「ライターが食えなくなる」議論に抜け落ちている視点…出版市場が生まれた「歴史的経緯」

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「食えた時代」はわずか100年程度

近年、SNSでは「ライターが食えなくなる」という話題が定期的に上がり、出版不況やフリーランスの不安定な身分といった実態とともに議論を呼んでいます。

最近も、「出版社は著者のフォロワー数を基準に出版の可否を判断している」という内部事情に関する投稿が拡散され、賛否両論となりました。出版社サイドとしては、あらかじめ売り上げが見込めることや、宣伝費をかけられないといった事情が関係していると考えられます。

この種の議論では、紙の雑誌やウェブ媒体において原稿料の単価が低い案件が定着してしまうことや、ヒット作などの実績やインフルエンサーでないと商業出版が難しくなることへの懸念が表明される傾向にあります。いわば文筆業で「稼げる人」と「稼げない人」の格差が進むというライターの二極化です。

しかし、この種の議論で常に抜け落ちている視点があります。歴史的な経緯です。「ライターで食えるかどうかの話をしているのであって、悠長に歴史なんかを語って何の役に立つのか」という反論も聞こえてきそうですが、「今、ここ」の状況だけを眺めても一向に問題の本質は見えてこないのです。

結論から言うと、「文筆のみで中流以上の生活を送れる専門職」(安定した職業としての専業ライター)という階層が社会に一定の厚みを持って存在した時期は、人類史全体から見るとわずか100年程度の例外的なボーナスタイムだった可能性が非常に高いのです。

紫式部も「宮仕え女房」

近代以前、文章を書くことはそもそも「経済活動」ではありませんでした。執筆は、貴族・僧侶という特定の階層にいる人々の自己表現や宗教的献身による行為であり、生活の糧は別にありました。パトロンがいる場合は、権力者に「お抱え」として養われる形になっていました。

パトロン制においては、権力者からの発注に応じて執筆することになりますから、現代とはかなり趣きが異なっています。ここでは「市場価格」ではなく「主君の意向」で報酬が決まりました。つまり、書くことは「特権階級の嗜み」か「権力への奉仕」を意味しており、独立したプロという概念自体がなかったのです。

例えば、『源氏物語』の作者とされる紫式部(生没年不詳)は、宮仕え女房として生計を立てていました。そして、物語の執筆は主人への奉仕だったことがよく知られています(福家俊幸著『紫式部 女房たちの宮廷生活』平凡社新書)。

彼女たちの本職は、天皇や中宮に仕える「家庭教師兼秘書(女房)」でした。文章を書くことは、サロンの格を高め、主君の威光を宣伝するための業務の一環だったのです。

中世ヨーロッパにおいても事情はあまり変わりません。当時の作家の多くは、パトロンの屋敷に住み込み、食事と寝床を提供される代わりに執筆を行う「寄食者」でした。家族の一員でも単なる使用人でもない、執事や家庭教師に近い身分に置かれていました。

江戸時代に生まれた出版市場

しかも、紫式部と似ていて執筆が専業ではありません。主人の子供の教育、外交文書の代筆、さらには宴会の余興の企画まで、パトロンの知的ニーズ全般に応える必要がありました。

ですので、パトロンが亡くなったり、政争で失脚したりすれば、書き手は即座に路頭に迷うことになってしまいます。

ルネサンス期に活躍した詩人にルドヴィーコ・アリオスト(1474―1533)がいます。代表作とされる叙事詩『狂えるオルランド』(1516年刊行)は、簡単にいえば、主人であるイッポーリット・デステの家系(エステ家)の祖先にあたる英雄を賛美した内容でした。

後年、アリオストは、主人に新たな任地であるハンガリーへの同行を要求されましたが、この指示を拒否して職を辞すことになりました。パトロン制の哀しみがにじみ出してくるようなエピソードといえます。

話を日本に戻すと、出版市場らしきものの萌芽が現れるのは、江戸時代になってからでした。江戸時代の初めに京都で出版物が初めて商品化され、出版が営利事業として確立することとになります。

歴史学者の今田(こんた)洋三は、それ以前の状況について、営利色は弱く、文化色が強かったと以下に述べています。

「出版とは、人間の精神活動をおもなエネルギーとして生産されたものを、文字化(記号化)し、印刷という技術的行為と販売という経済活動を通じて社会に供給する生産活動といってよかろう。十六世紀までの書物の刊行は、文化的事業ではあっても経済的活動を目的として含んでいない。プリンティングではあってもパブリッシングではなかったのである」(今田洋三著『江戸の本屋さん 近世文化史の側面』平凡社ライブラリー)

また、出版業者の登場は、読者の増大が背景にあったとし、それは京都町衆の文化活動の急速な向上が影響を与えていたと指摘しています。

「元禄期の京都書林十哲のほとんどは、寛永年間にでそろっている。かれらが、天皇・将軍や特権的知識人たちの活字印刷をうけつぎ、それを製版印刷にかえたのである。そして、本格的な出版文化をつくりあげたのである」(同上)

百花繚乱の江戸文化、そして出版文化が加速する明治にかけて、「物書き」の暮らしと地位はどのように変わっていったのでしょうか。『名文家でも生活に困窮した石川啄木、樋口一葉…「職業作家の先駆け」になった男の名前』に続きます。

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