滝川英治

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 絵本『ボッチャの大きなりんごの木』を出版し、パラリンピックの開会式に出演するなど活躍の幅を広げている滝川英治さん(42歳)。絵本は発売後すぐに重版が決まり、連続ドラマ『最愛』の読み聞かせのシーンで使用されたことも話題になっている。ドラマの撮影中の事故で脊髄損傷という大ケガを負い、ドクターヘリで病院に緊急搬送され、一時は命も危うい状況になった滝川さん。想像を絶する過酷な体験をしてきた彼が、新たな夢を実現させるに至った過程について取材した。

【写真】事故直後、のどを切開し人工呼吸器をつけていた滝川英治さん

いとこのクリステルへの出産祝い

 2020年初春、エッセイ『歩 ―僕の足はありますか?』(主婦と生活社刊)を出版したころ、すでに絵本を作ろうと動き出していたという滝川さん。そのころ考えていた構想は、3匹のワンちゃんの話だったが、『ボッチャの大きなりんごの木』はまったく違うストーリーとなった。

「実は、いくつかの物語を持って出版社を行脚しました。自信はありましたが、そう簡単にはいきませんでした。同時期に、絵本の構想とは別に、東京パラリンピック競技の絵も描いていました。パラスポーツ番組のMCを2年間やらせていただいており、僕なりの角度で描く物語が思いのほか好評で、そこから試行錯誤を重ね、今のボッチャの世界観が生まれたんです。ボッチャというパラスポーツの競技の無限の可能性が僕の伝えたいメッセージと重なり、ストレートに僕の想いを描きました」

 出版社へは滝川さんの姉が度々同行し、描いた絵は母親に見せては感想をもらうなど、家族の手助けもあったという。

「甥っ子姪っ子からは子ども目線でのアドバイスをもらいました。そんな中、いとこのクリステルが小泉進次郎さんと結婚し、子どもが産まれるということで、絶対に出産祝いに絵本をプレゼントしたいというモチベーションになりました。締め切りまでの3か月あまりは睡眠時間2時間ぐらい。家族には内緒にしていましたが……」

 運動神経バツグンで、恵まれた体躯でハードな舞台にも出演してきた滝川さんだが、事故後は少し無理をするとすぐに高熱が出てしまうようになってしまった。それでも絵本作りに没頭できたのは、3年前に他界した父親の存在が大きかった。

「僕は事故後も、東京でのひとり暮らしを望みました。東京でまだ夢を追いたいと思っていることを伝えると、父はそんな僕に対して“わかった。そのかわり二度と大阪に帰ってくるな”とケツを叩いてくれました」

 ほかの家族は心配し大阪の実家に戻るようにと言ったが、父親ひとりだけが背中を押してくれたという。

「そのときに父の厳しさと優しさを噛み締めました。そんな父への感謝の気持ちを絵本のカタチにして報いたかった。天国にいる父に、少しでも安心してほしかった。夢を見つけて、俺は前を向いてるからもう大丈夫だよと」

 事故がなければ、思いもしなかったであろう絵本を出版するという夢。発売の2か月まえに描き終えた瞬間は、達成感と安堵でいっぱいだった。

「この本は事故後の4年間のすべてと言っていいくらい、僕の魂の作品なので、もう感無量です。描き終えたその日は、朝からの雨空がふと外を見たら青空へと変わり、きれいな二重の虹がかかっていました。“頑張った!お疲れさま!”と父に言われている気がしました。ただ正直、僕にとったら描き終えた時点でもう過去のことになっていました」

生きることは想像&創造すること

 4年間の全てをかけたという絵本に込めた思いは、どういったものなのだろう。そこにはどんなメッセージを込めていたのだろうか。

「絵本における内容的なメッセージは特にないんです。読者に対して、求めること、教えたいと思うこと、伝えたいことなど、押し付けがましい限定的なメッセージは何ひとつ考えていません。テーマ性とか教育的な見地を求めてしまうと、特に子供たちはそういう匂いをすぐに嗅ぎつけて、絵本から離れていってしまうと思うんです。

 絵本はあくまでも楽しいものであって、それ以上のことは必要ない。感覚、直感的に感じるもの、そのすべてを尊重したいですし、すべてが正解であるべき。子供が自分の感覚を信じ、子供の感覚が尊重される経験をすれば、後々つらいことや苦しいことがあっても、きっと乗り越えていけると思うんです」

 大変な経験をしてきたのだから、感じてほしいメッセージがあるのかと思っていたが、そうではないという。絵本もお芝居も芸術も、すべてのエンターテイメントは「想像と創造において自由で多様性の象徴になるべきもの」と考えているという。

 そんな中で人が「生きる」ということを考え続けた滝川さんが感じたのは「生きるのは存在することではなく創造すること」。

「それは、常に何か新しいこと、何ができるのかを追い求める姿勢。『想像』と『創造』のサイクルを繰り返すことで、人は『生きる』ことを実感できると思っています。それがスムーズにできる社会が僕の理想で、僕が考えるインクルーシブな社会は、個人の創造の可能性に対して、適切なエネルギーが供給される社会です」

 九死に一生を得て、生きること、自分が生かされた意味について人一倍考えてきた滝川さんが辿り着いた答えだった。

「特にその力が豊かな子どもは年をとって大人になっていくにつれて、見える色や感じる味が変わってきます。僕たち“障がい者”という、子ども達の概念の枠にはまらない存在から、何を感じるかなんて、それはさまざまで、ピュアでユーモアがあって、ときに残酷で、それが真実だと思います。

