世界陸上マラソンで金メダル谷口浩美さんは年金もらい、炊事洗濯の私生活。通学路の旗振り当番も日課に【あの人は今こうしている】
【あの人は今こうしている】
【写真】バンクーバー五輪銅メダル加藤条治さんは連盟スピードスケート副強化部長 企業とアスリートをつなぐ活動にも協力中
谷口浩美さん
(世界陸上マラソン金メダリスト/65歳)
かつて日本のマラソンは強かった。1991年の世界陸上で優勝した谷口浩美さんは、東京国際やロッテルダムでも優勝し、五輪に2度出場。期待された92年のバルセロナ五輪では「こけちゃいました」のコメントで一躍人気者に。今どうしているのか。
◇ ◇ ◇
「今日は新橋にあるヨネックスの東京ショールームでイベントがあり、ジョギング愛好家の方たちと皇居周辺を走ってきました。2014年からヨネックスのランニングシューズのアドバイザリースタッフをしていまして。こうして年5回くらい宮崎から東京に来ています。それにしてもみなさんは選手でもないのに、なぜそんなに熱心に走っているんでしょうね(笑)」
東京・銀座の喫茶店で会った谷口さん、まずはこう言った。谷口さんは宮崎出身で、今も宮崎在住なのだ。
「日体大時代や、48歳で東京電力の長距離・駅伝チームの監督に就任したときなどは東京に住んでいましたけどね。今は宮崎を拠点に、ヨネックスの仕事のほか、講演や各地のマラソンのゲストランナーとして、全国に年10回ほど出かけています」
どおりで、よく日焼けしているわけだ。
出身地の宮崎を拠点に、ヨネックスの仕事のほか、講演や各地のマラソンのゲストランナーとして、全国に年10回ほど出かけているという谷口さん。どうりで、よく日焼けしているわけだ。
「いや、これは地黒なだけ(笑)。現役ではないですから、走るのはイベントなどの予定が入ると、その1、2週間前から走るぐらいです。去年65歳になりましたから、年金をもらい、洗濯や皿洗いなどの家事をして、子どもの通学路で安全のための旗振り誘導をする毎日です(笑)」
私生活では“専業主夫”だと自称する谷口さん。旗振り当番までしているとは驚きだが、実はまだ小さな子どもがいるのだ。
22歳年下のリラクセーションサロン「ICHI」を経営する夫人と再婚し、中学1年生の娘と小学校4年生の息子に恵まれている。ちなみに、前妻との間にもうけた3人の息子は鍼灸師、農家、看護師になり、女の子の孫が3人いるという。
「今の嫁との間の息子が、孫と同じ小学校に通っています。孫は僕になついてくれていますよ」
離婚問題を乗り越えた谷口さんだったが、24年1月には脳梗塞で倒れたことも。
「息子と釣りに行ったとき、左手の感覚がおかしくなり、『脳梗塞だ』とすぐに気付いて救急車を呼んでもらったので後遺症はありません。高校の陸上部の先生の教えで、様子見などせず“早期発見・早期治療”を心がけたからこそです」
もっとも、狭くなった頸動脈から血栓が飛んだのが原因とのことで、その後、頸動脈の外科手術を受けたのだとか。お大事に!
■後輩たちが世界と競えないのは「我慢の問題」
さて、谷口さんといえば、旭化成時代の91年の世界陸上東京大会で、日本人初の金メダルを獲得。期待を背負い翌年のバルセロナ五輪に出場したが、途中の給水所で靴が脱げて転倒し8位に。しかし、レース直後の「こけちゃいました」というコメントがウケて、銀メダルだった、旭化成の後輩の森下広一選手以上の注目を浴びたものだった。
「ボクが転倒したところは放送されていないと思ったので、“こけたから8位だった”と言い訳したつもりだったんです。帰国してから話題になっていると知り、驚きました」
世界陸上で金メダルをとっても、『こけちゃいました』がなかったら、みなさんの記憶に残るランナーにはなっていなかったでしょうね。去年、地元のテレビ番組で森下クンと対談したとき、『いまだに谷口さんには勝てない』と言われました(笑)。でも、ボクは彼にライバル心を燃やし、五輪直前は、彼に勝つことしか考えていなかったんですから、不思議なものです」
“世界陸上金メダルでも忘れられる”というが、いまだに世界陸上マラソンの日本人金メダリストは谷口さんだけだ。
「高校時代、陸上部の先生から日誌を書くよう指導され、ボクはレース展開や練習について、ずっと細かく記録し続けていました。そうしなければ、陸上選手として生き残っていけなかったからです。世界陸上東京大会の前、それまでの自分のマラソンの記録をすべて見直し、他の選手との駆け引きを含め、綿密なシナリオを描いてのぞみました。それがうまくハマりました」
こけても、五輪で8位。そう、日本のマラソンは常に世界と競ってきたものだが、だんだん差がついたのはなぜか。
「マラソンは我慢の競技。ボクより後の世代は豊かになり、普段から我慢を必要としなくなったからじゃないかと思います」
(取材・文=中野裕子)
▽谷口浩美(たにぐち・ひろみ)1960年4月5日宮崎生まれ。日本体育大学時代は駅伝で活躍し、大卒後、旭化成陸上競技部へ。85年、別府大分毎日でマラソンに挑戦し優勝。その後も東京国際などで優勝。91年の世界陸上東京大会で日本人初の優勝。五輪には2度出場し、92年のバルセロナは転倒し8位に。97年引退。指導者へ。
