「名古屋に負けた」ウケなくても客が3人でも「夢が叶わない人代表」になりかけても、名古屋でのライブを諦めなかった執念の結果

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読者からのおたよりにコントを添えて答える「読むラジオ」(https://x.com/kugatsu_readio)でもお馴染みのピン芸人・九月さんによる群像Webオリジナル連載「旅する芸人」、第5回の舞台は旅芸人としての始まりの地、名古屋です。

連載第1回はこちらからお読みいただけます。

→「「東京に住んでいても◯◯に行ったことがないなんて!」地方出身の僕が上京して衝撃を受けた「東京あるある」のギャップ」

前回の連載はこちら。

→「「書く側になりたい」者の前に立ちはだかる壁・太宰治。そんな青森出身の僕が、ファンの聖地「斜陽館」でコントライブをすることに?!」

始まりは名古屋

「旅する芸人」を連載しているけれど、僕の旅芸人歴は浅い。コンスタントに全国各地でコントをするようになったのはここ1〜2年に過ぎなくて、それまでは活動拠点である東京と、2020年の春まで活動拠点にしていた関西でばかりライブをやっていた。

背景には僕の知名度の問題もあったし、お笑い界の事情もあった。お笑いにおいては、「東京か大阪か」という二者択一が支配的だ。それ以外の地方となると、日常的なお笑いライブは稀になる。どこでも人は笑うけど、お笑いの根付いた地域は多くない。

例外として、福岡や沖縄のようにローカルな芸人の文化が強い土地もあるが、それらはどこか島宇宙的というか、独自進化した郷土料理の感じ。したがって、東京や大阪を拠点とする芸人が他地域を回るのは、めっちゃ売れてからの全国ツアーか、ショッピングモールや文化施設で行われる地方営業が中心になる。そういう風潮は、僕のような事務所無所属の野良芸人にもうっすら影響していた。

もっとも、最近は事情が変わり始めている。場所を問わず閲覧できる配信コンテンツで発信基地を作る芸人が増え、各地を回ってライブをするハードルが、かつてなく下がりはじめている。「旅する芸人」という言葉は、そのうち「持ち運べる電話」みたいな、言うだけ無駄な言葉になるかもしれない。それならその方がいい。どこでも人は笑うから。そうなったら、この連載のタイトルを「芸人」にすればいい。いや、いいわけないだろ。チャップリンでもやらない。

さて、今回の話は、僕が旅芸人と名乗る前夜の話である。

かねてから、東京・大阪以外でライブをしたい気持ちはあった。僕は青森出身だから、東京や大阪には地縁がない。都会であること以外には、活動拠点とする理由はない。そしてその「都会」自体には複雑な感情があった。愛着も憧れもあるけれど、同じくらいの鬱憤とやっかみがあったのだ。

中高生の頃なんかは、毎日思っていた。都会ばっかりずるい。ずるいずるいずるい。ライブコンテンツは都会にばっかりある。青森にはない。ないものはない。こういうことを言うと、「都会は都会で大変だ」とかあいつらは言うんだけど、それが言える時点でお前は都会にいる。ずるい。ずるすぎる。憧れる。ずるい。

そういう歪んだ思いから、あの頃はニュースで「東京に雪」と見るたびガッツポーズをしていた。ざまあ見ろ、お天道様は平等だ、お前たちも雪に降られてしまえ、などと思った。今にして思えば、その感情は意味不明だ。東京に雪が降っても、僕が得するわけではないのに。なんとみみっちい価値観だろう。

ちなみに、ガッツポーズをした後はたいてい青森で雪かきしていたので許してほしい。なお、東京の冬には雪かきが要らないと知ったのは地元を出てからだ。お天道様にさえ傾斜があった。全く許せんなと思った。

僕もいくぶん大人になって、そういう未熟な角はだいぶ取れた。けれど、あの頃の僕は救われないまま、情けないガッツポーズをしている。かわいそうに。彼を助けてあげたい。そのためにも、自分は東京・大阪でのみライブをするべきではない。知名度が上がったら、どこかへ行ってみよう。どこへでも行けるようになろう。でもそれに必要な知名度って、どれくらいだろう? どうやったらいいんだろう?

