「死ねって言葉よりきつかった」 生きる手段だった陸上、批判覚悟でセミヌードになった理由――パラ陸上・中西麻耶
THE ANSWER的 国際女性ウィーク5日目「女性アスリートとメイク」中西麻耶インタビュー前編
「THE ANSWER」は3月8日の国際女性デーに合わせ、さまざまな女性アスリートとスポーツの課題にスポットを当てた「THE ANSWER的 国際女性ウィーク」を今年も展開。「スポーツに生きる、わたしたちの今までとこれから」をテーマに1日から8日までアスリートがインタビューに登場し、これまで彼女たちが抱えていた悩みやぶつかった壁を明かし、私たちの社会の未来に向けたメッセージを届ける。5日目は陸上でパラリンピック4大会に出場した中西麻耶(阪急交通社)が登場する。
今回のテーマは「女性アスリートとメイク」。スポーツ界にはこれまで女子選手がメイクやお洒落を楽しむことが批判される風潮があった。メイクにこだわってきた中西も、競技生活でバッシングを多く受けたという。前編では、24歳でメイクに興味を持ったきっかけを明かし、実際に批判された経験について吐露。2012年に話題となったセミヌードカレンダーの自費出版に踏み切り、一度は現役引退に至るまでの経緯を語った。(取材・文=長島 恭子)
◇ ◇ ◇
取材ルームの大きなシルバーの扉が開くと、バックパックを背負った小柄な女性がひょっこりと現れた。2008年北京大会から、4大会連続でパラリンピック出場する、女子陸上選手の中西麻耶だ。
中西の身長は158センチ。知ってはいたものの、テレビや写真で見る印象よりも、ずっと小柄で驚いた。
「それ、会う方に絶対、言われます。スポーツでは心理戦も大切。だから競技中は、自分を大きく見せられるようなヘアメイクを意識しています。海外の大きな選手にも、恐怖心はありますから、私のようなちっちゃい選手でも、強そう、大きく見える、と感じさせれば、相手はプレッシャーを感じると思うし。マウントですよ、マウント(笑)」
普段と試合の日では、髪型もメイクもガラリと変わる。普段は流行も取り入れつつ、「常に新しい自分を見つけている」。そして試合では「クールでかっこよく」が、コンセプト。「そう見えたほうが、『あ、この選手なんかしてくれるかも』という期待感が高まるかなって」
メイクに興味を持ち始めたのは、24歳になる2009年、練習の拠点をアメリカに移してからのことだった。五輪三段跳び金メダリストでもあった当時のコーチ、アル・ジョイナー氏の「女性としての人生を楽しむぐらいの余裕がなければ、お前は絶対に世界一になれない」という、言葉がきっかけだった。
「当時の日本は、競技者ならば24時間、365日、陸上のことばかり考えろ、という時代。私自身、ソフトテニスをやっていた青春時代もそんな感じで過ごしていたので、びっくりしました」
「ファッションやメイクは自分を表現する一つのツールであり、スポーツに向かう気分を作り上げる力もある。だから、女性として人生も楽しむことは、競技者としても大切だよ」。そう語るコーチの話を聞き、チームメートの姿を思い出した。
「彼女と初めてプライベートで出かけたとき、私服姿やお化粧品を選んでいるときのキャッキャした雰囲気など、練習中では見せない姿がすごく新鮮だったんです。それで、あぁ、私もちゃんと、お洒落も楽しみたいな、と思いました」
自費出版に踏み切ったセミヌードカレンダーが批判の着火点に
まず、手に入れたのはマニキュアだった。アルコーチの妻だった人は、アメリカ女子陸上短距離の選手、故フローレンス・ジョイナーさん。長い爪を飾る煌びやかなネイルアートは、ジョイナーと聞けば誰もが思い浮かべる、唯一無二の個性だった。
「そうそう、いつもすごくキレイなネイルをしていましたよね。一度、アルに『彼女はあんなに爪が長くて、スパイクの紐とか結べたの?』と、聞いたことがあるんです。そうしたら『彼女はすごく器用に結んでいたんだよ』と話してくれました」
一方、日本のスポーツ界では「競技にお洒落は必要ない」という考えが、スポーツ界では一般的。「お洒落にうつつを抜かして競技に集中していない」。日本の大会に出場すると、そんな声ばかりが、耳に入った。
「競技もお洒落も当たり前に頑張る選手たちとトレーニングを続けていただけに、環境や文化のギャップをすごく感じました。あぁ、日本ではそういう風に見られちゃうんだな、って」
加えて、障がい者として相応しくない、とも評された。「空回りをしていて可哀想」。脚を失う前と同じように振る舞うほど、そうも言われた。
「私は健常者として生きていた人生もあったので、そのギャップに驚きました。私は脚を失くしただけで、中西麻耶という人格や心まで失ったわけではありません。それなのに、こんなにも周囲の目は変わってしまうのか、と」
