1954年のクラス優勝マシンを再現 ブリストル450ル・マン 異彩のツインフィン 後編
当時の関係者との印象的な出会い
ブリストル450ル・マンの窓は、曲面を描くアクリル製。フロントガラスは、MGB用から再成形された。「ボディラインに合わせてカットしています。内側から取り付けるため、作業はとてもトリッキーでした。2枚も割っています」
【画像】ツインフィン ブリストル450ル・マン 同社の量産モデル 同時期のオスカとロータスも 全115枚
「ブリストル450は、公道用のツーリングカーとして認証を得ていました。ウインカーも付いていたんです。ル・マンでは使用されませんでしたけどね」

ブリストル450ル・マン(1954年仕様の再現モデル)
「シンプルなメーターパネルに合わせて、小さなウインカー灯でも充分でした。でも、ブリストル403風の矢印にしたいと考えたんです」。オーナーのオリヴィエ・ボレ氏が振り返る。
再生の過程では、当時のレーシングドライバー、ジャック・フェアマン氏との対面以外にも印象的な出来事があった。「ダッシュボードのメダルは、1973年にブリストル・カーズを引き継だトニー・クルックさんの所有品でした」
「2014年にトニーさんが亡くなり、友人だったミッチェルの父、ピーターさんへ譲られています。その彼も、450ル・マンの作業へ情熱的に関わってくれました。毎日ワークショップへ顔を出すほど」
ボレが続ける。「しかし、2021年にピーターさんも他界。その生前に、メダルをクルマに使って欲しいと言葉を残したのです」
ご存命だった、当時のレーシングドライバーとの再会も果たした。「ミッキー・ポープルさんが補欠ドライバーでした。そこで復元プロジェクトにお招きしたんです。特別なマシンを目にして、感動された様子でした」
雷鳴のような轟音を放つル・マン仕様の直6
果たして、完成した450ル・マンのお披露目は、2021年にグッドウッド・サーキットで開催されたベントレー・ミーティング。来場者はあまり関心を示さなかったようだが、初走行は大成功を収めた。
8月には、シルバーストーンとカッスルクームでのイベントにも参加。その秋にフランスで開催されたイベント、レトロモービルでは話題を集めたそうだ。

ブリストル450ル・マン(1954年仕様の再現モデル)
「2022年7月のル・マン・クラシックにも参加しました。その頃のドライバーが体験した走りを、同じサーキットで味わうことを楽しみにしていましたから」。ボレが笑う。
いま筆者がいるのは、フランス・パリの南部に位置する、オートドロム・ドゥ・リナ・モンレリ。1953年10月に、450ル・マンがスピード記録に向けて走行した場所だ。とても貴重な機会としかいいようがない。
狭いコクピットに身体を押し込む。湾曲したグラスエリアに覆われ、水槽の中にいる気分になる。ル・マン仕様の直列6気筒エンジンは、目覚めると同時に雷鳴のような轟音を放つ。68年前のマシンとは思えないほど勇ましい。
歴史的なサーキットへ、ゆっくり歩みを進める。数周走って水温を高め、徐々にペースを速めていく。4速へシフトアップすると、ダッシュボードの小さなスイッチでオーバードライブを選べる。
速度の上昇とともに、ステアリングホイールが軽くなる。正確性は変わらない。バンクコーナーを攻め込むが、ミリ単位でラインを調整できる。とても忠実だ。
偉業の大きさを物語る異彩を放つボディ
450ル・マンは、レーシングカーとしてバランスに長ける。近年に再現されたクルマだが、できる限りオリジナルへ近づけてある。当時のレーシングドライバーが経験した感覚も、高度に再現されているに違いない。
2人の情熱が完成へと導いた、ブリストル450ル・マン。その異彩を放つスタイリングが、偉業の大きさを物語る。

