黒田氏(C)日刊ゲンダイ

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【大人気連載プレイバック】#62

【前回を読む】黒田博樹は“男気フィーバー”の裏で「しんどいですね」と漏らしたこともあった

■山内泰幸氏による「カープ戦士の正体」(第3回=2016年)を再公開

 日刊ゲンダイではこれまで、多くの球界OB、関係者による回顧録や交遊録を連載してきた。

 当事者として直接接してきたからこそ語れる、あの大物選手、有名選手の知られざる素顔や人となり。当時の空気感や人間関係が、ありありと浮かび上がる。

 今回は前回から引き続き、広島やメジャーで活躍した黒田博樹氏について綴られた、山内泰幸氏による「カープ戦士の正体」(第3回=2016年)を再公開。年齢、肩書などは当時のまま。 

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「この新幹線、脱線しないですかね」神妙な顔でボソッとつぶやいた

 あの日は、朝から激しい雨が降っていました。空は灰色というか鈍色です。

 97年8月、私とクロ(黒田博樹)は名古屋から帰広するため、新幹線に乗り込みました。

 新人だったクロはローテ投手として前日、中日戦に先発しました。しかし、5回もたずにKOされてしまいました。私もクロが先発した前日に先発し、八回途中で失点を重ねて降板。シーズン中盤の勝負どころで、揃って勝ち投手になれませんでした。

 天気と同じく、どんよりした気持ちで隣り合わせで座りました。列車が出発してしばらくするとクロは、「つらいっすわ」とうなだれると、神妙な表情をしながら「この新幹線、脱線しないですかね」とボソッとつぶやいたのです。

 今でこそ日米通算200勝を達成した大投手ですが、このときは3戦連続で負けが続いていました。開幕前の二軍のオープン戦では、1回10失点を喫したこともありました。打たれるつらさを痛感すると同時に、自分に対するふがいない気持ちが口をついたのでしょう。

 その後、カープでエースとなり、メジャーでも活躍したクロは、「一球の重み」を大事にしています。ルーキーの頃から、この一試合、この一球に対する思いは強かったように感じます。

 グラウンド外では、一緒に食事をしたり、酒を飲んでカラオケを歌ったりもしました。メジャーに移籍してからも、一年に1回は食事をし、「いつ戻ってくるの? 早く戻ってこいよ」と冗談めかして言ったこともあります。クロはずっとカープのことを気にしていました。毎年のように復帰報道が出る中、復帰を決断する直前の14年冬に食事をしたときは、簡単に「帰ってこいよ」とは言いづらい雰囲気があったのも確かです。

 カープへ復帰した今、クロは広島で“単身赴任”生活を送っています。クロは2人の娘さんがいて、お姉ちゃんは中学生。私も中学2年生の娘がいるので、米国で暮らす家族について、こんな会話をしたこともあります。

「家族と離れて暮らして、寂しくない?」

「ニューヨークにいる時も、そうだったんで、変わらないですよ」

「娘さんは相手をしてくれる?」

「僕が勝っても負けても、あんまり興味がないみたいですね。(元米プロバスケット選手の)コービー・ブライアントには興味があるみたいですけどね」

 一緒にプレーしていた20年前は、遊びの話で盛り上がっていたことを思うと、改めて歳月の流れを感じます。

▽やまうち・やすゆき 広島県東広島市生まれの43歳。尾道商高、日体大を経て、94年のドラフト逆指名(1位)で広島入団。特徴的な「UFO投法」で1年目の95年に14勝を挙げて新人王。翌年も2ケタ勝利。02年に引退後、14年まで一軍投手コーチなどを歴任。通算45勝44敗、防御率4.40。

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 当連載「大人気連載プレイバック」は日・月曜公開。当記事ページ下部の関連記事から、他の回顧録も要チェックだ。