇を惜しまない仕事ぶりでした。
東海林さだおさんの担当編集者であることは、最高の幸せで、思い出すと笑顔になることしかありません>
いや、ありがたい筆者です。H・Aさんは、新しい本や雑誌が出ない元日に合わせて、年末で忙しい週刊文春編集部の世話にはほとんどならず、一人で丸ごと1冊「タンマ君」を特集した増刊号をつくり、10万部近い実績をつくるなど、東海林さんに十二分にお返しをした編集者です。そして、東海林さんは、誰もがそんな気持ちになる著者でした。
記事後編は【≪追悼・東海林さだお≫「ラーメンの本質を表す食材は…」担当編集者も驚愕した、食べ物に対する「天才的な観察力」】から。
【つづきを読む】≪追悼・東海林さだお≫「ラーメンの本質を表す食材は…」担当編集者も驚愕した、食べ物に対する「天才的な観察力」
