【柏】瀬川祐輔の無名時代。「きっと生意気だった」中学・高校から、「怒られっぱなし」の明治大での変化
「1、2年の時は、『もう出られないや』と思っていた。周りの目を気にするタイプなので、自分のプレーで迷惑が掛かっていると思うと、仮に試合に出ても緊張してしまう。3年生になって、上級生だとそういう気持ちはなくなったけど、それでも試合には出られなかった」
ハイレベルなメンバーのなかで、自分のプレーを責め立てられる日々も続いた。そして、気づく。
「言われまくって、何度も不貞腐れて、子どもでしたね。怒られっぱなしで、自分を知れました。我慢強くなくてメンタルが弱い。実はプライドが高いのに、自信がない」
「練習中からよく考えるようになりました。あとは、メンタル面のコントロールもできるようになりましたし、ずっと自主練もしていました」
だが、時間だけが過ぎていく。
「3年生の時、ほとんど試合に出ていなくて、就職活動を始める時期になっていました。就職するつもりで逆算して、1月・2月ころから就活しました。選考が進むほど、意外と嫌なものでもなかった」
ずっと目標にしてきたプロから、就職へ気持ちは傾きかけていた。
そんななか、サッカー面では努力が実を結び、4年生で待ちに待ったチャンスがやってくる。5月のアミノバイタルカップ(関東大学トーナメント)だった。
「初戦の城西大戦が、1-0とギリギリの試合で、監督の雷が落ちるほど内容が悪かった。そしたら、2回戦の朝鮮大戦(〇6-0)で起用してもらえて、パフォーマンスが良くてゴールも決めました」
以降はスタメンに定着し、チームもアミノバイタルカップを制覇。12月の全日本大学選手権でも活躍して2回戦の中京大戦(〇3-0)ではゴールも決めた。そして、当時J2の群馬からオファーが届く。しかし、すでに大手企業からの内定を受けていた。ふたつの選択肢を天秤にかければ、恐らく大手企業への就職の方が安定した道と言えるだろう。
「色んな人に相談しました。だけど、実際は心の中で決まっていました。プロをずっと目標にしてきましたし、仕事するより好きなサッカーをした方がいいですから」
もちろん内定をもらった会社に申し訳ない気持ちはあっただろう。だからこそ、周囲に相談したのかもしれない。だが、瀬川はプロへの想いを止めることはなかった。
――――――――――◆―――――――――◆――――――――――――
決意を固めて群馬に入団し、プロ1年目はJ2の42試合で13ゴールを奪取。17年には当時J1の大宮へ移籍し、18年から所属する柏では冒頭で記したとおり、主力へと成長した。
「凄く居心地が良いですよね。選手や監督だけではなくて、コーチやスタッフ、裏方の人もみんな含めて、レイソルはアットホーム。僕にとって凄く重要なことで、それをクラブの歴史があるレイソルで迎えられて良かった」
瀬川は柏での日々をそう語る。理想郷のクラブで、これからも活躍してくれるに違いない。
取材・文●志水麗鑑(サッカーダイジェスト編集部)