行方不明だった「青いノミ」 ル・マン仕様のミニ・マーコス(1) 90馬力エンジンはクーパーS用
ル・マン24時間レースを完走した「青いノミ」
「ギア比が長すぎて、加速しませんよ」。ミニ用4速MTのリビルドを頼まれた、専門家は口にした。「大丈夫。走った過去があります」。とジェローン・ブーイ氏は答えた。
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そうして、ル・マン24時間レースを完走した唯一のBMCミニ、というべきか、その派生モデルは復元された。通称、「青いノミ」だ。

ミニ・マーコス・ル・マン仕様(1966年) トニー・ベイカー(Tony Baker)
1965年9月25日にお披露目されたミニ・マーコスは、前日に完成したばかりの、少しブサイクなFRP製モノコックボディをまとっていた。パワートレインはミニ由来の1293ccで、前輪駆動。速そうには見えなかったが、雨のデビュー戦で大勝している。
その翌年、マーコス創業者のジェム・マーシュ氏は、ミニのアフターマーケット・ダッシュボードを製造するビリー・ダレス氏と出会う。彼は、マーコスでル・マン参戦を考えていたフランス人ラリードライバー、ジャン・ルイ・マルナ氏と取引があった。
ラリー仕様のクーパーSへ準じたエンジン
当時ル・マンを主催していたフランス西部自動車クラブ(ACO)は、自国のマシンが有利になるよう、エントリー審査やレギュレーション変更をすることが少なくなかった。マーシュは、フランス人ドライバーがいるチームの方が望ましいと、理解していた。
予定通り、マルナはエントリーが認められ、マーシュはミニ・マーコスのボディシェルを提供。技術者のジャン・クロード・フルボン氏が、クーパーSのワークス仕様パワートレインを利用し、レーシング・マーコスの製作を始めた。

ミニ・マーコス・ル・マン仕様(1966年) トニー・ベイカー(Tony Baker)
標準仕様のシェルは、ミニのサブフレームをFRPで繋いだ簡素な構成で、タイヤが外れた衝撃でバラバラになるほど強度が不充分だった。だが届けられたのはモータースポーツ用の強化品で、フロアは二重構造。軽い木材、バルサ材が挟まれていた。
SUキャブレターが2基載った約90psのAシリーズ・ユニットは、ラリー・モンテカルロへ挑んだクーパーSへ準じた。ただし、ファイナル比は2.49:1へ伸ばされ、190km/h以上の最高速度が狙われた。燃料タンクは、耐久戦に備え80Lへ拡大された。
サバイバルレースで最下位ながら完走
1966年6月に、ル・マンへ向かったチームクルーは4名のみ。ドライバーのマルナと、メカニックのフルボンの他、コドライバーはクロード・バロット・レナ氏。チームの代表としてマシン製作を支援し、資金を提供したユベール・ジロー氏も名を連ねた。
サルト・サーキットでは、特徴的なブルーのマーコスは人気者に。ストレートでの遅さから、観衆の応援を集めたようだ。

1966年6月のル・マン24時間レースを走るミニ・マーコス
フェラーリとフォードが熾烈なバトルを展開する傍らで、青いノミというあだ名を得たミニ・マーコスは周回を重ねた。24時間後、表彰台を独占したのはフォードGT40 MkII。完走15台というサバイバルレースで、最下位ながら258周で完走している。
1966年のル・マンを走りきった唯一の英国車として、当初は難色を示していたBMC側は、パワートレインの耐久性を誇示する材料に。その後、青いミニ・マーコスはモンツァ1000kmやパリ1000kmなど、9年に渡り多くのレースへ挑んでいる。
盗難を経て行方不明のまま半世紀
ミニ・マーコスは、1975年にフランス人のミシェル・タッセ氏によって購入され、普段の足としてパリを闊歩。この時点で、最高速重視のギア比とワイドなレーシングホイールは変更されていたようだ。ところが、英国へ売られる数日前に盗まれてしまう。
それ以来、ル・マンを優勝したマーコスは行方不明に。解体されたと考える人も多かった。しかし、ミニの歴史書を執筆するオランダ(ネザーランド)人、ジェローン・ブーイ氏は捜索を続け、ポルトガルに存在するという情報を得る。

ミニ・マーコス・ル・マン仕様(1966年) トニー・ベイカー(Tony Baker)
オーナーは、現地のレーシングドライバー。仲介人を介して交渉が進められ、2016年に彼は3枚の写真を受け取った。そこには、確かに半世紀前の青いノミが写っていた。
ポルトガルで眠っていたミニ・マーコス
ただし、1970年の時点でフロントは改造されていた。確証を得るべくボディ表面が研磨され、塗り重ねられた塗装が顕になると、オリジナルがブルーだと判明。盗難車としての時効は成立しており、2016年12月に購入が申し込まれた。
クルマを引き取るべく、ブーイはポルトガル中西部、モンチジョまでの2250kmの距離を1日で走破。フォルクスワーゲン・ポロに乗って来た男性と面会し、彼の自宅裏まで向かうと、古いガレージにミニ・マーコスが眠っていたという。

オーナーのジェローン・ブーイ氏によって運ばれる、ミニ・マーコス
ボディシェルに残されていたのは、ステアリングコラムの一部とペダルボックス、レース用燃料タンクだけ。それでも、ブーイは本物だと確信していた。
この続きは、ル・マン仕様のミニ・マーコス(2)にて。
