新作が11月公開予定!怪獣の王「ゴジラ」が初めて登場した70年前…昭和の真っ只中に起きていたこと
新作の公開が11月に予定されている「ゴジラ」。怪獣の王が初めて登場した70年前、昭和の只中にいったい何が起こったのか。1954年に「戦争のメタファー」として登場したゴジラは、すぐれた映像技術と結びついて、70年以上にわたって圧倒的存在感を示し続けてきた。いまや世界を席捲する怪獣の王となったゴジラ。その誕生のヒストリーを紐解いてみた。──『「ゴジラ」東宝特撮・SF映画史』(講談社)より一部抜粋・編集して紹介。
戦後に復権した映画戦士たちが躍動をはじめる
公職追放でフリーランスになっていた円谷英二は、自宅に円谷特殊技術研究所を立ち上げていた。1950年に東横映画で『日本戦歿学生の手記 きけ、わだつみの声』の特殊技術を担当した円谷はこの年、嘱託という立場で東宝映画、稲垣 浩監督の『佐々木小次郎』の特殊撮影を手掛ける。そして1952年4月のサンフランシスコ平和条約締結に伴い公職追放は解除、森 岩雄が東宝の製作顧問として復帰する。森は撮影所に東宝特殊技術課を再建し、円谷に対して正式な復帰を打診した。しかし円谷は社員ではなく、作品契約を選んだ。根っからの技術者である彼は、自由度が高い立場を選択したわけである。
本多猪四郎が、大陸から復員して東宝に復帰できたのは1946年である。本多は1951年8月公開の『青い真珠』で初めて劇映画を監督し、その翌年には地方社会の変革と社会悪と正義を描いて活劇要素もある『南国の肌』を手掛けているが、この作品は特殊技術を円谷が担当しているため、本多と円谷が初めてタッグを組んだ作品にもなった。続く本多の監督作品は、同年11月公開の『港へ来た男』。これは、この年に東宝に復帰した田中友幸が企画した骨太な作品で、捕鯨を背景に海の男を描いた活劇要素も強い一編である。この作品も特殊技術を円谷が担当しており、田中と本多、円谷の3人が一堂に会した初の作品という点も注目に値する。
東宝に復帰した円谷は、培ってきた特殊技術で勝負できる場を求め始める。ウィリス・オブライエンの技術に魅せられた、1933年公開の『キング・コング』が念頭にあったようだ。そんな円谷は1952年5月、東宝の製作宣伝係長から話を通してもらい、本社企画部の斉藤忠夫の協力を得て映画の企画を提出する。それは、クジラの怪物が東京を襲うという破天荒なものだった。この物語は円谷が東京大空襲で防空壕に避難した際に思いついたもので、発想の原点は「戦争」そのものと考えていいだろう。折しもこの年の7月、東宝は企画・製作体制の強化を意図して本社に製作本部を組織、本部長には森が就任する。森の下には本木荘二郎や藤本真澄、田中友幸ら9人の企画者がおり、彼らが自由闊達に映画企画を練る体制、かつてピー・シー・エルが採用したプロデューサーシステムを意図したのである。
映画製作の夢は「戦記映画」から「未知の大怪獣」へ
1953年10月に公開された大作、『太平洋の鷲』は、GHQによる占領統治が終了したために実現した本格的な「戦記映画」である。連合艦隊司令長官の山本五十六を主人公に、開戦からその戦死までを冷静に再確認、戦争の真実を解き明かそうという狙いがあった。その製作には、重要場面をイラストで示すピクトリアルスケッチによってスタッフの意思統一を図るハリウッド方式が採用され、本多によるドラマと円谷による特撮部分のすり合わせにも威力を発揮した。
▲急遽撮影が決定した野心的企画「ゴジラ」
Godzilla TM & TOHO CO.,LTD.
『太平洋の鷲』は、空前のヒットを記録した。『太平洋の鷲』に続いて1954年2月公開の『さらばラバウル』にも特殊技術を提供した円谷は、1953年に企画部に新たなプロットを提出している。それは、インド洋で捕鯨船団が巨大なタコに遭遇して戦うというもので、クジラの怪物の企画よりもリアリティが強かったが、いずれにせよ怪物系の映画はなかなか理解が得られなかった。
▲粘土原型を使った宣伝用スチール
Godzilla TM & TOHO CO.,LTD.
そんなある日、田中友幸が企画して11月の公開が決まっていたインドネシア・ナショナル・フィルムとの合作の超大作『栄光のかげに』が、クランクイン直前に製作が不能となってしまった。田中は急ぎ魅力的な新規企画を立てる必要に迫られた。そして『海底二万哩から来た大怪獣』を発想する。田中もかつての『キング・コング』体験から、特撮に可能性を見ていたのだ。さらに田中には、大正期から昭和初期の少年に共通する心象風景、当時の国策を背景にした冒険小説や絵物語の世界観が強く刷り込まれていた。南方憧憬または南洋ロマンチシズムとでもいう懐かしさが、未知の大怪獣というかたちをとって田中の内部に上陸してくる。
岩畠寿明(いわはた・としあき)
エープロダクション所属。1984年より講談社テレビマガジンにて、特撮ヒーローや怪獣映画ほかの記事を担当し、特撮関連のMOOKや児童向けの絵本などを構成・編集。近年は、特撮映画やヒーロードラマのシリーズMOOKも多い。
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