モノクローム作品約30点を展示!Audrey Hepburn写真展『永遠の妖精』を開催【Art Gallery M84】

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Art Gallery M84は2026年4月15日、2026年5月4日(月)よりAudrey Hepburn写真展『永遠の妖精』を開催する。今回の作品展は、Art Gallery M84の第168回目の展示として実施する企画展だ。

■「永遠の妖精」と呼ばれ、多くの映画ファンを魅了
世界中から愛された女優、オードリー・ヘプバーン(Audrey Hepburn)。愛らしさと聡明さ、そして気品をあわせ持つその姿は「永遠の妖精」と呼ばれ、多くの映画ファンを魅了し続けてきました。

本展では、1950年「女王リジア役スクリーンテスト」の貴重な写真にはじまり、「舞台ジジ」や「ローマの休日」、「麗しのサブリナ」「パリの恋人」「昼下がりの情事」「尼僧物語」「噂の二人」「ティファニーで朝食を」「シャレード」「パリで一緒に」「マイ・フェア・レディ」など、代表作のワンシーンやポートレートを中心に、モノクローム作品約30点を展示します。

多くの作品は、デジタルスキャンしてよみがえらせた現代プリントで、コレクションとして比較的手に取りやすい価格帯となっています。さらに、絵柄は限られますが、当時フィルムからプリントされた、今ではほとんど出会えないアンティークプリントも数点ご覧いただけます。スクリーンの中で永遠に輝き、今もなお私たちに夢と希望を届けてくれるオードリー・ヘプバーン。その魅力にじかに触れられる、この特別な機会をどうぞお見逃しなく。

ヘプバーンはブリュッセルのイクセルで生まれ、幼少期をベルギー、イングランドで過ごしました。オランダにも在住した経験があり、第二次世界大戦中にはナチス・ドイツが占領していたオランダのアーネムに住んでいたこともありました。各種資料の一部に本名を「エッダ・ファン・ヘームストラ」とするものがあります。これは、戦時中にナチス・ドイツ占領下にあったオランダで、「オードリー」という名があまりにイギリス風であることを心配した母エラが、自らの名前をもじって(EllaをEddaとした)一時的に変えたものです。5歳ごろからバレエを初め、アムステルダムではソニア・ガスケル(en:Sonia Gaskell)のもとでバレエを習い、1948年にはマリー・ランバートにバレエを学ぶためにロンドンへと渡って、ウエスト・エンドで舞台に立った経験があります。

オードリーの成功は、彼女の才能ももちろんあったでしょうが、ナチス・ドイツ占領下の少女時代に、草やチューリップを食べて飢えをしのぎ、生涯その辛さを忘れず、無我夢中で働き、人の好意にあぐらをかかず、目をかけてもらうだけでもありがたい事だと感謝して、セットには時間厳守、絶対遅刻せず、セリフは完璧に覚え、スタッフへの礼儀と尊敬を持ち続けていたと言われている事からも感じ取れます。

Art Gallery M84オーナー 橋本正則

【オードリー・ヘプバーン(本名:Audrey Kathleen Ruston)の略歴】
1929年 ブリュッセルのイクセル生まれ。幼少期をベルギー、イングランドで過した。
1934年 バレエを初め、アムステルダムでソニア・ガスケルのもとでバレエを習う。
1940年 ドイツがオランダに侵攻し、オードリーという「イギリス風の響きを持つ」
    名前は危険だとしてエッダ・ファン・ヘームストラという偽名を名乗った。
1944年 ナチスへの抵抗運動に協力、そのために彼女は地下の隠れ家に身を隠した。
    草やチューリップを食べて飢えをしのぎ、栄養失調に苦しみ、重度の貧血と
    呼吸器障害、解放された時は、ガリガリに痩せ細っていたという。
1948年 マリー・ランバートにバレエを学ぶためにロンドンに渡って、
    その後ウエスト・エンドで舞台に立った。
1951年 ブロードウェイ舞台作品『ジジ』で主役。