 こうなんだと伝えたり、教えることよりもまず、大切なのは自分自身が感じること。そして考えること。そして教わるのではなくて、ともに話し合うことが大切だと思います。ともにクリエイトできる『発想絵本』になってほしいなと思います」

 車イスで生活しているなかで、すれ違った子ども達に好奇の目で見られたり、不思議そうな反応をされ、つらいと感じたこともあった。日本は障がい者が特別な存在のようになっているから、子ども達の反応ももっともだと思うし、否定するのは違うと感じるという。

「ただ、この絵本1冊だけでは伝えきれない包括的なメッセージはあります。僕は、絵も脚本も素人で、世間的に評価されるものでもありません。でも、僕の絵本にかけてきた4年間の想いは、誰にも負けるつもりはないですし、この夢に向かって突っ走ってきた4年間は奇跡で僕の誇りです。

 何度も跳ね返され、一時はダメかもしれないと下を向きそうになったこともありました。でも諦めなかった。人はこけてもこけても、何度でも這い上がれるということを、今さまざまな障壁にぶち当たり闘っている方たちに、そして今の僕自身にも、身をもって証明したかったんです。この作品は僕の『魂』で、まさに僕自身だと思います」

「僕自身」とまでいえる絵本の出版後の反響はとても大きなものだった。多くの人に読まれ、すぐに重版が決定。絵本のランキングでも上位を獲得する。

「友人知人、ファンの方、さらには教育関係者の反応が高いことに驚いています。学校の朝礼で校長先生が僕の絵本に触れてくださったり、小学校での読み聞かせや授業で扱ってくださったりしていると聞きました。さらに、尾木直樹先生もSNSで紹介してくださいました。もっとたくさんの方の感想を聞きたいです」

叶えたかったもうひとつの夢

 事故で入院し、意識が戻ってすぐに描いた夢は2つあった。ひとつは絵本の出版、もうひとつがパラリンピックに関わることだった。滝川さんは、なんと同時期にこの夢を叶えたのだ。

「パラリンピックに関わりたいという夢も、僕を前に突き動かしてくれた生きる糧だったので、どうしても掴みたかったです。開会式の出演にあたり苦労したことは、ひとつもありません。オーディションもですし、肺活量を上げるトレーニングやボイストレーニング、どれをとっても、楽しくてしようがありませんでした。ひとつあげるなら、誰にも言ってはいけない“極秘事項”だったので、親しい方に言いたくてもそれを我慢するのが大変でした(笑)」

 俳優として舞台に立っていたときは、劇場中を支配するような声を生み出していたが、その肺活量は事故で激減した。一時期は呼吸器の装着で、声も失っていたほどだ。今でも常に身体の痛みはあるはずだが、そんな姿は一切見せない。

 事故後にパラスポーツの魅力を伝える番組のMCとして活動してきた滝川さんが、パラリンピックを見た後に感じたことがあるという。

「どんな人でも焦らず諦めなければ、スーパーマンのように強く美しくなれると改めて思いました。人種・性別、年齢・価値観や障害の有無も関係なく、一人一人の違いを認め、多様な生き方に触れることで、個性や才能のある人たちが能力を発揮できる社会の実現を目指していくべきだと思います。日本もこうした“多様性”の捉え方が進んできているけれど、さまざまな物事の判断において、まだまだ旧態依然とした価値基準が残っているように感じます。これからのグローバル社会において、日本でもダイバーシティという考え方を標準化させていく必要性があると思います」

 滝川さんは有言実行の人だ。これからの夢は何だろうか?

「これからの夢は、最後にもう一度だけ俳優としてのステージに立つこと。そして自分の力で歩くことですね。『ボッチャのシリーズ化やボッチャのその後は?』いう話もあるのですが、僕自身は今のところ次の構想は考えていません。僕自身がこれから、もっとさまざまな体験をし、視野を広げて成長できたときには、自ずと伝えたい、描きたいという気持ちになると思います」

 夢を叶え、また新たな夢を描くのは簡単ではないはずだ。事故から現在までで、夢を支えてくれる出会いはあったのだろうか?

「事故にあってたくさんの人の温かみに出会ったのはもちろんですが、事故にあって生活が一変してしまった『今の自分』との出会いですかね。今までは絶対に出会うことが出来なかったはずの自分がいました。今は、そんな今の僕から目を背けずに毎日自問自答して大切にしていこうと思います。学ぶことや今まで気づけなかった新しい境地に感動さえします」

 新しく出会った今の自分のことを、好きになったり嫌いになったりの繰り返しだと滝川さんは笑う。

「それでも、僕は……僕ですから。僕はまだまだ弱いです。だからこそ強くなりたい。たとえ人に笑われても、限界は自分で決めません。人の可能性は無限にあると思います。まだまだ続く僕の道を楽しみにしていてください」

滝川英治(たきがわ・えいじ)
1979年、大阪府出身。俳優。「リポビタンD」のCMでデビュー後、ドラマ、映画、CM、バラエティー番組やミュージカル『テニスの王子様』などの舞台で幅広く活躍。
2017年、ドラマの撮影中に自転車事故に遭い脊髄損傷の大けがを負う。車いすでの生活となったが、懸命のリハビリでテレビ番組のMCとして仕事に復帰した。現在は、バラエティー番組『Smile again!〜人生宝箱〜』(BSスカパー!)の MCを務める。著書に『歩』(主婦と生活社)がある。