【ロッキード事件発覚から50年】「事件ではない。まさに政争だった」田中角栄の元秘書・朝賀昭氏が回顧 「キッシンジャーにやられた」角栄が踏んだ“米国の虎の尾”
"戦後最大の疑獄"と呼ばれたロッキード事件の発覚から今年で50年が経つ。田中角栄元首相はなぜ、逮捕されたのか。田中元首相の秘書に、当時、何が起きていたのかを聞いた。
【表】田中角栄氏が金脈問題で首相辞任を表明したのは1974年11月26日 ロッキード事件「関連年表」
最高裁は田中角栄が亡くなるのを待っていた?
「田中が逮捕された時、私がいた砂防会館の事務所にも検察が来たが、令状ではガサ入れの対象になっていなかったから追い返した。すると若い検事が裁判所に走って改めて令状を持って来た」
そう語るのは角栄の元秘書の朝賀昭氏(82才)だ。事件当時、若手秘書だった朝賀氏も検察の事情聴取を受けたという。
「ロッキード事件というのは事件ではない。まさに政争だったんだと思う。当時の三木武夫首相は田中を逮捕させたかったのでしょう。三権分立と言われるけれど、結局、最高裁も官邸の下にある。
それを物語るのが裁判の経緯です。最大の焦点は日本の検察が事件の発端となったコーチャン(ロッキード社副会長)らに免責を与えて証言させた嘱託尋問調書の証拠能力。田中弁護団は『ない』と主張し続けた。
田中は一審で有罪判決(1983年)を受け、二審は控訴棄却、最高裁に上告しました。しかし、裁判は長引き、1993年12月に亡くなると、最高裁は判決を下さないまま公訴棄却、審理打ち切りとなった。恐らく最高裁は、判決を出したくなくて田中が亡くなるのを待っていたんじゃないでしょうか。
田中の死後、最高裁は丸紅ルートの判決で田中の政務秘書官だった榎本敏夫に有罪判決(1995年)を出したものの、『嘱託証人調書については、その証拠能力を否定すべきものと解するのが相当』と最終的に否定した」
「キッシンジャーにやられた」
事件の背景について、角栄が独自の資源外交を展開したことで「米国の虎の尾を踏んだ」との見方が根強くある。
「田中も『キッシンジャーにやられた』と言ったことがありました。因縁もあります。第4次中東戦争(1973年)をきっかけに石油ショックが起きた時、米国のキッシンジャー国務長官が『米国と一緒にイスラエルの味方をしてくれとまでは言わない。ただ、アラブの味方をするのはやめて欲しい』と要求してきた。
首相だった田中は『日本は石油資源の80%を中東から輸入している。ストップしたらそれを米国が肩代わりしてくれますか』『アラブにある程度、歩み寄った対応をせざるを得ない』と応じた。キッシンジャーは面白くなかったでしょう」
朝賀氏はこう結ぶ。
「総理大臣が米国に毅然とした姿勢をとることは大切です。しかし、一方で非常に危険でもある」
取材・文/北村和彦
※週刊ポスト2026年5月8・15日号