沸々とした思いがありつつも、何となく踏ん切りのつかないままでいたが、2021年、僕は思い切って名古屋、福岡、そして生まれ故郷である八戸でライブをした。このとき、最初に向かったのが名古屋だった。僕の旅は、名古屋から始まったのだ。

貸し会議室の罠

最初のライブは、愛知県に行く用事にかこつけた、衝動的なものだった。ライブをすると決めたのは、本番1週間前。名古屋市内のビジネス用の会議室を借り、コントを15本ほどやる、極めてシンプルな内容にした。初球はストレートがいいと思っている。野球部だった頃、カーブから入るピッチャーには散々手玉に取られた。ストレートを投げろ。藤川球児を見習え。

そうだ、「会議室でお笑い」と聞くと驚く方もいるだろうが、これは特に珍しいわけではない。若手芸人には「会議室界隈」とでも言うべきものがあって、会議室でライブを開くことはそれなりに定番である。新宿や高円寺の会議室は、連日芸人だらけ。それと同じ感覚で、名古屋でもやれるかなと思ったのだ。

しかし、当日は想像以上に大変だった。遠方でのライブの場合、会場選びこそ神経を尖らせるべきポイントなのだが、当時の僕はそういう勘を全く持っていなかった。ろくすっぽ調べず予約したその会議室は、両隣の会議室としきり一枚を隔てただけで、左右からミーティングの声が筒抜けの環境だったのだ!

椅子を並べ、ライブの準備をしながら、気が気でなかった。どうしよう! 会議室って完全個室じゃないの!? 俺の声が隣に聞こえていいの!? それ以上に、俺は隣の声を聞いてもいいの!? 今、絶対に「取引」って聞こえた! 「とりひき」だって! 今度は「お願いします」って聞こえた! たぶん取引が成立したんだ! おめでとう! ところで、俺のライブは成立するの!?

それでもライブは始まる。お客さんは10名ちょっと。知らない街だから知らない人ばかり。左右の会議の音声に気を使いながら、蚊の鳴くような声でコントをやった。僕が蚊の鳴くような声でコントするから、お客さんも蚊の鳴くような声で笑う。会議室で行う、小声のペットショップのコント、小声の家電屋のコント、小声のハンバーグ屋のコント……。

お客さん全員が、「なんだこのライブ」と思ったことだろう。お笑いにおける最大の敵は、そういうメタ認知である。「今、何をやっているんだろう」とか「今、どういう時間なんだろう」とか、絶対に思わせてはいけない。そこからは、どうやっても笑えなくなるから。笑いにはある種の没頭が必要だから。

しかし、あの日の名古屋の会議室は、メタ認知のテーマパークと化してしまった。僕が垂れ流す言葉のうえを、お客さんたちが「なんだこれ」と思うことで滝登りしていく。滝の上流には何もなくて、ただ無限の「なんだこれ」が待っているのみ。僕もまた「なんだこれ」と思ってしまって、全員メタ認知の滝登りエンドを迎える。バグったように真っ白なエンディングムービー。

今の僕なら、あえてその空間を利用して、「架空のビジネスミーティングという体裁を取り、めちゃくちゃな会社のめちゃくちゃな会議のコントをやる」みたいな裏技も思いつく。お客さんと一緒に滝の上に登ってしまって、メタのところに新しい地面を作るイメージだ。そしたらメタがメタじゃなくなる。しかし、当時の僕にそんな引き出しはない。若かった。若すぎた。

名古屋で行った初めてのライブには、まったく手応えがなかった。なんなら、ライブをやったという実感さえなかった。「名古屋に負けた」と思いながら、きしめんをすすった。明確な敗北感。いや、別に勝ち負けではないのだけども。

滝登りエンド、再来

しかし、僕はめげなかった。半年後、反省を活かして別の会場、確か個室のスタジオを予約し、再び90分の名古屋公演を打った。案の定お客さんは激減し、5名かそこら。そりゃそうだ、前回のライブがメタ認知滝登りランドだった時点で、リピーターは来てくれない。交通費と会場費だけではっきりと赤字が確定しているが、それは考えないことにした。メタ認知は敵だから。

その日は、全身全霊でコントをした。空間がきちんと仕切られていたので、普段の発声でコントをやることができた。そのことだけでもありがたかった。

だが、返ってくる笑い声は少ない。お客さんが一桁のライブによくあることだが、声を出して笑って良いのかわからなくて、みんなが探り合うように気を使ってしまうのだ。これもまたメタ認知だ。お客さんがネタに集中できない。だんだんメタへメタへと、場の意識が登っていく。みんなを引き戻すために、僕はネタを気持ち説明過多にする。それが結果的に、更なるメタ認知をもたらす。

こうして、ライブの全員が「このライブってなんなんだろう」と考えるに至り、みんなで虚無の滝登り。またしても同じ場所に辿り着いた。僕の名古屋はメタ認知の滝の上、なんにもない空白の精神世界となった。

