柏の瀬川がアマチュア時代のキャリアについて明かしてくれた。写真:徳原隆元

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 いまだ色褪せていない高校時代の記憶と現在を照らし合わせると、つくづく「あぁ、まさかレイソルの主力になるなんて……」と正直に思う。

 柏の瀬川祐輔についてである。

 なぜなら瀬川は高校時代、プロとは程遠い無名の存在だったからだ。出身は全国大会とは無縁の日大二高。当時、筆者の母校が近隣校だったこともあり、練習試合のみならず全国高校選手権の東京都予選出場を目指す地区予選で対面した経験もあるが、そこは高校年代のトップレベルとはかけ離れた環境だった。

 それが、柏での1年目に25試合・9得点、2年目の昨季はJ2の40試合で8ゴ−ル・11アシストを記録。ネルシーニョ監督からの信頼も厚いようで、今季も開幕スタメンを飾った。J1優勝経験がある柏の主力に成長した瀬川の原点とは? ここでは「無名」とも呼べる瀬川の若き日のキャリアを振り返る。

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 サッカーを始めたのは6歳。高校まで全国とは無縁のチームに所属したため、日の当たらない道を歩んで来た。とはいえ、ジュニア時代に所属した雪谷FCでは実力は図抜けていた。

「2、3歳学年上の試合に出ていました。小学校6年生の時はブロック選抜に選ばれていました」

 その後に進んだ日大二中でも、サッカー部内での立ち位置は変わらない。

「1年生の時から、3年生の試合に出させてもらいました。当時は、自分が一番上手くて、それが当たり前と思っていました。きっと生意気だったかも」
 
 そこまで能力があるなら、高校はサッカー強豪校に進学するのが普通だろう。だが、そもそも大学までつながっている付属校に進路を絞って中学受験したため、「絶対だと思って」日大二高に進んだ。サッカー部もほとんどが中学から上がった同じメンバーであり、変わらない環境で瀬川の自信は膨れ上がった。

「守備した記憶は、あまりないですね。戦術も分かっていないし、とにかくボールを持ってなにができるかしか考えていませんでした」

 自信満々で言わば牴ν諭躱態に近い瀬川だったが、成長を促してくれるふたりのキーマンに出会う。ひとり目は、釜澤裕輔コーチである。

「ディフェンスラインでの駆け引きはカマさんが教えてくれました。小学校から高校までサッカーは考えないでやっていましたけど、カマさんは自分で試合に出て背中で教えてくれて、僕も自然と身に付きました」

 そして、高校3年生の途中に、元日本代表の山田隆裕が監督に就任した。元プロの指導は、また違った刺激があった。

「高校っぽくない教え方でしたね。練習時間が短くて、戦術的なパスの動かし方とか決まり事がありました。元プロで信頼できる実績があるから、褒められれば自信になりました」

 しかし、高校3年時のインターハイと全国高校選手権は、地区予選を勝ち進んで東京都予選に出場したが、ともに東久留米総合高に敗戦。どちらの大会も全国への切符を掴んだ高校に、力及ばなかった。
 プロサッカー選手はずっと夢だった。だが、どんなルートを辿るべきか分からず、無名のまま高校サッカーを終える。これまでは付属校への進学で進路が決まってきたが、ずっと「強いチームでサッカーしたい」と思ってきた。そこで、大学サッカーの名門である明治大を目指すものの、実績がないためスポーツ推薦での入学は難しかった。

「学校の試験勉強をしっかりしてきたので、おかげで大学に入れましたね。日大二高にある指定校推薦枠で、明治大に入学しました」

 いざ、強豪のサッカー部に入部。たが、鼻っ柱をへし折られた。

「通用しなかったです」

 自信があったプレーは歯が立たず、しばらく試合に出られなかった。それも今まで経験のない長い期間。その間、何を考えていたのか。