世界を覆い始めた「終末ファシズム」。斎藤幸平が見据える「フェーズ2」の処方箋
しかし、事態がここまで悪い方向に進んでしまった、危機のフェーズ2においては、脱成長コミュニズムだけでは不十分なのも事実です。そこで、『人新世の「黙示録」』では新たな処方箋として「民主的な計画経済」を提示しました。供給サイドをしっかり立て直すための計画です。
とはいえ、「計画経済」と聞くと、どうしてもソ連の全体主義を連想すると思います。これはハイエクの影響です。ハイエクは『隷属への道』(1944年刊行)で、ソ連の計画経済は非民主的で非効率で全体主義を招くと批判し、市場経済の自由を擁護しました。実際、ソ連は無理やりノルマを課して生産性を上げようとした結果、監視や罰則が強まり、人々の自由や自発性が奪われ、計画経済は「隷属への道」に転化しました。その点に関してはハイエクの指摘はまったくその通りです。
しかし、ハイエクが擁護した市場経済の自生的秩序も今日では大変な惨状を招いています。市場経済が進んだことで貧富の格差が広がり、環境危機が生じ、地政学的緊張も高まりました。このまま市場経済を続ければ、富の集中が加速し、地球は荒廃し、一握りの特権階級が他の全人類を支配するようになります。ハイエクは計画経済を「隷属への道」と批判しながら、別の「隷属への道」を敷いただけだったのです。
ただ、『隷属への道』をよく読んでみると、実はハイエクも計画自体の不可能性や非効率性を証明しているわけではありません。ハイエクが批判したのは、あくまでソ連型の「中央集権的計画」です。ハイエクはあらゆる形態の計画経済が不可能とまでは証明できていないのです。ただ、彼は巧妙に「ソ連型の計画経済しかない」と議論を誘導し、その罠に何十年も私たちはずっとはまったままだったのです。自由な経済のための手段は市場しかありえないという私たちの思い込みを、「ハイエクの呪縛」と今回の本では呼んでいます。
ところが、今世紀に入って以降の急速な技術発展を踏まえれば、市場の価格メカニズムだけに頼らない需給の調整を行う可能性が拡大しているのは明らかです。ハイエクは私たちの生きる社会は複雑で、生産や消費に関するものも含めすべての情報や知識を得ることはできず、それゆえ効率的な計画をつくることはできないと考えていました。
しかし、今日の技術を用いれば多くの情報をもとにした効率的な計画は、決して不可能とは言えません。市民が意思決定に参加していれば、技術の使用がテクノ・ファシズムに陥ることもありません。私の言う民主的計画は、ハイエクが批判するような中央集権的な計画経済ではなく、専門家や市民、消費者、労働者たちが意思決定に参加し、計画を立案していくような経済への転換を目指すのです。
もちろん、その際には、国家の役割も重要になります。現に今回のエネルギー危機でも、それは明らかでしょう。以前から国家が計画的に化石燃料依存から再生可能エネルギーにシフトしていた国や、エネルギーの調達先を分散させてきた国は、この夏、訪れるかもしれない本格的なエネルギー不足を乗り越えられる可能性が高い。
一方、この間、左派はアナキズム的な発想で、小さな共同性における資本主義への抵抗に閉じこもってきました。けれども、やはり終末ファシズムに対抗するためには、国家による計画の力を使って、資本主義の暴走に歯止めをかける必要があります。
ソ連が崩壊し、社会主義が敗北したことで、私たちは計画経済というオルタナティブを捨て去りました。しかしその結果、資本主義が機能不全に陥っているにもかかわらず、資本主義に代わる大きなビジョンを示せずにいます。文明存続の危機に本気で対峙するなら、計画経済の理論を再びスケールアップさせる必要があります。
民主的計画という提案は無謀な試みだと笑われるかもしれません。しかし、いかに批判されようとも、この先に待ち受けている厳しい未来を生き抜くために、計画経済をもう一度やってみる必要があると私は確信しています。
斎藤幸平 (さいとう・こうへい)
1987年生まれ。経済思想家。東京大学大学院総合文化研究科准教授。ベルリン・フンボルト大学哲学科博士課程修了。博士(哲学)。専門は経済思想、社会思想。Karl Marx’s Ecosocialism:Capital, Nature, and the Unfinished Critique of Political Economyによって「ドイッチャー記念賞」を日本人初、歴代最年少で受賞。『人新世の「資本論」』(集英社新書)で「新書大賞2021」を受賞。同書は19言語に翻訳され、世界的ベストセラーとなった。
(聞き手・構成 中村友哉・月刊日本)
【月刊日本】