これも今なら、裏技がわかる。あえてその空間を利用して「お客さんが多いときにはやれないネタをやりますね」とか言ってしまえばいいのだ。すると滝の上、不毛のメタ地帯に新しい地面を作ることができる。

「この状況を活かしていますよ」感を出すだけで、案外メタの呪縛は解けるのだ。例えば、外から暴走族のバイク音がしたなら、それっぽく「山下先輩、まだやってんだ」とか言えば、ウケるしお客さんも安心できる。しかし、当時の僕にそういう引き出しはない。

できる限りのことはやったけれど、上手くいかなかった。「またしても、名古屋に負けた」と思った。勝ち負けではないのだけど。負けは負けなのだ。

手羽先を食べながら…

それでも、僕はめげなかった。昔から根性には自信がある。根性のいいところは、「根性がある」と思うだけで、根性があることになるところ。僕に計画性とかはないけれど、衝動と根性でなんだって乗り越えるのだ。

半年後、再び同じスタジオを予約して、ライブを打った。これも90分のコントライブ。お客さんはまったく増えず、3名。しかも、うち一人は名古屋在住の昔からの友達。まあそりゃそうだ、ここまでの名古屋公演は響いてくれてない。

もちろんネタは一生懸命やるのだけど、こうも目に見えて上手くいかないと「自分は何のためにここにいるんだろう」とか、要らないことを考えてしまう。「だめだ、考えるな」と自分に言い聞かせるけれど、その時点で、僕がメタに引き寄せられている。ああ、目の前に滝が見える。こうなったらおしまいである。

このライブのことは、ほとんど覚えていない。だって僕が一番乗りに滝登りをしてしまったのだから。

ライブ終わり、見に来てくれた友達と一緒に手羽先を食べたのだけど、彼はたまに「こいつ大丈夫なんかな」という目を向けてきた。最悪なことに、彼は「夢追い人についての社会学的研究」をする大学院生だった。夢追い人がいかに搾取されるかとか、いかに自分のストーリーから出られなくなるかとか、そういうことを言っている。うわあ。俺、研究対象じゃない? 夢が叶わない人代表として、インタビューされたらどうしよう。今日来たのがそれ目的だったらどうしよう。そんな残酷な邂逅したくない。

なるべく研究対象にならないように、僕はライブ以外の話を一生懸命に広げた。ときには自分も研究者側の目線に立つことで、自分を透明化しようとした。「夢追い人って搾取されやすいよね〜」とか言いながら、俺は誰目線なんだって、自分目線で思う。

ああ、これもメタ認知だ。虚しさに気付くと、どんどん虚しい。滝だ。滝が見える。滝のような汗もかいている。手羽先がぴりりと辛く、そこだけに現実感が感じられて、僕はがつがつ手羽先を食べた。その間、「俺という飛べない生き物が手羽先を食べている……」などとメタ認知して虚しくなった。やはり名古屋に負けた日だった。

再び、決戦の時

それから1年くらい、名古屋でライブをすることはなかった。諦めたわけではない。少しでもビジョンが見えるのを、自分に新しい風が吹くのを待つことにしたのだ。何かのきっかけがなくては、同じことを繰り返してしまうと思った。自分には何かが決定的に足りないのだ。それは何なのか、ずっと考えていた。

その頃、少しずつ風が吹き始めた。コントとは別にこつこつ書き溜めてきた文章が編集者の目に触れ、僕のエッセイ集が出版された。芸人が単著を出すといえば、ふつうは世に出てから仕事の横展開として行われるものだが、僕の場合は異例の青田買いによる出版だった。初期衝動のままに自己紹介を書いてくれ、という珍しい案件だった。それまで「自称芸人」と言われても返す言葉一つなかった野良の僕が、名前と顔つきで書店の「芸人」コーナーに並ぶようになった。

さらに、エッセイの執筆と同時に始めたSNSでの質問回答コンテンツ「九月の『読む』ラジオ」がなんぼか広まり始めた。SNSでのコンテンツだから、土地を選ばずファンがつく。さらに、読むラジオでは自分のコント動画を毎回紹介してもいたから、ある程度芸風をわかってもらえているはず。

遠征の外堀が埋まり始めた感覚があった。再び、名古屋に行くときがきた。

2024年の3月、四度目の正直、これまでとは違うぞと、勇んで名古屋へ向かった。会場探しが情報戦であることは痛いほど理解していたから、ネットの海をくまなく調べた。すると、面白そうなスペースを見つけた。そこは名古屋の中心にありながら森をあしらったファンシーな場所で、パーティーやワークショップに使われる場所だった。ちょっと非日常的な雰囲気があって、アクセスも良い。いける気がする。出版効果もあって、集客は見違えるほどよかった。

