なぜ歴史は動き、何が命運を分けたのか? 安田登さんと読む『平家物語』#1【別冊NHK100分de名著】
安田登さんによる『平家物語』読み解き #1
公家の時代から武家の時代へ、平家から源氏へ。時代の転換期のダイナミズムを描いた『平家物語』。平家はなぜ栄華をきわめ、没落していったのか。戦乱のなか、人々は何を思い、どう行動したのでしょうか。
『平家物語』を知り尽くした博覧強記の能楽師・安田登さんが、難解で長大な物語を「大きな出来事」に絞って解説する『NHK別冊100分de名著 平家物語 こうして時代は転換した』では、時代が動くとき、世の価値観はどのように変化したのか。その変化のありようを私たちが生かせる道とはどんなものなのかについて、読み解きとともに考えていきます。
『平家物語』とは何か
「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響(ひびき)あり。」
誰もが一度は聞いたことがある、あるいは学校で習った記憶があるフレーズではないでしょうか。こうして始まる『平家物語』は、平安末期に起こった、平家と源氏の騒乱を描く長大な軍記物語─というのが一般的な理解でしょう。しかし、実際に読んでみると源氏が本格的に登場するのは物語の後半ですから、全体として見ると、平家の衰退を描く物語と捉えたほうが正確だと思います。
作者は不詳ですが、有力な説としてよく引かれるのは、吉田兼好の『徒然草』二百二十六段。信濃の前司行長(ぜんじゆきなが)という人が『平家物語』を書き、生仏(しょうぶつ)という盲目の僧に教えて語らせた、という逸話です。しかし、実際の成立にはおそらく多くの人が関わっていて、よくわからないというのが正しいところでしょう。成立年も不詳ですが、鎌倉時代(一一八五頃~一三三三)の前半までにはおおよそ現在のような形の作品になったと考えられています。
『平家物語』には内容の異なるバージョンが多く存在し、それらは大きく「語り本系」と「読み本系」の二系統に分かれます。現在、私たちが主に目にするのは語り本系の『平家物語』で、盲目の琵琶法師(びわほうし)が琵琶を弾きながら人々に「語って聴かせた」物語の系統です。物語を目で読むのではなく、耳で聴く。これは『平家物語』の大きな特徴です。聴き手にはさまざまな階層の人たちがいましたが、中世から近世にかけて、主な聴き手は武士でした。なぜ武士たちは『平家物語』を聴いたのでしょうか。そのことについて考えてみる前に、能楽師である私と『平家物語』の出会いについてお話ししておきましょう。
物語と「鎮魂」
私が『平家物語』と初めて出会ったのは、中学生か高校生のときのこと。授業で『平家物語』を学び、「祇園精舎」の平家琵琶を聴いたのですが、正直言っておもしろさは全く感じませんでした。その魅力を初めて知ったのは、能を通して改めて出会ったときです。実は、能という芸能は『平家物語』から多大な影響を受けています。能の演目には、『敦盛(あつもり)』『俊寛(しゅんかん)』『巴(ともえ)』『八島(やしま)』など、『平家物語』に材を取ったものが八十曲以上もありますし、能を大成した世阿弥(ぜあみ)は、『平家物語』は文章がすばらしいので、源平の名将を主人公とする能を書くときには「平家の物語のままに書くべし」と言っています。さらに、『平家物語』と能は、戦いで命を落とした人や、この世に思いを残して死んでいった人の霊を鎮魂するという、共通の役割を持つ芸能でもあります。
私は二十五歳で能を初めて観て、師匠に弟子入りし、二十七歳から舞台に立つようになりました。『平家物語』のおもしろさを体感したのは、自分が能を演じるようになってからです。まずすごいのは、目の前に(演者が演じているとはいえ)平家の武将が実際にいるということ。しかもその人と古語で会話をするということ。これにはいまでも興奮します。
もうひとつ実感したのは、「鎮魂」の意味についてです。それまで「鎮魂」というと、平家の人々などの死者の魂を慰めるだけだと思っていました。しかし、それは生きている私たちの魂をも鎮めるものだったのです。
こんな体験をしました。まだ玄人の能楽師になる前です。客席で能を観ていたとき、ふと気づくと途中から能を観ていない。何をしていたかと言うと、ぼんやり自分のことを考え始めていました。しかも、普段は思い出さない過去の記憶がふと意識の表層に現れる。
以前、ある心理学者が言っていましたが、普段は思い出さない過去をそのままにしておくと、あるときその過去が自分に押し寄せて自分の人生をダメにすることがあるそうです。たとえば、突然やる気がなくなったり、急に仕事を辞めたくなったりすると言うのです。
私たちは、いまを生きるために過去の自分をどんどん切り捨てています。切って、捨てて、殺した自分がいる。その切った自分、捨てた自分が、能を観ているときにふっと現れるのです。その衝撃が激しすぎる場合に、おそらく起きていることが不可能になって、寝てしまいます。よく言われる、能を観ると眠くなるという現象が起こる。
でも私は、その場合は寝てしまっていいと思うのです。そして、目が覚めると不思議とスッキリしている。これは、切り捨てた自分の魂が鎮められたからなのではないか。これこそ現代における鎮魂なのではないのか。現代人が能を観る意味のひとつがそこにある、そう思いました。
おそらく、中世以降に『平家物語』を聴いていた武将たちは、自らも人を殺してきた。そして平家の物語を聴きながら、平家の死者が、自分が殺した敵に重なり、さらには切って捨てた自分の過去とも重なり、心の中でその霊を鎮魂したのではないか。能を観ながら私はそう思ったのです。
さて、そんな鎮魂の物語である『平家物語』は、現代の私たちからすると、人間論や組織論としても読むことができます。なぜ、平家をはじめとするあらゆる組織が衰退に向かうのか。どうすればそれを延命させることができた(かもしれない)のか──。
『平家物語』で描かれる組織衰退のキーワードのひとつは「驕り」です。なぜ人は驕ってしまうのか。なぜそれが組織衰亡につながるのか。そんなことにも注目しながら、これから、『平家物語』を読んでいきたいと思います。
■『別冊NHK100分de名著 集中講義 平家物語 こうして時代は転換した』(安田登 著)より抜粋
■脚注、図版、写真、ルビは権利などの関係上、記事から割愛しております。詳しくは書籍をご覧ください。
※本書における『平家物語』『太平記』の原文および現代語訳の引用は『新編 日本古典文学全集』(小学館)に拠ります。読みやすさを考慮し、現代語訳の一部に手を加えています。
安田 登(やすだ・のぼる)
能楽師。1956年千葉県生まれ。下掛宝生流ワキ方能楽師。関西大学(総合情報学部)特任教授。高校教師時代に能と出会う。ワキ方の重鎮、鏑木岑男師の謡に衝撃を受け、27歳で入門。現在はワキ方の能楽師として国内外を問わず活躍し、能のメソッドを使った作品の創作、演出、出演などを行うかたわら、『論語』などを学ぶ寺子屋「遊学塾」を全国各地で開催。日本と中国の古典の「身体性」を読み直す試みにも取り組んでいる。
※著者略歴は全て刊行当時の情報です。
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