げっかんにっぽん●Twitter ID=@GekkanNippon。「日本の自立と再生を目指す、闘う言論誌」を標榜する保守系オピニオン誌。「左右」という偏狭な枠組みに囚われない硬派な論調とスタンスで知られる。
とはいえ、「計画経済」と聞くと、どうしてもソ連の全体主義を連想すると思います。これはハイエクの影響です。ハイエクは『隷属への道』(1944年刊行)で、ソ連の計画経済は非民主的で非効率で全体主義を招くと批判し、市場経済の自由を擁護しました。実際、ソ連は無理やりノルマを課して生産性を上げようとした結果、監視や罰則が強まり、人々の自由や自発性が奪われ、計画経済は「隷属への道」に転化しました。その点に関してはハイエクの指摘はまったくその通りです。
しかし、ハイエクが擁護した市場経済の自生的秩序も今日では大変な惨状を招いています。市場経済が進んだことで貧富の格差が広がり、環境危機が生じ、地政学的緊張も高まりました。このまま市場経済を続ければ、富の集中が加速し、地球は荒廃し、一握りの特権階級が他の全人類を支配するようになります。ハイエクは計画経済を「隷属への道」と批判しながら、別の「隷属への道」を敷いただけだったのです。
ただ、『隷属への道』をよく読んでみると、実はハイエクも計画自体の不可能性や非効率性を証明しているわけではありません。ハイエクが批判したのは、あくまでソ連型の「中央集権的計画」です。ハイエクはあらゆる形態の計画経済が不可能とまでは証明できていないのです。ただ、彼は巧妙に「ソ連型の計画経済しかない」と議論を誘導し、その罠に何十年も私たちはずっとはまったままだったのです。自由な経済のための手段は市場しかありえないという私たちの思い込みを、「ハイエクの呪縛」と今回の本では呼んでいます。
ところが、今世紀に入って以降の急速な技術発展を踏まえれば、市場の価格メカニズムだけに頼らない需給の調整を行う可能性が拡大しているのは明らかです。ハイエクは私たちの生きる社会は複雑で、生産や消費に関するものも含めすべての情報や知識を得ることはできず、それゆえ効率的な計画をつくることはできないと考えていました。
しかし、今日の技術を用いれば多くの情報をもとにした効率的な計画は、決して不可能とは言えません。市民が意思決定に参加していれば、技術の使用がテクノ・ファシズムに陥ることもありません。私の言う民主的計画は、ハイエクが批判するような中央集権的な計画経済ではなく、専門家や市民、消費者、労働者たちが意思決定に参加し、計画を立案していくような経済への転換を目指すのです。
もちろん、その際には、国家の役割も重要になります。現に今回のエネルギー危機でも、それは明らかでしょう。以前から国家が計画的に化石燃料依存から再生可能エネルギーにシフトしていた国や、エネルギーの調達先を分散させてきた国は、この夏、訪れるかもしれない本格的なエネルギー不足を乗り越えられる可能性が高い。
一方、この間、左派はアナキズム的な発想で、小さな共同性における資本主義への抵抗に閉じこもってきました。けれども、やはり終末ファシズムに対抗するためには、国家による計画の力を使って、資本主義の暴走に歯止めをかける必要があります。
ソ連が崩壊し、社会主義が敗北したことで、私たちは計画経済というオルタナティブを捨て去りました。しかしその結果、資本主義が機能不全に陥っているにもかかわらず、資本主義に代わる大きなビジョンを示せずにいます。文明存続の危機に本気で対峙するなら、計画経済の理論を再びスケールアップさせる必要があります。
民主的計画という提案は無謀な試みだと笑われるかもしれません。しかし、いかに批判されようとも、この先に待ち受けている厳しい未来を生き抜くために、計画経済をもう一度やってみる必要があると私は確信しています。
1987年生まれ。経済思想家。東京大学大学院総合文化研究科准教授。ベルリン・フンボルト大学哲学科博士課程修了。博士(哲学)。専門は経済思想、社会思想。Karl Marx’s Ecosocialism:Capital, Nature, and the Unfinished Critique of Political Economyによって「ドイッチャー記念賞」を日本人初、歴代最年少で受賞。『人新世の「資本論」』(集英社新書)で「新書大賞2021」を受賞。同書は19言語に翻訳され、世界的ベストセラーとなった。
(聞き手・構成 中村友哉・月刊日本)
【月刊日本】
げっかんにっぽん●Twitter ID=@GekkanNippon。「日本の自立と再生を目指す、闘う言論誌」を標榜する保守系オピニオン誌。「左右」という偏狭な枠組みに囚われない硬派な論調とスタンスで知られる。