迎えた当日。90分のライブを2公演行ったのだけど、まず構成をかなり変えた。時間いっぱいコントを羅列するのではなく、前置きとして丁寧な自己紹介や、本やネットには載せられない実名的なエピソードトークをした。そしてそこに30分ほどかけた。日常会話の延長から入り、言葉によって名刺を配りながら、地面をきっちり固めたのだ。

その後でコントをやってみたら、東京や大阪のライブと遜色なくウケた! 味玉を産むニワトリのコントも、マルチにハマった文化系の恋人に「江國香織好きなくせにマルチやるな」とブチギレるコントも、タンメンと塩ラーメンの違いは「味のうまさ」だと思っているおじさんのコントも、まんべんなく!

僕のスキルが短期間でそう変化したわけはないから、きっと諸々の作戦が功を奏したのだろう。勝った、勝った、名古屋に勝ったと、台湾ラーメンを食べながらちょっと泣いた。いや、別に勝ったとかではないのだけども。

で、その3ヵ月後のライブは普通にいまいちだった。その3ヵ月後はかなり調子がよくて、その3ヵ月後は平均的、その次は……。あからさまな大外しをすることはなくなり、純粋な「その時期に作ったネタの良し悪し」で反応が変わるようになった。名古屋における、九月公演の普通化。

いつでもバカウケするとか、そういう夢みたいな話はないけれど、いいネタを持っていったらちゃんとウケる。常連のお客さんもいるし、初めてのお客さんもいる。勝ちとか負けとかじゃない。僕は名古屋で等身大の自分らしいライブをやれるようになっていった。「最近はこんなことを考えています」と報告しに行くようなイメージで、名古屋に行って、ライブして、帰って来るようになった。

これこそが僕にとって、街に居場所を作るということなんだと思った。メタ認知の滝登りをしないし、させないこと。地面を歩けるようになること。地面で笑ったり、笑わせたりできること。それでやっと気付いたけれど、名古屋って道が広い。東京や大阪とは、街の縮尺が違う。そういうことにも、メタ認知ばかりじゃ気付けない。

街にはいくつも馴染みの場所が生まれた。不安になるほど綺麗な喫煙所。ライブ前に毎回お水を買う100円ローソン。毎回行く純喫茶ライオン。大通りに面した謎のカレー屋。混んでなかったら入り、混んでたら諦める台湾ラーメンの味仙。おそらく観光客を優しく騙している創作きしめん屋。なんだかんだ入っちゃうコメダ珈琲。

馴染みの顔だって増えた。来るたび本にサインを書き足すから、書籍の耳なし芳一化が進んでいる方。一時期よく来てて、今は留学中の方。コントに出てくるキャラクターのぬいぐるみを作ってくれた方。いつも髪型が変わる方。ライブ後、なんか毎回「物理的に背中を押してほしいです」と言ってくる方。とりあえず押す僕。

ありがとう、名古屋。名古屋での試行錯誤があるから、今なら初めて行く街で居場所を作る方法がわかる。これまでに向かったすべての街で名古屋の経験が活きてきたし、きっと次に行く街にも名古屋は活きる。夢は地上で叶いつつある。羽根はないけれど、今日も歩いている。

第6回は4月20日公開予定です。

これまでの連載

第1回:東京

「東京に住んでいても◯◯に行ったことがないなんて!」地方出身の僕が上京して衝撃を受けた「東京あるある」のギャップ

第2回:札幌

北海道のお客さんと友達になろうとした結果、気づいたらアメンボに知性を与えたい科学者になっていた話

第3回:北九州

九州の北にあるから「北九州」?直球すぎる街の名が物語る、昭和の大合併と歴史の分岐点

第4回:青森県五所川原市金木町

「書く側になりたい」者の前に立ちはだかる壁・太宰治。そんな青森出身の僕が、ファンの聖地「斜陽館」でコントライブをすることに?!

九月(くがつ)

芸人。全国各地でのコントライブと各媒体での執筆を中心に活動。エッセイ集に『走る道化、浮かぶ日常』(祥伝社)がある。群像Webにて紀行エッセイ「旅する芸人」を連載中。

【連載第1回】「東京に住んでいても◯◯に行ったことがないなんて!」地方出身の僕が上京して衝撃を受けた「東京あるある」のギャップ