妻の苗字に改姓した夫への周囲の評価に、私が戦慄した理由。かつて苗字を変更した瞬間に起動した謎のへりくだりは、男女の役割が転じることで無用になるのか?
日本で結婚時に男性が女性の姓に改姓するケースは約5%に過ぎない。その数少ない選択をした夫婦の事例として、漫画家・鳥飼茜さんのエッセイ集『今世紀最大の理不尽 それでも、結婚がしたかった』(文藝春秋)に登場するのが、鳥飼さんの『サターン・リターン』(小学館)の担当編集者である金城小百合さんと、その夫であるラッパーの荘子itさんだ。
2回の結婚と離婚を経て3回目の結婚を前に、もう男性パートナーの姓に改姓したくないと考えた鳥飼さんが羨ましく思った夫婦の選択。しかし、その選択は社会からの思いがけない反応をも呼び起こす。本書から一部抜粋してお届けする。
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夫が妻の苗字になった夫婦のケース
結婚を考えている相手も、私がいまの苗字のことで辟易してるのを嫌というほど見ているので、自分の苗字になって欲しいとは言いにくそうである。
だからと言って私の生まれの苗字Hは不便すぎるし、実際問題として法律上、更なる手続きをしない限り手の届かないところにある。
変更が(書面上では)許されているOの苗字はそもそも私の一番目の夫の苗字であり、そこに新しい夫となる彼が連なるのは、なんかどう考えても変だ。
選択的夫婦別姓が許されてさえいればなんの問題もないのに。
苗字をどうするかの件の話し合いはいつもなんとなく解決を得ず、とうとう結婚自体が面倒になってきた。
みんなどうしてるのかな、最近の人たちはどんな思いで結婚を選んでるのか? はたまた事実婚を選ぶカップルが実はめちゃくちゃ増えてたりする? そんな考えが行ったり来たりするなか、同時に頭の片隅には依然、苗字を変えるというミッションを先送りにしてる罪悪感が鎮座してるという状態、あまり精神衛生上よくない。
そんな中で身の回りの夫婦の、少し立ち入った話を知る機会があった。

鳥飼茜さん
それは、漫画の編集者Kさんの話だった。
Kさんは私が前作を連載中の4年間ずっと担当してくれてた女性で、漫画の話だけではなく、生活や人生の難局でお互い相談に乗ったり助け合ったりした人である。
いまも双方の自宅を行き来する仲で、連載の終盤でKさんと付き合いだしたKさんの10歳くらい年下でミュージシャンの夫さんとも、もちろん顔見知りだ。そんなKさんのインタビューがネットで公開されていた。彼ら夫婦のありようについてのインタビューで、かなり踏み込んだ話もしていたので面白く読んだ。
そこでは結婚して夫さんがKさんの苗字になった事が語られていた。知っていたことだが、インタビューの中で彼女が語っている内容に思わず目が留まった。
結婚して夫が妻の苗字になったことを知った知人に、年齢がかなり下で苗字まで変えてもらって、夫をすごく支配してるんだね、と言われて驚いた、という旨の発言だった。
苗字を夫が変えたことで「支配」とかそんな強めのことを言われてたとは、初耳だった。すごいセリフだなと驚きもしたが、同時になにかひっかかるものがあった。
この人の発言ってそんなに珍奇なものなんだろうか。
夫を自分の苗字にすることで、Kさんが夫さんを支配してると、この人は反射的におもったのだろう。つい口をついて出たのだろう。
つまりそれほどに、日本社会では結婚した女の人が夫の苗字になることが当然で、そこには、夫による妻の支配、という意味が自然と含まれてしまっていたということだ。その力学はあまりに自明で言語化されない。でも男女の立場が逆転して初めて、相手に苗字を変えさせるという行動が、「支配してるね」という言葉に変換されて表されたのだ。
通例どおりに夫の苗字に変えさせることは、妻を少なからず支配することになるというのが、わざわざ言うまでもないほど、自然で自明なことだった、ということになる。この人の中では。
でもこの人ってそんなに変わった価値観の持ち主なのか?
この発言を読み解く限り、実はかなり一般的な考えの持ち主なんじゃないかと思えてくる。
そういう視点を持ったことがなかっただけで、実は自分の中にももうずっと長い間、同じような価値観が根付いてきたのじゃないか?