ブリストル450ル・マン(1954年仕様の再現モデル)
まだ空気力学が黎明期だった1950年代に、想像力豊かな技術者が導き出したボディは見事に蘇った。ボレとミッチェルの想像性も、人並み外れたモノといえるだろう。
協力:オートドロム・ドゥ・リナ・モンレリ、ミッチェル・モーターズ社
番外編:1954年のル・マン・クラス優勝
ブリストル・カーズのワークスチームは、1954年のル・マン24時間レースへ3台のマシンで参戦。総合で7位から9位へ入賞し、1500-2000ccクラスでの優勝を果たした。
第二次大戦時に事業を成功させたブリストル・エアプレーン社は、終戦とともに自動車事業へ展開。モータースポーツでの活躍が販売につながると判断し、ル・マン参戦を目標に掲げた。

ブリストル450ル・マン(1954年仕様の再現モデル)
BMWを由来にするブリストルの直列6気筒エンジンは、イングリッシュ・レーシング・オートモービル(ERA)社の手によりチューニング。F2マシンに搭載され、実力の高さが示されていた。
軽量なマグネシウム・チューブラーフレームは実戦結果を残していなかったが、高い可能性を秘めていることは明らかだった。そこで同社のデザイナー、デビッド・サマーズ氏により、風洞実験を経たクーペボディが与えられる事になった。
1953年の初戦では4台のマシンを投入。しかし、チェッカーフラッグを受けることはできなかった。エンジントラブルでのリアイアに喫した。
それにめげず、3週間後にはフランス・ランスでの12時間レースに参戦。フェラーリ166を凌駕し、2.0Lカテゴリーで優勝を果たした。総合でも5位を掴んでいる。
ミュルザンヌ・ストレートで240km/hに迫る
翌年に向けて、ブリストル・カーズの士気は高かった。ボディはシャシーに合わせて調整が加えられ、洗練度を高めた。ブレーキの冷却性を向上するべく、フロントフェンダーの形状が改められ、ヘッドライトとテールライトも一新された。
改良後の1953年10月には、オートドロム・ドゥ・リナ・モンレリでテスト走行。6時間平均で185.7km/hというスピード記録を含む、6クラスで新記録を残している。英国の自動車業界としても誇らしい結果だった。

ブリストル450ル・マン(1954年仕様の再現モデル)
さらに特別なシリンダーヘッドを開発。トリプル・ツインチョーク・キャブレターを搭載し、157ps/6000rpmという最高出力を引き出した。
1954年仕様の450ル・マンは速く、まだシケインで仕切られていなかったミュルザンヌ・ストレートで240km/h近くの速度に届いた。安定性も高かったようだ。
レーシングドライバーのピーター・ウィルソン氏は、次のように答えている。「ストレートでは森の間から強い横風が吹きます。しかし、450は少し進路が乱れただけ。ほかのマシンは、明らかに影響が大きかったように見えまました」
レース撤退とともに破壊された450ル・マン
レース本番、3台は順調に周回を重ねた。深夜にはライバルマシンを避けるためジャック・フェアマン氏がコースアウトするが、ダメージは最小限で済み、すぐにコースへ復帰した。
24時間後の午後4時、3台の450ル・マンはほぼ同時にゴールラインを通過。35号車が総合7位に入り、1500-2000ccクラスを優勝。33号車は総合8位、34号車は9位という好成績を掴んでいる。

ブリストル450ル・マン(1954年仕様の再現モデル)
1955年、密閉されたコクピットに轟音や熱、湿気がこもるというドライバーからの報告を受け、450ル・マンはロードスターにコンバージョンされる。ルーフのないボディはさらに速く、翌年もクラス優勝を果たした。
しかし、ピエール・レヴェグ氏がドライブしたメルセデス・ベンツが悲惨な事故を引き起こし、1955年のル・マンは明るい幕切れとはならなかった。ブリストル・カーズのワークスチームは、賞金を犠牲者の義援金に当てた。
失敗に終わったブラバゾン旅客機の影響で、航空機事業の経営が悪化していたことが重なり、数週間後にブリストルはモータースポーツから撤退。シャシー番号11の1台を除いて、450ル・マンは破壊されてしまった。
執筆:Serge Cordey(セルジュ・コルディ)/Christophe Gaillard(クリストフ・ガイヤール)
撮影:Patrick Leveque(パトリック・レヴェック)
