マドリーへの移籍が決まった久保。なぜバルサへの復帰を選択しなかったのか? 写真:金子拓弥(サッカーダイジェスト写真部)

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 全ては一枚のパンフレットから始まった。そこには、「この大会でMVPに選出された選手は、バルセロナと試合をするチャンスが与えられる」と告知されていた。

 バルサという文字に心が躍った久保建英はすぐさま応募した。もうそれからはとんとん拍子で、実際にMVPに選出されてその権利を勝ち取ると、マシア(バルサの下部組織の総称)のテストを受けるチャンスを手にし、そしてそれをモノにした。

 10歳になったばかりの久保は、こうして海を渡ってのスペインでの挑戦をスタートさせた。

「怖さはない。サッカーをするチャンスを与えられたという事実が、僕にとっては全てだった」

 いまから数年前に当時をこう振り返っていた久保だが、バルサからレアル・マドリーへと挑戦の舞台を変えた今回もまた、心境は全く同じであるはずだ。

 久保がバルサのトップチーム昇格を目指す挑戦は、18歳未満の選手の獲得および登録に関する規定違反が発端となったFIFAからの制裁により、棚上げとなったのは周知の通りだ。

「チームメイトが勝利する姿を見て、手放しで喜べない自分がいた」

 制裁により公式戦に出ることができなかった当時を、久保は『Goal.com』でこう回顧している。

 こうしてポーランド国籍を取得したアメリカ人ベン・レデルマンを除いて、同じ状況に置かれた他のチームメイトとともに、久保はマシアを去っていった。しかし久保の類稀なる才能を認識するバルサは、日本に帰国してFC東京に入団した後も、その成長ぶりを調査し続けた。クラブが思い描いていた青写真は、18歳の誕生日を迎えるのを待って呼び戻すことが既定路線だった。
 
 しかし久保の才能に熱視線を注いでいたのはバルサだけではなかった。パリSGやマドリーといったライバルクラブも扉をノックしていたのだ。争奪戦が勃発すれば、選手側の要求も上昇するのが市場の原理だ。久保の場合もそうで、バルサ側が提示した条件に応じず、交渉は難航を極めた。

「年俸100万ユーロ(約1億3000万円)と入団2年目のトップチーム昇格を要求してきた」

 スポーツ部門の関係者はその内情をこう明かす。しかしバルサは年俸を25万ユーロ(約3250万円)に上限を定め、トップチームの座も入団時から確約できないと、いずれの要求も突っぱねた。

「久保はEU圏外の選手だ。その枠は現在、アルトゥール、マウコム、アルトゥーロ・ビダルの3選手で埋まっている。マドリーも同じ状況なんだがね」としたうえで、下部組織の関係者はこう語気を強めた。「将来のことなんて誰にも分からない。我々にとってはリスクの高いローンに縛られるようなものだった」
 
 マドリーはバルサ側が応じなかった要求を全て受け入れた。契約期間5年間、移籍金200万ユーロ(2億6000万円)という合意内容で“日本の至宝”の争奪戦を制した。その中にはこの夏のプレシーズンでのトップチームへの帯同という条項も盛り込まれているという。

 カスティージャへの入団時にここまで要求を突き付けた選手としては、マルティン・ウーデゴーが思い浮かぶ。彼は入団したその年(2015年)の5月にトップチームデビューを飾った後、レンタル生活(ヘーレンフェーンとフィテッセで過去2年半)を繰り返している。

 鳴り物入りで入団した若手としては、昨夏のヴィニシウス・ジュニオールが記憶に新しい。入団1年目から大ブレイクを遂げ、今夏には同郷の後輩、ロドリゴが追随する。

 久保がどのような未来を描くかは、どんなプレーを見せるか次第。誰もが想像していたアスルグラーナ(青とエンジ)ではなく、ブランコ(白)のユニホームを身に纏い、スペイン挑戦の第2章が幕を開ける。

文●ジョルディ・キシャーノ(エル・パイス紙バルセロナ番)
翻訳●下村正幸

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