『べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~』写真提供=NHK

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 待望の我が子の産声を聞くことも叶わず、さらに歌麿(染谷将太)を手放すことにまでなって気落ちしていた蔦重(横浜流星)。深い喪失の淵に沈んでいた彼の瞳に、再び光が宿る瞬間が訪れた。きっかけは、あの「平賀源内」の名前だった。

参考:井上芳雄、『べらぼう』終盤での出演を語る 「新たなエネルギーを出せればいいな」

 乱心の末に獄中死したとされていた源内(安田顕)。だが実は密かに逃げ延び、田沼意次(渡辺謙)が治める相良の地で生きていた。そんな驚きの話を、十返舎一九こと重田貞一(井上芳雄)から聞かされる。「俺、源内先生が死んだって信じねぇことにします。分かんねぇなら楽しいことを考える。それが俺の流儀なんで」と語っていた蔦重の“願い”を肯定するように、源内生存説が時を経て現実味を帯びて目の前に立ち上がってきた。

 七つ星の龍、源内軒、そして死を呼ぶ手袋……。源内にしか書けないと確信させる『一人遣傀儡石橋』の草案が、耕書堂の店先にひっそりと置かれていた。添えられた紙には、再会を約束する場所と日時。懐かしい顔にようやく会える。そう胸を高鳴らせる蔦重の前に立ち現れたのは、「そう来たか!」と思わず声に出したくなる光景だった。

 NHK大河ドラマ『べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~』第44回「空飛ぶ源内」は、まさにクライマックスへと続く新たな扉が開く回に。耕書堂の存続さえ危ぶまれるほど落ち込んでいた蔦重と妻・てい(橋本愛)の暗い空気を、物語はゆっくりと照らし始める。

 印象的に描かれたのは、甘いものたち。蔦重の義理の母であるふじ(飯島直子)が「子は甘いもんが好きだろ? おつよさんも嫌いじゃなかったし」と、空に帰った子、そして蔦重の実母・つよ(高岡早紀)の前にもお供えし、手を合わせる。あの子と同じものを口にすることができるのなら……と思えたのかもしれない。それまで何も喉を通らなかったていも「私も」と、いっしょに甘味に舌鼓を打つ。

 その後も、蔦重夫婦の気力を取り戻す象徴かのように、焼き菓子、もろこし、まんじゅう、大福……と、次々に甘いものが彼らの胃を満たしていく。そのたびに、戯作者を卒業して今は隠居の身である朋誠堂喜三二(尾美としのり)、意次の側近だった三浦庄司(原田泰造)、そして大田南畝(桐谷健太)と、蔦重がイキイキとしていた“あの頃”を思い出させる面々との縁が繋がっていく。いや、正確には「源内生存説」という物語が、蔦重にその縁を呼び起こさせた。

 その物語にいても立ってもいられなかった喜三二が、文の返事とともに自ら訪れてくる姿にも久しぶりに笑いがこぼれた。やはり蔦重の周りはこうでなくちゃ、と思わずにはいられない明るいムードが久しぶりに漂う。さらに蔦重が源内の足取りを求めて街に繰り出すと、鬼平こと長谷川平蔵(中村隼人)とも鉢合わせ。物事が大きく動き出すというときには、縁のある人とばったり会うもの。このときはまだ、源内との再会が待ち受けているものだとばかり思っていた。

 だが、草案に添えられた約束の場所・安徳寺にていよいよ襖が開くと、そこにはまさかの松平定信(井上祐貴)の姿が。そして、定信を囲む形で三浦も、鬼平も揃っていた。さらには、大奥の最高権力者であった高岳(冨永愛)と、蔦重が捕縛された際にはていが直訴した儒学者の柴野栗山(嶋田久作)と、『べらぼう』の江戸城メンバーが顔を揃えていたのだ。もしや、蔦重を呼び出すためにあの源内風に草稿を書き上げたのは、黄表紙好きな定信だったのだろうかという想像も膨らむ。

 蔦重の周囲と並行する形で進んでいた江戸城パートが、「源内」をキーワードに繋がっていく。そして、浮かび上がってくるのは、もちろん“あの男”の暗躍だ。死を呼ぶ手袋をもって次期将軍であった家基(奥智哉)を亡き者にし、その手袋の存在に気づいた“白眉毛”こと松平武元(石坂浩二)の口を封じた。そして、すべてのからくりを見破った源内にあらぬ罪を着せて、その真相を記した戯作を燃やした、あの一橋治済(生田斗真)だ。

 自身の息子・家斉(城桧吏)を将軍にし、幼い間は定信に政を任せてきた治済。そして、家斉が成長するやいなや、もはや用済みとばかりに定信を失脚に追い込んだ。その動きを見た高岳は、この一連の江戸城の動きはすべて治済によって操られていたのだと確信して、定信のもとへ話をしに来たという。「宿怨を越え、ともに敵を討つべく手を組んだ」と定信から説明を受ける蔦重。そして、「どうだ、蔦屋重三郎。我らとともに敵を討たぬか? そなたとて心ひとつであろう」と提案するのだ。

 だが、今や相手は将軍の実父。そして、あの意次でさえ勝つことが叶わなかった相手だと思うと、自分にあのラスボスに打ち勝つ力があるのかと尻込みしてしまうのも無理はない。そして、なによりも手を組もうと言っている相手が、これまで自分を追い込んできた定信である。身上半減を挽回しようと無理をした結果、歌麿のことを大切にしきれなかったところがある。ていにも苦労をかけた。もし定信と件がなかったら、子だって無事に抱くことができたかもしれない。そして何よりも、恋川春町(岡山天音)を失わずに済んだかもしれない。

 宿怨を越えるというのは、そう簡単なことではない。しかし、一方でこの物語以上に、蔦重の心を動かす夢も残っていないようにも思える。源内から授かった「耕書堂」という名、“書を持って世を耕す”という志だ。蔦重は定信との戦いを通じて、自分はいち本屋でしかないことを十分に痛感した。世の中を変えることなんて、自分の分を超えた夢かもしれない。それでも、人を傀儡のように扱う者が上に立つ国で、豊かな未来が育つわけがない。蔦重がいち本屋としてできることは、治済が操る世界を「思い通りにはさせない」こと。そして、みんなが笑える形でひっくり返すこと。その痛快な作戦に“写楽”という名が潜んでいると思えば、期待は高まる一方だ。

 もちろん、史実として江戸城メンバーと蔦重がこうして手を組んだとはなかなか考えにくい。だが、否定しきれる資料もまたない。「わからないなら、楽しく考える」。そのモットーこそ、『べらぼう』の物語を可能にしている筆の力だ。黄表紙でいえば、この『べらぼう』の物語もあと僅か。残り少ないページ数をさみしく噛み締めつつ、最後まで笑える未来を祈りながら見届けたい。(文=佐藤結衣)