製造業の労働者数は「ピーク時の約半数」に…“ホワイトな職場”でも若者が増えない深刻な理由
◆労働環境が良くなり初任給もアップ
金丸氏は「バブル崩壊前の1989年頃のピーク時と比べて、日本の製造業の工場数と労働者数は約半分に減少した」と回顧し、次のように続けた。
「ですが、製造業の出荷額は当時と変わっていません。工場数と労働者数が約半分になったにもかかわらず、出荷額が当時と同じままということは、30年以上の間にダメな会社だけ淘汰されたというわけです」
「いわゆる下請けいじめが減り、小さい会社でも割に合わない仕事は『できません』とキッパリ断れるようになった。製造業の労働環境は格段によくなっていて、給料にも反映されています。大卒新入社員の初任給は、昔から約20万円でほとんど変わっていませんでしたが、ここ最近急激に上がっていて、弊社ではこの3年で大卒新入社員の初任給は3万円アップさせました」
さらに労働基準法の改正により、製造業の社員も働きやすくなっているとも。
「残業代が1分単位で計算されるようになり、着替え時間なども就業時間に含まれるようになりました。弊社ではサービス残業をさせない取り組みを浸透させています。また、有給休暇は年5日以上の取得が義務化されており、会社に拒否権はあるものの、弊社ではこの10年、申請を拒否したことは一度もありません」
◆普通の町工場が設計やソフトウェア開発にチャレンジ
バブルが弾けて多くの会社が淘汰される中で、リングアンドリンクはどのように生き残ってきたのだろうか。
「バブルが崩壊した当時、弊社は新工場を建設したばかりで借金の返済に追われていました。倒産の危機に直面しましたが、『どうせ倒産するなら挑戦しよう』と社員と話し合い、流通し始めたパソコンを導入して町工場から、設計やソフトウェア開発を行う会社へと転身しました。
町工場で加工をメインに行っていたときは、機械購入費や材料費、人件費などの先行投資が多く、仕事がないときには固定費が重荷になっていた。ですが、設計やソフトウェア開発は先行投資が少ないので、とても『おいしい事業』だなと思いましたね。もちろんパソコンの知識や経験はありませんでしたが、若いからやれると自信がありました」
金丸氏たちはその後も研究開発に挑むも、今度はITバブルが崩壊。再び危機に陥るが、ソフトウェア開発に活路を見出したという。
「私のアイデアをもとに、町工場のときに機械制御をしていた社員が開発した不動産業界向けのソフトウェアが大ヒット。1本200万円と高額にもかかわらず、全国で3400本のセールスを記録しました。この成功のおかげで借金も完済することができましたね」
◆成功の秘訣は他社がやっていないことに挑戦する
金丸氏の英断が会社の存続につながったものの、「どうせダメだろうと諦めていた社員が多かったと思います」と振り返る。
「反対されなかったのは、このままだと倒産していましたし、設計やソフトウェア開発は先行投資が少ないので、失敗しても大きな損失にはならないことが分かっていたから。チャレンジするとなるとみんな協力してくれましたが、私は絶対に成功すると確信していました。
当時、私は大手メーカーの社員も参加するようなセミナーにいろいろ参加していて、ソフトウェアがくると思っていたんですね。成功するためにはレッドオーシャンではなく、誰もやっていないブルーオーシャンに挑むことが大切です」