それでも、記録を更新し続けていた中西は、外野がどう言おうと、メイクを止めることはしなかった。しかし、バッシングの声は次第に世間を巻き込み、広がっていく。
2012年に自費出版に踏み切ったセミヌードカレンダーは、その着火点となる。
カレンダーの出版は、活動資金を得るために決断した。なぜ、セミヌードにしたのかと聞くと「だって、自分には本当に何もなかったから」と答えが返ってきた。
当時の中西は、プロ選手とはいえスポンサーもなく、強化費、遠征費、生活費はすべてが自腹だった。競技用義足の制作にも100万円以上かかる。ところが、明日の食事のありつけるのかもわからないほどに、困窮。ロンドン五輪を目の前にして「引退もやむなし」の状況だった。
「試合はメディアに残るし、ボロボロの姿で出場したら、それこそスポンサーなんてついてくれません。だから、普段は穴の空いた靴下を履いて、ボロボロのウエアを着回していたけれど、大会ではきちんとメイクをして身なりを整え、試合に臨みました。
当時、『プロで活動していて、キレイに着飾って、こいつは何の苦労もしていない』と思われたことが、本当にたくさんあった。でも、そんなことはない。私もたくさん犠牲にしてきたし、この体一つしかないんだってことも表現したかった」
障がい者を持つ人からの声が「『死ね』っていう言葉よりきつかった」
セミヌードを選択した理由は、もう一つある。当時、障がいを持つ女性やその家族と接するなかで、女性として生きていくことの罪悪感を当人たちから覚えていたからだ。
「女性障がい者の方が着飾ったり、キレイになりたいと思ったりすることは、『贅沢だ』『わがままだ』と思ってる人も、すごくたくさんいた。障がい者は介護者に面倒をみさせて生活しているのだから、少しでも手間のかかることは望んではいけない、という考えを当人からも強く感じました。
でも私は、女であることを捨てたくなかった。それを諦める必要ってどこにあるのかなと思いました。これで、資金が集まらなかったら引退しかありません。ならば最後に、同じ障がいを持った女性の勇気につながるものを残そうと考えました」
そういう中西自身も「世の中は自分を受け入れてくれない」と、感じていたという。また、どんなに悩んで引退を決めても、誰も自分のことを覚えていないんだろうな、という悔しさもあった。
「私は、スポーツをするために、脚を切断して生きると決めました。そして陸上は生きる手段だった。その覚悟の証しを残したい気持ちが、すごく強かった」
セミヌードは、まさに裸一貫で競技に取り組んでいた心意気の現れだ。ところが世間の声はまたもや、彼女の想いとは異なる方向へと暴走する。
「この時期はやばかったです。『わざわざ見せるんじゃない』『気分が悪くなった』という声はすごく多かったですね。一番ショックだったのは、『こういうことをされると、自分たちも同じような目で見られるから迷惑です』という、障がいを持つ人からの声もたくさんあったことです。これは『死ね』っていう言葉よりきつかったかも。うん」
この後、ロンドンパラ出場は叶うが、女子走り幅跳びでメダルを狙うも、結果は8位。思うような成績を出せず、バッシングに立ち向かう精神も削がれ、大会後、自ら現役引退を決めた。
(後編へ続く)
■中西 麻耶 / Maya Nakanishi
1985年6月3日生まれ。大分・由布市出身。明豊高(大分)ではソフトテニスでインターハイ出場。働きながら国体出場を目指していた2006年9月、勤務中の事故で右脚の膝下から先を切断。退院後にパラ陸上競技の世界を知り、義足のスプリンターに転向する。初出場の2007年日本選手権では100、200メートルで当時の日本記録を樹立。事故からわずか2年後、2008年北京パラリンピックに出場し、以降3大会連続出場。2016年リオ大会では走り幅跳び4位入賞となり、日本人では同種目のパランピック過去最上位を記録した。2019年には世界パラ陸上の走り幅跳びで日本人初となる金メダルを獲得し、東京パラリンピックの出場権を獲得。2021年の本大会では6位入賞。T64(片下腿義足)女子走り幅跳び日本記録保持者(5メートル70)。
(長島 恭子 / Kyoko Nagashima)
長島 恭子
編集・ライター。サッカー専門誌を経てフリーランスに。インタビュー記事、健康・ダイエット・トレーニング記事を軸に雑誌、書籍、会員誌で編集・執筆を行う。担当書籍に『世界一やせる走り方』『世界一伸びるストレッチ』(中野ジェームズ修一著)、『つけたいところに最速で筋肉をつける技術』(岡田隆著、以上サンマーク出版)、『走りがグンと軽くなる 金哲彦のランニング・メソッド完全版』(金哲彦著、高橋書店)など。