これまでに2回結婚したが、2回とも、相手との間に私の苗字になろうなんていう話は出たことがなかった。事実婚か法律婚かの二択の選択余地はあったが、相手の男性が、私の苗字に変えようかという発想をするのを見ることがなかった。
自分が、させなかったのだ。まさかそんなことをさせるわけにいかないとまで思っていた。
もちろん私の苗字が奇抜だったり、離婚後も元夫の苗字を名乗っていたりと、事情はあった。でも。
私が自分の苗字をまあまあ好きだったら、相手にそのように変えてくれ、と言っただろうか?
結婚して発動した謎の「へりくだり」
Kさんの夫さんは変わっていて、Kという苗字そのものに以前から憧れがあったという。
特殊なパターンではあるものの、世の中の大半が選択するだろう既定路線と逆の選択をしてまで妻の都合に合わせる結果となった夫さんのその歩み寄りを、どうにも羨ましいと感じてしまう。
今まで受けていた抑圧や理不尽を、立場を反転させ、肩代わりしてくださいと望むのは差別問題においてすごく慎重にならないといけない態度だと思う。そんな押し付け合いでは根本の解決には、到底ならないからだ。
そう思いつつ、これまでの男女を取り巻く歴史があって、その上で男性が一旦逆の姿を見せてくれることに、癒しを感じてしまうのも事実である。
繰り返しになるが私がした2度の結婚では、いずれも自分の生来あるいは現行の苗字に夫が合わせるということにはならなかった。当たり前の慣習を覆して相手に要求するほど、私が当時の苗字に思い入れを持っていなかったからだ。
夫たちに、女のお前が俺の苗字に合わせるべきだとも、合わせてくださいお願いしますとも、言われてはいない。
ただそういうものだと、私が進んで引き受けたことだ。
もう2度と名義変更の煩わしさがないように、つまりこんなに大変な目に遭うのだから滅多なことでは離婚することがないように、と祈るような気持ちで2度目の法律婚をした(そして離婚した)。
相手の生来の苗字に変えること、それはただ名義変更がめちゃくちゃ面倒なだけで、他には格別、何の意味も持たないことだと思っていた。
だからこそ離婚した後も私は苗字を変えなかった。
なぜ私は2度も結婚から撤退したのか?
当然のように人は問うてくる。一生を誓うほどの相手なのに、なぜ離婚するの? と。
その問いの答えは、「誓った時と状況が変わったから」だ。
相手にもよる、子供の有無や環境にもよる、それは当然なんだけど、はっきりとわかるのは、自分が結婚前のような自由さを失ったという事実だ。
結婚したらある程度自由を失うのは男女共通でしょ、そう思う。ただ少なくとも私は、結婚が始まった瞬間から、自分にも説明のつかない「へりくだり」が起動した感覚があった。
その日から始まる、夫の実家とのつながり。
結婚相手を育てたご両親や兄弟に、リスペクトを抱くのは良いことだ。私は、苗字を相手に合わせることで生じた、なんかそれ以上の余計なものについての話をしている。
大袈裟に言えばその気持ちは、「新しく旦那様のご実家である〇〇家の仲間にならせていただきます、皆さんにお気に召されるよう、頑張ります!」といったところだ。
私は律儀すぎるタイプなので、人によっては苗字を変えてもこんな意味のわからないへりくだりを発動させずに、対等でいる奥様もいらっしゃるでしょう。そういう人をなんの嫌味でもなく心から羨ましいと思う。自分は、ダメだった。形式や、ニュアンスや、言外のイメージにめっぽう弱かった。
結婚して相手の苗字になることで、私は自分でも気づかないまま、自分から「ハイよろこんで〜!」と元気よく従属しに行ったのである。
誰もそれを私に直接要求していない。強要されてもない。誰かに選ばれた、という称号と引き換えの自己責任。私はもっと、慎重になるべきだったのだ。「当たり前」が自分を知らぬうちに運んでいく先の、イメージの世界の強力さに。
今度こそ私は失敗できない。
当然二人の間のことだから、お別れの未来もあり得るとは思ってる。だからこそ、自分の外からやってくる謎の魔力にだけは、つぎこそ屈したくない。
そんな思いを語り合って、今の相手とは「別姓婚」を待つまでの間の、「事実婚」にしようじゃないかと結論が出た。最良と言えるのかわからないが、妥当だと感じた。
長かった。ようやく自分らしい結婚に近づけた気がした。そうと決まれば、いよいよあれの出番だった。
あれとはそう、2年放置していた、氏の変更許可申立事件にまつわる「審判確定証明書」である。
(鳥飼茜/ライフスタイル出版)
