ナゴヤドームの廊下で…(田尾安志さん)/(C)日刊ゲンダイ

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【山粼武司 これが俺の生きる道】#77

【俺の生きる道】懇意の先輩・山本昌さんは努力の天才 他人の評価に我関せず「自分は自分のことをやればいい」

 2004年9月28日、オリックスから人生初の戦力外通告を受けた。

「もう野球をやめよう」

 ユニホームを脱ぐことを決意。伊原春樹監督と波長が合わず、ケンカ別れしたこともあるが、何よりも力の衰えを感じていた。

 モヤモヤとした気持ちの中で長いオフを過ごした。その頃、プロ野球は日本シリーズ(中日×西武)の真っ最中。10月17日の第2戦にラジオのゲスト解説として呼ばれて、久しぶりにナゴヤドームに足を運んだ。そして、そこで「運命の出会い」を果たす。

 それが楽天の初代監督だった田尾安志さんだ。わずか4日前の13日、楽天の監督に就任することが発表されたばかりだった。

 そんな「時の人」がナゴヤドームに来ていた。それを知った、若い頃からお世話になっていた東海ラジオのアナウンサーの犬飼俊久さんがこう言った。

「武司、何があるか分からないんだから、田尾に挨拶しに行ってこいよ」

 オリックスを戦力外になり、引退を決めていた俺がなぜ……? 

「いや、いいっすよ。何か俺が媚びてアピールしているみたいじゃないですか」

 そう言って断るも、「いいから行け」と何度も促された。確かに、かつて田尾さんは中日でプレーしていた先輩でもある。そう思いを巡らせていたら、ナゴヤドームの廊下で偶然、田尾さんとすれ違った。

 挨拶すると、田尾さんは開口一番、こう言った。

「いやあ、おまえは問題児って話を聞いているからなあ」

 やっぱりアピールしていると思われた。俺は別にお願いしますだなんてひと言も言っていないのに……と後悔した。それと同時に「誤解だけは解いておきたい」と思い、「それは違うんです。こういう経緯があって……」と説明。すると、田尾さんから「そうだったのか。俺が聞いていた話と違った。誤解して悪かったな」と言われた。

 それからしばらくして、田尾さんは「イーグルスで野球を続けないか?」「武司、野球やろうぜ!」と何度も誘ってくれた。ただ、もう一度プロのユニホームを着るモチベーションはその時の自分には皆無だった。

 このとき俺は35歳。打撃フォームは崩れ、もう自分には実力がない、もう復活なんてできない。完全に自信を失っていた。

「たとえどこかの球団が拾ってくれたとしても、また誰かと揉めて辞めるかもしれない。また同じことを繰り返すなら、もうやらん方がいいんじゃないか」

 そう思うと、ただただ気が乗らなかった。

 そんな中、田尾さんのほかにもうひとり、何度も声をかけてくれた人物がいた。

 ある日、携帯電話に知らない電話番号からの着信があった。

 電話に出ると、案の定、聞き覚えのない声。声の主は、それまで会ったことも話したこともない、意外な人だった。

(山粼武司/元プロ野球選手)