【藤田 晋】サイバーエージェント藤田晋が上場で「225億円調達」直後に味わった「地獄」…株価暴落、「金を返せ」の誹謗中傷の中でたどりついた”結論”
今や日本を代表する実業家の一人となった、サイバーエージェントの藤田晋氏。そんな藤田氏にも、上場直後に「もっとも苦しかった時期」があったという。当時を振り返りながら、その経験から学んだことを、藤田氏みずから語る。
※本記事は、堀江貴文氏との共著『心を鍛える』(角川文庫)の一部を抜粋、再編集したものです。
苦しかった時期をどう乗り越えたのか
事業は1人でできるものではありません。社員やスタッフはもとより、株主、取引先企業、そしてお客様……。多くの人たちと創り上げるもの。まずは身内から“強力な味方”で固める必要があります。しかし、それは容易なことではありません。
堀江さんの話を聞いていると、私自身の失敗や苦労の数々まで、走馬灯のように思い浮かびます。もちろん、その中には私自身の力不足によるものも多くあります。
さて、ここから、私が最も苦しかった時期が続きます。いったいどのように苦境を乗り越えたのか。もしかすると、あなたのお役に立てるヒントがあるかもしれません。
2000年3月24日に上場を果たした弊社ですが、その後、ある投資家との面談時に、こんな言葉をかけられたことがあります。
「上場で225億円の資金調達ができたということは、ベンチャーだから利回り10%として……。22億5000万円くらいは利益を出してほしい」
しかし当時、直近の決算での売上高は4億5000万円。どう考えても難しい話です。私は上場で資金調達を達成した後、事の重大さに気がついたのでした。
「売上増」「高収益の事業の育成」が私の当面のミッションになりました。
とはいえ、ネットバブルはすでに崩壊し始めています。上場したばかりの弊社についても、もちろん例外ではありません。
「株主に申し訳が立たないのはもちろん、社員たちにも顔向けができなくなる」
私はそんな焦りでいっぱいでした。
なぜなら、「最近入社した人たちにも上場での利益を享受してもらおう」と1500万円の公募株を3分割し、500万円で募集していたからです。社内から2億円もの申し込みがありました。皆、家族などからお金を借りて買っていたのです。
それでも株価が容赦なく下がり続ける
「自社の株で自分が大損したら、社員のモチベーションは大きく下がるだろう」
そう危惧した私は、株価を上げるためにより一層奔走します。
しかし、インターネット関連の株価は容赦なく下がり続けました。
堀江さんの会社も同じく危機を迎えていました。
弊社の上場から約1ヶ月後、2000年4月6日。提携し、二人三脚でともに事業を拡大させてきたオン・ザ・エッヂが東証マザーズに上場の日を迎えていました。
しかし、上場直後から売り気配だったのです。上場当日は東証の取引所の中を案内されて、理事長に挨拶するという儀式があります。堀江さんはどんな気持ちで東証の中を歩いていたのでしょうか。
後から聞いたところによると、彼はいつも通り、Tシャツとジーンズというスタイルで東証の上場式典に参列していたようです(笑)。どんな局面でも自分のポリシーを曲げない点は「さすが」としか言いようがありません。
私は下がり続ける株価をなんとかしようと、IR(株主や投資家向けの広報活動)の予定を可能な限り入れました。しかし、そのときの説明は、どうしても評価されることはありませんでした。理由は明白です。株価が下がり続けていたからです。
ある投資家には、こう言われました。
「最近の藤田社長は、アロガント(傲慢)になったのではないですか?」
私自身は上場前と上場後で、変わった自覚は微塵もありません。投資家は皆、サイバーエージェント株が暴落していることで腹を立てていたのでしょう。
もちろん、批判は謙虚に受け入れるつもりでした。結果的に、その時点で株主に損をさせているのですから、どう非難されても釈明のしようがありません。
エスカレートする批判と誹謗中傷
マスコミの論調も厳しさを増していました。
「黒字化の予定はいつですか?」
「赤字は悪」と言わんばかりに、弊社はまるで詐欺で上場したかのような扱いに変わっていきました。金融雑誌の「東証マザーズ危ない企業一覧」といった特集に、弊社の社名が出たこともありました。
また、ネット上の掲示板への書き込みは、マスコミをはるかに超える厳しさがありました。悪口どころか、誹謗中傷と形容されるような言葉が並んでいるのです。
「藤田、金を返せ!」「福井の田舎へ帰れ!」
「藤田は整形をした」などという根も葉もない噂を書き込む人まで現れました。さらに、「株主ではなさそうな人」による書き込みまで多く見受けられるほどでした。
「見ず知らずの人に、そこまで貶められる理由があるのだろうか。これが社会的制裁というものなのか……」
理不尽な気持ちが湧き起こったことも事実です。
また、母親から「ネット上で『藤田を殺す』って書かれていたわよ」と身を案じる電話がかかってきたこともあります。当時はまだ法規制が整っておらず、犯罪性のある書き込みも珍しくありませんでした。
噂話に耐えかねた私は、自社のホームページに「IR掲示板」というコーナーを設けました。あらゆる質問に弊社が回答するという形式です。しかし、そのような場に、正面切った意見が寄せられることは、ほぼありませんでした。
言葉は、人の心を簡単に殺す
「持ち上げられたら、落とされるのが世の常」と常に意識していたので、腹が立っていたわけではありません。しかし、同じ起業家からの棘のある言葉には参りました。
「うちはサイバーエージェントと違って黒字です」
「サイバーエージェントのような会社があるから、ベンチャー企業全般へのイメージが悪くなってしまう」
志を同じくする仲間だと思っていた人たちから、そうした言葉をかけられた記憶もあります。
また、その頃の私はピュアすぎた面もあったのでしょう。
「新たなベンチャーを多く創業して経済を活性化するために、できるだけ多くの成功事例を打ち立てたい。子どもたちがスポーツ選手に憧れるように、若者たちが『起業してみたい』と夢を見られるような“成功者”のイメージを体現したい」
そんな理想を描き、突っ走ってきたつもりでした。だからこそ、同じ起業家からの棘のある言葉が突き刺さったのです。言葉は、人の心を簡単に殺します。
その頃から、弊社は入社希望者が途絶え、退職者が相次ぎ、上場前からいてくれた社員たちは腐るようになっていきます。私は日に日に弱っていきました。
「外野からの理不尽な非難や悪口は、スルーしてもいい」
多少の経験を積んだ今、私はそう感じています。「はからずも今、苦境の中にいる」という方がいれば、迷わずそうお伝えしたいと思います。
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